第3話 明日は土曜日。裏切りのフレンチトースト 上
「……篠原、賞与計算と年末調整の作業どうだ? 資料、支店から集まってきてるか?」
目の前の席に座る、今年で30歳の大台に乗った石岡主任が顔をあげて聞いてきた。明らかに疲れている。
時刻は金曜日の20時半過ぎだし、まぁ、当たり前と言えば当たり前か。俺も似たようなもんだろう。
さっき近くのコンビニで買って来た、本日の夕飯である鮭おにぎりを食べつつ作業していた俺は回答。
「賞与支給準備は終わりました。もう一度チェックしたら渡すので、数字のチェックお願いします。大丈夫なら来週半ばの振り込みは大丈夫です。年末調整は……ぼちぼち、ですね。東京と神奈川支店のは揃いました。兵庫、福岡、長崎はまだです」
何しろ――師走である。
うちは業界でもそれなりの規模ではあるものの、内実は中小企業と大して変わらない。総務は財務、経理、庶務、人事を兼務している。
結果、12月は普段の業務に加えて、冬季賞与計算、年末調整、忘年会の段取り調整、新年の神社参拝日調整に、新年会の店決め……猫の手も借りたくなる程の多忙となるわけだ。
1年目はお客様で、2年目は無我夢中。3年目ようやく戦力になっている俺からすると、面白くもあるんだが……ゴミをまとめ考える。一昨日のナポリタンは本当によく出来たし、美味かったわな。
PCの画面上には東京地区スケジュール一覧。
『四月一日幸:19時~21時 お客様接待です。直帰します』
あいつも今晩はやって来るまい。さっき『今日は別々な』と連絡しておいたし。
石岡さんと俺しかいない部屋に、諦念が響く。
「ぐぅぅぅ……今日は、金曜日だっていうのに……しかも、部長は『社長に捕ま――……こほん。飲みに誘われていてね』で、先に帰っちまったし。はぁ、俺達は何をしているんだろうなぁ、篠原?」
「え、えーっと……ほ、ほら! 来週、賞与出ますし! 彼女へのプレゼント選びでもすれば良いじゃないですか。もしかしたら、社長や役員の判断で、土壇場で評価上がるかもですし!」
「………………彼女には、先週振られた。社長には昨日、駄目出しされた。賞与、下がるかもしれん…………………」
しまったっ! 思いっきり、地雷を踏み抜いたっ!!
俺は、曖昧な笑いを浮かべ顔を伏せ作業を再開した。各店から提出された成績表と入力した評価、支給額が合っているかを確認していく。
……正直『俺がこんなの見ていいのかな?』と思うものの、誰かが作業はしないといけないわけで。
うちの成績は、SS・S・A・B・C・Dに分かれている。基準はBで、賞与減額無し。何もなければここに当てはまる。
逆にS以上を取る人は、その部署、支店のエース格と言っていい。その分、賞与額もかなり差がつく。
Sとか、Bの二倍+だし。SSにいたっては……まぁ、各支店でも数名だけれど。
――俺?
安定のBである。
総務は数字を稼いでいるわけじゃないので、全般、成績は上がりにくい。
なお、目の前で、「ははは~……どうせ、俺なんか~今年も、一人でクリスマスを祝うんだ~」と悲しい歌を歌いながら作業されている石岡さんはAだ。総務の実質的な主力は伊達じゃない。
総務部の入力チェックを終え、東京支店へ移る。
全般的に成績が良いので、Aが多い。Sもちらほら。景気が良いのは素晴らしい。それだけ、資金繰りも楽になるし。
そんな中、燦然と輝く『SSS』の文字。
『SS』ですらなく、『SSS』である。ぶっ壊れたガチャか。
これを取ったのは――
「……そう言えば、四月一日さん、今年も全店最高成績らしいな。おっそろしいよなぁ……社長賞も当確なんじゃねぇか、これ……」
石岡さんが、マグカップでインスタント珈琲を飲みながら、話しかけてきた。
俺は、チェックを続けながら、返答。『
「あ~……凄いですよね」
「……篠原、お前、四月一日さんに対して厳しくね? あの子、何せ仕事出来るし、美人だし、人当たりいいし、社長、役員、お客様からも、一切悪い噂を聞かない、っていう子なんだぞ?」
「別に普通の態度だと思いますよ?」
「そうかぁ? あ~……四月一日さんはクリスマス、誰と過ごすんだろうなぁ……。まぁ、あれだけ美人なら彼氏はいるんだろうけど……。篠原、お前はどうするんだ?」
「クリスマスですか……」
手を止め、考える。
……どうだろうか?
まぁ、チキンを揚げるくらいかもしれない。
「何処にも行かず、家ですね」
「…………彼女、とか?」
「いえ。友人と、だと思います。声かけてないんで、確定じゃないですが」
「そうかっ! そうかそうか……良しっ! 篠原、今日はこの後の、飲みに」
「……………」
酷い先輩だ。後輩がモテないのを喜ぶとは。
――全ての入力チェック、終わり!
賞与資料を金庫へ仕舞い、パソコンを落とし、コートを羽織って石岡さんへ挨拶。
「終わったので、お先です。今週もお疲れ様でした。」
※※※
帰宅したのは、22時過ぎだった。
携帯を確認すると『さっき終わって、既に帰宅ー。つ~か~れ~たぁ~……明日~。おやすみ~』。流石のあいつも疲れたようだ。
……明日、何かあったか?
小首を傾げながら、さっさと着替え何となく冷蔵庫を眺める。
「あ~……四月一日のバケットと、その後に買って来た食パンが残ってら……」
指でバケットに触れてみる。カチコチだ。普通に食べると、歯が負けそう。
食パンは4㎝程。そのまま食べるには厚いか。
プレミアムなビールをあけ、飲みながら暫し思案。
――結論。明日の朝食は、10時間以上漬けたフレンチトーストとする!
そうと決まれば、話は早い。
四月一日へ『お疲れ。おやすみ』と送っておき、冷蔵庫から卵、牛乳、生クリーム、食パンを取り出す。バケットは……明日、考えよう。
卵を割って、ボールへ。その中に粗製糖を大匙半分。レシピだとこの倍以上入れるのだけれど、うちは砂糖少な目。
ビールを飲みつつ、泡だて器でシャカシャカ。
その中に、50㏄ずつの牛乳と生クリームを入れ、再びシャカシャカ。
それをざるで濾す。これをしないと、舌触り悪し。
濾した液体にバニラエッセンスを数滴振る。
食パンを両面浸し、容器へ。
耳を取るべし! というレシピも多い印象だが、耳だけ残してもなぁ。
フォークを使ってよく浸みるように穴をあけて、ラップで密閉。
これで、フレンチトーストの仕込みは終了!
今が22時半くらいだから……
「12時間くらい漬けるかな?」
独白し計算。
うん、明日は寝坊してもいいだろ、土曜日だし。寝る前に、ひっくり返すか。
ビールを飲み切り、洗い物。
その後、風呂に入り、忘れずフレンチトーストをひっくり返し、俺は眠りについた。
――翌朝、当然のようにやって来た四月一日幸が、染み染みになったフレンチトーストを発見するまで、後10時間。
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