篠原君ちのおうちごはん! ~ ただ、隣に住んでいる女の同僚と毎晩、ご飯を食べる話~

七野りく

第一章

プロローグ

 今日の晩御飯はコーンスープを作ろう。 


 各支店から集まってきた今月の売上成績をまとめながら、俺はふとそう思った。

 時刻は現在18時半。なお、定時は17時。

 普段は残業が少ないうちの総務部も絶賛残業中である。……金曜日なのに。

 師走が近づき、この数日は酷く冷えた。こういう日は温かいスープが飲みたくなるのが、人情というもんだ。

 冷蔵庫の中身を思い浮かべる。

 玉ねぎは――まだまだあるな。この前、実家から送られてきたし。コーンの缶詰めもあった筈。

 肝心の牛乳は……書類を捲っていて、名前が目に飛び込んできた。


『東京支店営業部:四月一日幸わたぬきさち


 今月も営業成績トップ。

 東京支店が誇る若き入社五年目、俺と同い年23歳の大エース様は、年度末に向け売上が数千万円の大型案件も受注したようだ。


「…………」


 何とも言えない気持ちになり、数字を入力。仕事は出来るのだ。仕事は。

 ……良し、終了、と。

 前の席で社長説明用資料を頭を抱え呻きながら作成している、先輩の石岡さんが顔を上げた。


「……篠原、終わったのか?」

「終わりました。今月は、何処の支店も調子が良いみたいですね」


 俺はパソコンをシャットダウンし、手早く机の上を片付ける。

 コート掛けから先月、強制的に買わされたコートを回収。

 席へ戻って鞄を手に取り挨拶。


「それじゃ、お先、失礼します」


 未だ書類と格闘している石岡さんがギロリ、と俺を睨んできた。


「……篠原、待て。少し待て。後三十分でいい」


 にっこりと微笑みながら、コートを羽織って返答。


「飲みには行きません。数字のチェックお願いしますね」

「…………了解」


 恨めしそうに俺を見た後、視線を戻した。

 また今度一緒に飲みに行こう。何せ、数学嫌いだった俺に経理のイロハを教えてくれた先輩なのだ。

 他の同僚――総務兼経理部兼財務部の面々にも挨拶をして、ビルを出る。

 すぐさまビル風が吹きつけて来た。


「……さむっ」


 思わず独白しながら、駅へ向かう。

 ……マフラーも買うかなぁ。

 一先ず、今週もお疲れ様、俺。

 さて、この後は帰りに牛乳と……ああ、生クリームも買うかな? 余ったら、フレンチトーストでも作ればいい。

 他、買うものは――携帯が震えた。

 メッセージを確認。

 名前は『ラッキーガール』。

 ……何度見ても、酷いネーミングだと思う。


『お疲れ~。仕事、終わった?? 私はまだ出先! もう一件、商談したら直帰~。あ、今晩は餃子ね! 焼くのと! 茹でるのと! 揚げるの! 決定っ!!! 雪継ゆきつぐは揚げるのやって!』


 ……金曜日だからって、また、年頃の女性らしからぬコメントだな、おい。

 確かに餃子は美味い。

 冬場であっても、餃子&キンキンに冷えたビール、のコンビに隙はない。


 ――だが、しかし。今晩はコーンスープの日なのだ。


 第一、餃子がない。冷凍餃子や出来あいの物を買う気分でもない。

 大エース様はまだ仕事のようだし、今晩は別になるだろう。返信。


『却下』


 そのまま地下鉄の改札へ。

 電車を待っていると、再び携帯が振動した。


『な・ん・で・よっ!!!!! もう、私のお腹は、餃子を……そして、暖房を入れ、こたつでぬくぬくしながら飲む、キンキンに冷えたビールを欲している……。それ以外は受け入れられない! あと、きちんと、ほ・う・こ・く!!!! ホウレンソウは基本中の基本でしょう、篠原雪継しのはらゆきつぐ君? そんなに、四月一日先輩からの新人教育受けなおしたい――……はっ! ま、まさか、私の気を引くために!?』


