第31話 金曜日の旅行相談。ちょっと奮発。夢に見るピザ 上
八月朔日さんの見学があった週の金曜日定時。
俺はPCを落とし、身体を伸ばした。
ここ数日の激務の疲れを感じる。……無駄な紙資料、死すべし。少なくとも減ってくれ、頼むから。
目の前で仕事をこなしている石岡さんが話しかけた。
「そう言えば、篠原ー。今日、部長から言われたんだが」
「はい?」
机の上を片付け、書類を整理。
来月は三月。
つまるところの年度末。奴が……本決算がやって来る。
備えよ、嵐に。備えなければ、死が待っている。
……まぁ、備えても半死は免れないのだが。
「八月朔日さん、四月の配属後はお前の下で、だそうだ」
「え? 石岡さんの下じゃないんですか?」
「歳が離れてるしなー。お前なら、うまいこと何とか出来るだろう、って偉い人達は考えてるみたいだぞ? 何せ、あの子、今期のホープだ」
「はぁ……」
変な声が出てしまう。
正直なところ、自分のことだけで精一杯なのだが……致し方無し。
八月朔日さんは、明らかに頭の良い子で常識もあったし、手もそこまでかからないだろう。
立ち上がり、コートを羽織る。
石岡さんが顔を上げた。
「お? もう終わりなのかよ?」
「ちょっと待ち合わせがありまして」
「…………篠原、まさかとは思うが」
「残念ながら色恋沙汰じゃありません」
先んじて追撃を防止しておく。携帯が震えた。
確認すると案の定『四月一日幸』
『御仕事、予定どーり! 18時半には行けそうー。偉い? ねぇねぇ? 偉い?? 褒めて! 篠原雪継君には、その責任があると思うっ!! あと、デザートにアフォガードつけてね☆』
……この大エース様は。
苦笑しながら鞄を取る。
まぁ、今週もよく働いた。金曜日だし、例のイタリアンで美味いピザを食べてちょっと良いワインでも飲もう。そうしよう。
この時間なら、四月一日よりも先に店へ行けるだろう。
あいつが先に着いていると、最初の段階で料理を全部注文した挙句、お金まで払いやがるので中々厄介なのだ。
しかも、それで何かを要求することもなく。まぁ、それは俺も同じだが。
石岡さんが話しかけてきた。
「お前もその手の話を聞かねぇなぁ……。考えてみると、四月一日さんもそうだが。まぁ、あの子は東京支店のアイドルだからな。手を出したら……支店長にぶん殴られそうだが」
「仕事が忙し過ぎるんじゃないですかね? お店は詳しいみたいですけど」
この近辺は東京でも都心であり、同時に古い町並みも残っている。
なので、ハイセンスなお店から、下町風の店まで種々雑多。
無数の飲食店から美味しい店を選ぶのは、案外と難儀。
なので、俺と四月一日は結構、食べ歩きをしていたりする。
曰く『営業の接待で使う!』とのこと。
「ほ~流石は東京支店の大エース様。そつがないねぇ。……ん? 篠原、お前、そんな話を何時、四月一日さんと」
「それじゃ、お疲れ様です。八月朔日さんの歓迎会のお店、探しておきますね」
※※※
会社を出て、例の隠れ家イタリアンへ。
まだ、時刻は午後六時。この時間なら、あいつもいるまい。
硝子張りの扉を開け、店内へ。
店長さんに挨拶。
「こんばんは。数日ぶりです。ちょっと早いんですけど、大丈夫ですか?」
「こんばんは。大丈夫ですよ。御連れの方がお待ちです」
「……もう、来てますか」
「はい。少し前に。二階へどうぞ」
店長さんへ会釈をし、二階へ。
窓際の席では一人、私服姿の四月一日幸がメニューを熱心に眺めていた。
空いている席には紙袋が置かれている。小物でも買ったんだろうか。
近づき、声をかける。
「いや、総務より早い営業って……どんな生き物だよ? お疲れ」
「お疲れ様! 今日の私は営業の必殺☆ ザ・直行直帰の女だからっ! 褒めて、褒めて? あ、コートと鞄、もらうね」
「偉い偉い。ありがとさん」
コートと鞄を脱ぎ手渡すと、四月一日はいそいそと、自分のコートと鞄が置いてある椅子へかけた。
「心がこもってなーい。なーい。さ、座って、座って。ピザだよ、ピザっ! ここのピザ美味しいんだよね~。時折、夢に出て来る。雪継のピザを奪い取る感じで★」
「……そこは、せめて一緒に食べていてくれ」
