暴食 gluttony_07

 画面には被害者が何者かと並んでホテル内のエレベーターに乗り込む姿が映っていた。

「嘘だろ、そんな、参ったな……」

 被害者と一緒に映っていたのは、華奢で小柄な人物で、一見するとボーイッシュな女性にも見える。だが、手の形や骨格的特徴から男性だろうとすぐに察せられた。

 犯人は、男性だった。

 特徴の無い黒いパーカーと細身のジーンズに、濃灰色無地のショルダーバッグを斜め掛けにし、足元は黒いハイカットスニーカー。フードを目深に被ってマスクと特徴の無いサングラスで顔を隠している。どれも大量生産品に見える。販売ルートが特定できる品ではなさそうだ。身長は目測で百六十センチほど。それ以上の情報は無い。

 映像は一旦消え、すぐに同じ場所が映し出される。早朝六時過ぎ、同じ格好の男が、今度は一人でエレベーターから出てくる姿が映っていた。服装に乱れや汚れ等は無く、特に動揺した様子も見られない。極めて普通の様子で歩いてカメラの視界から消えた。顔は分からない。慎重な性格のようだ。

「昨晩九時頃、近所のコンビニエンス・ストアの防犯カメラにも同じ二人組が映っていたのが確認できた。ここでもホシはマスクとサングラスを外していない。親し気な様子は無く、被害者は煙草と缶珈琲を買っただけだ」

 誰からともなくボソッと力の抜けた呟きが零れた。

「犯人、男だったんですね……」

「そうだ。当初、犯人は女性だと思われていたが、これで男性の犯行と断定された」

 あちこちから声にならない呻きが響いた。誰もが犯人は女だと思い込んでいた。そのせいで、聞き込みと職質では女性を重点的に当たってしまった。貴重な初動捜査の時間を無駄にしたのだ。先入観のせいで取り逃がしたかもしれない。気まずさと後悔に捜査員全員が形容し難い表情を浮かべた。

「ゲイの連続殺人鬼って事ですかね。映画かドラマみたいですね……」

「ああ、なんだっけ……殺人ピエロの話か?」

「ジョン・ウェイン・ゲイシー?」

「あれ、実話らしいですよ」

「ついに日本にも上陸か」

 誰かが不謹慎な冗談を言い、小さく口笛を吹いた。

「軽口はやめろ。会議中だぞ!」

 捜一課長の一喝で浮ついた場は、一旦はシンと静まり返った。犯人がどんな人物であろうとも、気を引き締めて捜査に集中しなければならない。

 しかし動揺はさざ波のように講堂全体を浸食していた。

 犯人は女ではなかった。信じられない事に鬼女などではなく、小柄な男だったのだ。

「遺体に情交の跡は無い。もっと言えばレイプされた形跡は無い。ゲイの犯罪と断定するのは早計だ」

「でも、男同士でラブホに入ってるんですよね。犯人は華奢で小柄ですし、そっちが女役なのでは?」

「とにかく、情交の跡は無かった」

 新宿署の堀田係長は詳細に言及する事を避けた。なんらかの科学的所見が出ているのだろうが、口にするのが憚られたのだろう。口籠りたくなるのは理解できる。

 ざわざわと奇妙な空気が広がる。この雰囲気は拙い。同性愛に対しては未だ根深い偏見と差別がある。積極的に否定や攻撃をしなくとも、男は特に、なんとも形容し難い反応になりがちだ。喉に小骨が引っ掛かったような、尻の据わりが悪いような、どうにも身の置き場が無い、妙な気分になるのだ。それだけでなく、予断があったという事実は、彼らの精神を打ちのめしていた。肩透かしを食らって、侮辱されたような気分にすらなり、捜査員たちのモチベーションは酷く下がっていた。四時間も足を棒にしてローラー作戦を行った疲労もあり、緊張の糸が切れるのが目に見えるようだった。

 その時、新宿署の春夏秋冬ひととせという刑事が素早く手を挙げた。まるでムードを変えようとでもいうように、場違いなほど明るい口調で発言する。

「今朝のニュースで見たんですが、似た小説があるらしいですね」

「小説?」

 唐突な話題の提示に唐尾係長は眉を顰める。

「この事件と同じ殺害方法が書かれているらしくて……模倣犯かも、と……」

 そこまで言った時、早瀬管理官が言葉を継いた。

「私もそのニュースは見ました。小説に影響を受けて……つまり、作中の事件になぞらえて、三鷹における猟奇殺人は行われたとする見解が出されていました」

 ほう、と唐尾係長もさすがに表情を変える。

「タイトルは分かりますか、早瀬管理官?」

「兵藤静香という作家の『黄金の林檎』という作品です」

「さっそく読んで内容を精査します。眉唾ですが、もしもそうだと仮定して、なぜ犯人は兵藤静香の小説になぞらえているんでしょうね?」

「ファンだからではないのですか?」

「まあ、そうだとは思いますが、それだけでしょうか?」

「分かりません……」

 早瀬管理官は叱られたように俯いた。唐尾係長は自信を持ち切れていない上司をさりげなく無視し、一堂に問い掛ける。

「誰か、その小説を読んだことのある者は?」

 はい、と警視庁の大利根刑事が手を挙げた。唐尾係長は細い狐目を見開いた。無骨な大利根が小説を愛読していたとは意外だったのだ。

「どんな内容です?」

「概ね本件と同じ手口の猟奇殺人が書かれていました。胸骨と心臓を取り出して林檎を詰め込むやり口です。ただし、水晶の馬と牛は小説には出てきません。逆に、その点を以って、三鷹と今回の事件は同一犯と考えられるはずです」

