第二章

プロローグ

「篠原~仕事、終わるか?」

「たった今、終わりました」


 先輩の石岡さんの質問に答えた俺は、パソコンの電源を落とす。

 既に季節は二月半ば。時刻は18時過ぎ。総部部内に人は俺達以外いない。

 少しずつ、魔の決算期が忍び寄りつつある。まぁ、本格的に開始されるのは、各店の決算が締まった後だから、三月になるのだが。

 その頃には、新人さん達も入って来ているだろう。……いきなりの修羅場を見て、ひかないでほしいが。なお、俺は新人時代に戦慄した。

 石岡さんが呻く。


「そっかよぉ……俺はまだだ……」

「お疲れ様です」

「くそぉ……ようやく、悪夢のヴァレンタインデーという製菓会社の陰謀を乗り越えたってのによぉ…………」

「? チョコ、山ほど貰っていませんでしたか?」

「俺が、欲しいのは、本命、だっ!!!!! 断じて、五円チョコ詰め合わせ☆ じぇねぇぇぇぇぇ!!!!!」


 先輩の慟哭が総務部内に響き渡る。大分、きておられる……。

 俺は曖昧に笑い、席を立ちコート掛けへ。未だ、外は寒い。

 五円チョコを齧りながら石岡さんが尋ねてくる。


「……篠原はどうだったんだ?」

「俺ですか? んー……妹からくらいですね。他は、石岡さんと変わらないです」

「そうか…………そいつは悪いことを聞いちまったな。どうだ? 花金だし、この後、呑みにでも」

「20時まで待つのは勘弁です」

「くっ! 俺の仕事が終わる時間を正確に読むとは……篠原、成長したな。俺は、嬉しいぜ…………」


 仰々しい演技。こういう妙に明るい所が、会社からも評価されているんだろう。

 俺は鞄を手に取り、挨拶。


「では、お先に失礼します」

「おう、お疲れ」


※※※


 会社を出て、家路につく。

 さて、今晩は何を作ろうか――携帯が震えた。

 取り出し、確認するとメッセージ。差出人は『四月一日幸』。

 デデン、と鶏肉の写真が貼られている。どうやら、近所のスーパーのタイムセールだったらしく、五割引きのシール。


『安かった!!!!! 今晩はチキンライスorオムライス!!!!! 雫石で食べられなかったから、食べたい!!!!!』


 二月初めに四月一日と行った、スキー旅行中、それなりに豪勢な物を食べたので、そういう食事はしなかったのだ。

 俺は、冷蔵庫の中身と調味料を思い出す。ま、作れるわな。メッセージ。


『了解。まだ、地下鉄乗る前だから、先に作っておいてくれ』

『え、やだ』

『何でだよ!』

『雪継と一緒に作りたいもん! ……ダメ?』


 可愛らしい黒猫のスタンプと共に、甘えた文言が送られてくる。

 ――が、俺には通じんっ!