げんなりしつつ、四月一日の前の席に座る。
すぐさま、メニューが差し出された。
「とりあえず、マルゲリータは食べるよね?」
「だなー。シンプルで美味い」
「あとはー??」
「そうだなぁ……」
メニューを眺めて考える。
アンチョビが載っているロマーナ。
イカ、タコ、エビ、ホタテのペスカトーレ。
卵黄とベーコンのビスマルク。
挽き肉、各種チーズのカルネ。
どれも絶品。
毎回、悩むのだ。俺は四月一日に尋ねる。
「腹は?」
「すいてるー。ぺこぺこー」
「なら……Sサイズにして、マルゲリータと、もう一枚ずつ頼むか」
「あ、それいいかも!」
お互い同意。
後は――……。
四月一日の細い指がメニューを差す。
「サラダとピクルス。ソーセージはお父さんのが美味しいし、いらない? かも? かも?? 送られてくるよね?」
「今年も春先に作るってさ。まーでも、食べてみようぜ」
「そだねー」
うちの親父はハム、ベーコンだけでなく、去年からソーセージまで作り始めた。
身贔屓抜きで、美味い。市販の高級品と変わらない。
メニューを見ながら、聞く。
「酒はどうする?」
「雪継が飲みたいので良いよ~」
「なら、ワインで。白、赤どっちがいい?」
「どっちも~」
「……酔い潰れたら、置いていくからな?」
「え~優しい優しい雪継には、そういうの無理だと、思うな~。精々、明日の朝、おお小言を言うのが精々なんじゃないのぉ~?」
四月一日が頬杖をつき、楽しそうにニヤニヤ。……こ、こいつは。
メニューを閉じ、女性店員さんを呼ぶ。
「すいません」
「はーい」
さっき決めたピザと料理、ワインのボトルを注文。
そこで、少し考え――
「食後はアフォガード、抹茶アフォガード、マスカルポーネのジェラート、三つ共ください」
「かしこまりました」
「!」
女性店員さんは微笑み、下がって行った。
四月一日が驚き、俺へ質問。
「全部食べるなんて珍しい。何で~?」
「ん? あ~四月に入って来る新入社員さん歓迎会のリサーチだなー。自分で食べた事ないのを勧めるのは気が引ける、いてっ。何すんだよ」
「…………でりかしー、がなーい。そんなに、若い子が好きなのかー。かー。そんな、篠原君にはこれ、あげないよ?」
突然、四月一日が俺の頬をつねってきた。
手で軽く払い、温かい紅茶を飲む。
「いや、八月朔日さんだけじゃなく東京支店の子もいるだろうが?」
「わたし、何も言ってないですぅ~。ふんだっ! はい、これ」
「あん?」
四月一日が紙袋をごそごそ。テーブルの上に取り出した。
――白猫と黒猫が描かれたマグカップ。
「これ、どうしたんだ??」
「営業先へ行った帰りの雑貨屋さんで見つけたのっ! ほら、あそこのビルの中の――」
最近、うちの会社の、近場にオープンした巨大な商業施設の名前を四月一日は口にした。
楽しそうに続けてくる。
「全然、回れなかった~。ねね? 今度、行ってみない? 旅行用に温かいダウンジャッケットとか欲しいし!」
「面白そうだったか?」
「うん! ……ダメ?」
少しだけ甘えた口調になり、四月一日がはにかむ。
俺は白猫のマグカップを手に取り眺め、頷く。
「まー土日、引き籠るよりは良いかもな」
「なら、決定~♪ それじゃ、午前11時にビル前で待ち合わせね」
「? ビルで待ち合わせすんのか??」
別に自宅から一緒に行けばいいんじゃ……。
対して、四月一日は指を突き付けてきた。
「はい、ダメです! 篠原雪継君は、もう少し女心を学びましょう! 要再履修!! あ、コート、お揃いにする?」
「…………検討しておきます。お揃いにはしません」
「はい、ダメ二個目~! 罰としてデザート、全部半分こね☆」
「分かった、分かった」
俺は軽く両手を挙げた。
すると、四月一日は満足したのか、自分の鞄から旅行雑誌を取り出して来た。付箋がたくさん張られている。
「よろしい! それじゃ、旅行の話をしよっか? まずは――スキーなのか、ボードなのか、論争からねっ!」
「――……よろしい。その戦争、受けてたとう」
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