 大利根の説明に、お調子者の但馬が皮肉な声音で横槍を入れる。

「その小説、同性愛描写があるんですか?」

「無い」

 大利根は簡潔に答えて黙り込んだ。

「ゲイか……俺達には関係の無い世界だな。あれ? て事は、三鷹の被害者も男に誘われてほいほい付いて行ったゲイって事になるんですか。こりゃ参りましたねぇ」

 嘲笑う調子で軽口を叩く但馬に釣られて温度の低い笑いが広がる。

 つくづく良くない流れだった。捜査の熱は散っていた。同性愛に接した際には、茶化して笑い事にしてしまう男が多い。差別意識を持つべきではないと教育され、それが正しいと頭では理解できていても、理性的になれないのだ。前時代的で狭量な者達にとって、いまだにゲイは考えたくないモノなのだ。

 但馬に迎合して低い声で笑う者達の顏には「自分達は関係無い」という安堵の表情が浮かんでいた。

 そんなムードに早瀬管理官と唐尾係長が渋い顔をした時、それまで静観していた郷田が立ち上がった。

「バカ野郎。ゲイの事件だからといって一線を引くな。女が被害者の強殺と同じに真剣に当たれよ。被害者の心情に誠心誠意寄り添えないなら刑事なんてやめちまえ!」

 乱雑に一喝されて、但馬は不満げに唇を尖らせる。

「分かってますよ。真面目に捜査しますって。当たり前じゃないスか」

「分かってるならいい」

 どすんと郷田は腰を落とす。パイプ椅子に座り直してムスッと両腕を組んで但馬を睨みつける。但馬はぶつぶつ言いながらも姿勢を正した。

 郷田は竹を割ったような性格で何にでも真っ直ぐ向き合う。そんな郷田に気圧されて、ともかくも全員が顔を引き締めた。


   ***


 幾分か動揺が収まった後、手早く捜査担当とペアが決められる。本庁から出向してきた刑事と管轄署の刑事が二人一組になって捜査に当たるのが基本だ。事件解決まで、あるいは捜査本部の解散まで同じ相手と組むことになる。

 名前が次々に呼ばれ、呼ばれた者が手を挙げる。そうしてペアの相手を確認し、割り振りが告げられると、各々立ち上がって自分の組の者と固まり始めた。

 捜査本部に動員された捜査員は、鑑取り、地取り、物証捜査、特命捜査の四隊に分けられる。司令部になるデスクは早瀬管理官と唐尾係長だ。特捜は、被害者の交友関係や仕事関係を洗い、時に捜査指令部の緊急の命令もこなす、いわば遊撃隊のような役割だ。被害者の身内や恋人など極めて親密な人物の捜査は鑑取り班が担当するので、それ以外の関係者を捜査すると言えば分かり易い。ちなみに、地取りは周辺地域の聞き込み捜査、物証は証拠品や寄せられた情報の裏取りを行う。

「次、二階堂、春夏秋冬ひととせ。特命捜査班」

 自分は特捜に振り分けられたか……

 二階堂は名前を呼ばれて手を挙げ、自分と同時に手を挙げた新宿署の若手刑事の顔を見て言葉を失った。この帳場でコンビを組むことになったのは、ついさっき、本件と同じ手口の猟奇殺人事件が描かれた小説があると発言した新宿署の妙に若く見える刑事だったのだ。

 発言時から実は気になっていた。人を外見で判断するのは愚かな事だが、しかし、どう見ても刑事には見えない男だ。こんな奴が相棒で大丈夫かと不安になる。

 そんな二階堂の煩悶など気付きもしない軽い様子で、新しい相棒はサッと立ち上がり近付いて来た。仕方なく二階堂も挨拶する為に立ち上がる。

春夏秋冬ひととせ晴翔はるとです。季節のシュンカシュウトウと書いてヒトトセと読みます。覚えにくいので、下の名前で気軽にハルトと読んで下さい。よろしくお願いします」

 晴翔は屈託のない笑顔で板に付いた敬礼をした。

 髪を茶色に染めて、ラフな柄物のTシャツとカーゴパンツに、薄手のモッズコートを羽織っている。足元は黒いミリタリーブーツで、軽薄な若者風ファッションだ。どう見ても警察官には見えない。それどころか、柔和な顔立ちのせいで二十歳そこそこに見える。これが本当に新宿署捜査一課で、殺人事件などの危険な強行犯捜査を担う刑事なのだろうか。にわかには信じられず何度も瞬きをしてしまった。

「君、年齢は?」

「二十九歳です。服装がお気に障ったのかもしれませんが、新宿ではこういう見た目が功を奏す場合もあるんで、まあ、郷に入れば郷に従えですよ」

 チラリと二階堂の三つ揃えの高級スーツを視線で撫でて晴翔は軽い嫌味を言った。

 機先を制され、二階堂は面食らう。容姿にそぐわず察しの良い男だ。軽薄そうに見えて実は要領が良いタイプだろう。嫌味を言ってもムードが明るい。きっと人に好かれる。それは自分には無い素養だ。なんとはなしに反発を覚え険悪な気分になる。こんな奴と組まなければならないとは幸先が悪い。二階堂は半眼の仏頂面で晴翔を睨んだ。

「二階堂崇彦だ。よろしく頼む」

 軽く頭を下げたが、敬礼も握手もしなかった。


   ***

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