「…………うぜぇ」


 思わず小さく零してしまい、そのまま返事をせず携帯を仕舞う。

 ちらり、とホームの時計表示を確認。

 19時前。夕飯はざっくり20時半目安で良いだろう。

 あの様子だと、今晩も食べに来る気のようだが、もし来なかったら明日の――三度、携帯が振動。今度は着信だ。そこまでして餃子が喰いたいのか。

 地下鉄がホームへやって来る。渋々出ると、早口で呪いの言葉を吐かれた。


『……先に食べたり、ビールを飲んでたら高校時代の黒歴史を全部白日の下へ晒す』

「はぁ!? お前なぁ……第一、餃子なんて」


 ないだろうが、と最後まで言い切る前に前に通話終了。

 通話時間、僅か五秒。すぐさまメッセージが入る。


『帰宅は20時過ぎる。お取り寄せした餃子、冷凍庫に入れておいた! 私、焼くのプロよ? 揚げるのは任せた! 嫁入り前に綺麗な肌を傷つけるわけにはいかないから!!』

「…………」


 自分の顔が何とも言えない感じになっているのが分かる。

 こんなのでも、中の上の文具メーカーである、うちの社内ではトップ営業として名を馳せ、性格、器量ともすこぶる良し、とされているのだから世も末だと思う。既に係長だし。

 いやまぁ、実際、とんでもない営業成績を見せつけられると何にも言えんけれども……週末、酒を飲む度、延々と自慢してくるのはウザイが。

 地下鉄の乗り、メッセージを返す。


『今晩はコーンスープ。餃子はまた今度な。あと、人の家の冷蔵庫を勝手に使うな!!!』


※※※


 寒い家に帰宅し、部屋着に着替えた俺は早速、コーンスープ作りを開始した。

 暖房をつけ、黒猫が描かれたエプロンを装着。

 少し考え、テーブルの上に携帯を置いておく。

 あれで、四月一日の奴は無視し過ぎると思いっきり拗ねる性質を持っていやがるのだ。そういう所は、高校時代とまるで変わってない。

 まず、玉ねぎを薄く切る。父親が趣味で作っているものだ。

 切り終えたら鍋にバターと玉ねぎを投入。。

 透明になってきたら、コーンクリーム缶を開け鍋へ。

 軽く塩胡椒し炒めたら、コンソメと牛乳を入れ、暫しそのまま。

 携帯は――反応せず。遅くなるか?

 鍋の中身を一度濾す。

 まぁ、一人ならしないんだが……偶には良いだろう。こっちの方が美味くなる。

 鍋を極弱火。その間にトマトとレタスを切り、簡単なサラダを作成。冷蔵庫で冷やしておく。

 スープを味見。


「ん~……こんなもんか」


 呟き、火を止める。後は食べる前に生クリームをほんの少し入れて、親父手製のハムを厚切りでも焼けば――普段、パンを入れている籠を見やる。

 …………しまった。

 今朝、パンを食べ切ったことを忘れていた!

 仕方ない、買いに――携帯が鳴った。

 出ると、上機嫌な四月一日の声が響く。


『マンション、見えてきた~♪ コーンスープ出来た? 出来た??』

「あ~……出来はしたんだが……」


 俺が答える前に玄関が開く音。

 勿論……鍵は閉めてある。

 携帯を持ったまま、長い茶髪で小柄、スーツ姿の若い女――四月一日幸が部屋へ侵入してきた

 控えめに言って美人。……悔しいので口にはしないが。

 この女、謎なことにこいつは俺の部屋の合鍵を持ってやがるのだ。

 なお、俺は向こうの家の合鍵は持っていない。押し付けられそうになった際、断ったら本気でグーパンされた。

 どうやら、隣の自分の部屋にも戻らずこっちへ来たらしく、高そうな鞄と紙袋を持っている。……あのマーク、都内でも有名なパン屋の

 四月一日はニヤニヤ。こ、こいつ!

 俺は椅子に座りながら携帯を手に取り、緊急ボタンを押す振りをする。


「あ、警察ですか? 不法侵入者」

「あら? 篠原雪継君、私にそんな態度をとっていいのかしらぁ? コーンスープにはぁ、美味しいパンが必要じゃないかしらん?? どーせ、スープ作りに熱中し過ぎて、パンを忘れたんでしょう? ふっふっふっ……見よっ! これを~☆」


 四月一日は紙袋の中から、バケットと白ワインを取り出した。

 ぐぬぬ……。

 俺は軽く手を挙げ、降伏。


「はぁ……参った。俺の負けだ。お疲れさん。もう出来てるから、手を洗って、うがいをしろ。あと、着替えて来い。隣の部屋なんだから」

「あんたは、私のお母さんか! 面倒だし、シャワー借りるね~」

「おい、こら、貴様」


 呼び止めると、腐れ縁はぶすり。

 紙袋とワインを手渡される。


「……私には、四月一日幸てっいう名前があるんですけどー」 

「ラッキーガール、止めろ」

「…………」


 四月一日は無言で鞄を両手持ち。

 目がマジである。というか、少し恥ずかしい自覚はあったのか。

 俺は対抗。


「今、ここで俺を殺って……本当にいいのか?」

「私の気が済むわ。後の事は後の私に任せる!」

「明日以降――揚げ餃子は食べられなくなるけどな。お前、揚げ物出来ないし」

「!? 卑怯者っ! 餃子を人質に取るなんて恥を知りなさいっ!! 私が厳選に厳選した、美味しいやつなんだからねっ!」

「……二十三歳、独身女子で、うちの社内だと『大エース様』『四月一日様』とかって言われて、崇められている人の台詞じゃねぇなぁ」


 げんなりしつつも、ひらひら、と手を振る。


「とっとと、シャワー浴びて、着替えてこい。その間に準備はしとく」

「りょーかい。あ、お風呂沸かして、一緒に入るぅ~?」

「…………それ以上、口にしたら、貴様の高校時代の写真を会社でばら撒く」

「え? 別にいいけど?? ほら、私ってば、高校時代から可愛かったし?」

「…………」


 心底うぜぇ。しかも、事実なところがまた何とも……。

 俺は小さなビール用冷蔵庫の隣に鎮座している、小型のワインセーラーへ白ワインを入れる。両方共、四月一日が買ったものだ。

 ……最近、生活空間そのものを侵食されているような?

 四月一日は、これ以上俺が構ってくれないと理解したらしく、勝手知ったる何とやら、そのままバスルームへ消えた。「しのはらくんの~コーンスープ~♪」なんて鼻歌まで歌ってやがる。

 ……にしても、どうして、毎晩、一緒に飯を食べることになってるんだろうか?


「まぁ……今更だよな……」


 溜め息を吐き、俺はバケット切り始めるのだった。



 ――これは、大学を中退し就職した会社の同い年の先輩が高校の同級生で、しかも、引っ越した先で隣に住んでいた結果、何となく一緒に夕飯を食べるようになったっていう、他愛のない話だ。

 少しの間、付き合ってくれると嬉しい。    

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