 冷たく返信。


『……お前、鶏肉の処理するの苦手だもんな』

『!?!!! そ、そんなことないし。よ、余裕だし。四月一日幸さんは、何時でもお嫁さんに行く準備、整っているしっ!』

『へーへー』

『篠原雪継君が可愛くなーい。この前だって、わざわざチョコあげたのにー。新入社員の頃はあんなに素直で――……あれ? 素直だったっけ??』

『素直だった、素直だった。取り合えず、ケチャップとサラダ、スープだけ作っておいてくれよ。チキンライスは俺が作るわ』

『りょーかい。待ってるね~』

『おう』


※※※


 家に帰り、玄関を開けると、コンソメのいい匂いがした。

 洗面所で手を洗い、キッチンへ行くと、四月一日の明るい声。当然のように着替え終わり黒猫のエプロン姿。椅子には鞄が置かれている。

 こいつ、自分の家にも帰っていやがらねぇな。


「お~か~え~り~。お腹減った~」

「ただいま――……いや待て。取り合えず、お前は自宅へ一度帰れ」

「え、やだ。それよりも、早く作って! ケチャップは作っておいたから!!」


 あっさりと拒絶し、小さな硝子ボウルに入れられたケチャップを自慢気に見せてくる。

 俺は鞄を椅子に置き、コートをコート掛けにかけ、ネクタイを緩めようとし――四月一日がスープの火を止め、近づいてきた。

 そのまま自然な動作で手を伸ばし、俺のネクタイを緩める。


「お疲れ様♪」

「お、おぅ……お前もな」


 流石にドキマギ。

 四月一日幸は、誰がどう見ても美人ではあるのだ。

 着替えるも面倒なので、そのまま白猫のエプロンを身に着ける。

 ――えーっと、玉ねぎと人参が切ってあるし、ご飯も炊けている、と。

 四月一日が冷蔵庫を開け、鶏肉を出してきた。


「は~い♪」

「ん~」


 受け取り、まな板の上に広げて出す。

 最初に鳥皮を手ではがし、次いで、包丁を使っていらない脂肪や筋を処理していきながら、一口大に切っていく。

 俺の隣には、四月一日幸。


「? テレビか動画でも視てていいぞ。もう、スープとサラダも作り終わってるんだろ?」

「うん~。でも、ここでいいや~」

「……さいで」


 楽しそうなのでそれ以上の追求はしない。

 鶏肉を切り終えたら、フライパンにさっき取った鳥皮を投入。

 油を取っていく。火は弱火だ。

 パチパチ、という良い音が響く。


「あ、そう言えば、この前の雫石のお土産、ママが喜んでた~」

「そっか。うちも、おふくろが同じ反応してたわ。菜種油って汎用性高いしな~」


 カリカリになった鳥皮を小皿に引き上げる。

 レシピ本通りなら、これは捨ててしまうんだが……俺は幾つかに切り分け、塩、そして柚子胡椒。四月一日がニヤリ。


「うわ……また、背徳なおつまみを……」

「先、飲んでていいぞ」

「うん! ありがと☆」


 四月一日は冷蔵庫からビールを取り出し、グラスに開けもせず俺の隣で呑み、嬉々とした様子で鳥皮を摘まむ。

 ……いや、テーブルで呑め、という意味だったんだが。

 若干呆れつつも、鳥油が出たフライパンへ、切り分けた鶏肉とみじん切りされた玉ねぎ、人参を投入。炒めていく。

 そこへ強めの塩と胡椒。ここで、味をある程度、つけておくと後々調整し易い。

 上機嫌な四月一日へ指示を出す。


「ごはん、よそってくれ。あと、バター」

「は~い」


 具材に火が通ったので、一旦取り出す。

 すると、温かいご飯とバターが置かれた。四月一日はニコニコ。

 何がそんなに楽しいんだか。


「あ~……ケチャップは」

「トマトケチャップに、固形コンソメ1/3、白ワイン、中濃ソース少々を合わせて、火を入れて水分を飛ばしておいた」

「……正解」

「ふっふ~ん♪」


 四月一日が美味そうに鳥皮を口へ放り込んだ。俺の分も残しておけよ?

 フライパンにバターを入れ、溶けたらそこへ温かいご飯。

 『炒める』ではなく『混ぜる』というイメージで。

 キッチン内に、良い匂いが漂う。

 大エース様が真理を口にした。


「……これにお醤油だけでも、私、食べられると思う」

「揚げたニンニク入れたら、ガーリックライスだしな」


 混ぜ終わったら、先程炒めておいた具材を投入。

 これまた、混ぜるだけ。

 そこへ黒胡椒、ケチャップ。

 隣の四月一日が移動し、スープに火を入れた。


「そう言えば、雪継、お花見、何処へ行く?」

「? いや、会社のは毎年同じだろ」

「ちーがーうー」


 フライパンの中身をさっと、混ぜていく。もう、この時点でチキンライスだ。

 混ぜ終えたら、スプーンを二本取り出し、すくう。


「どういう意味だよ。味見」

「プライベートの話! ――もう少し塩かも?」

「花見は混んでなぁ……家の近くで十分じゃね? 確かもう少し塩だな。ベーコン入れてない分、足りないか」


 塩と粉チーズを少々いれ、さっと混ぜお皿へ盛り付け、上から乾燥パセリ。

 四月一日もコンソメスープとサラダ、新しいビールとグラス、残った鳥皮をテーブルへ。

 座って、お互い手を合わす。


「「いただきます」」


 まずはチキンライスを一口。

 ――あ~うまい。

 この作り方、簡単だけど美味い。べちゃべちゃにもなってないし、大成功。鶏肉を贅沢に使ってる分、旨味も出てる。

 白ワインがポイントなんだよな。

 目の前の四月一日がニコニコ。


「おいし~☆ 雪継、天才!」

「そうだろう。そうだろう」

「ま、私のケチャップのお陰だけどね~★」

「…………二度と作ってやらんぞ」

「そういうことをいう会社の後輩には、高いアイスあげないぞー。北海道展で売ってたやつ! 今日、営業先で買って来た!!」

「! な、なんだと……くっ! こ、この卑怯者めっ!! 恥を知れっ!!!」

「勝てば官軍。負ければ賊軍。勝負の世界は非情なのよ、篠原雪継君? ――あ、話、戻すけど、お花見、行かなくていいけど、お弁当は食べたいな~」

「弁当?」

「そう、お弁当。唐揚げとか卵焼きとか色々入ってるやつ!」

「……それを俺に作れ、と?」

「ちがーう」


 四月一日が手を伸ばし、俺のグラスへビールを注いだ。

 俺も御返しで注いでやる。

 古馴染は満面の笑みを浮かべた。


「二人で、作って食べたいの! 勿論、作るのは雪継が7:私、3で!」

「……そこは5:5にしておけよ。まぁ、桜が咲いたら、な」

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