色欲 lust_05
「鵜辺野をひっかけた野郎を見たって奴がいねえ。警察に事情聴取されるのを避けて、
「セクシャリティを隠す為に、警察の捜査にも協力出来ないって事ですか?」
「納得いかねえか?」
「いえ、理解は出来ます」
聞き込みの際の福生の態度を思い返せば想像が付く。伊東が何も吐かないのも何らかの保身があればこそだろう。それが、犯行に関わった証拠なのか、違うのか、どうにも感触が掴めない。探られたくない腹がある者は、何か知っていても黙って秘密を抱え込む。藪を突いて蛇が出ては堪らないからだ。
誰も、自分を不利に追い込んでまで証言などしない。
「鵜辺野さんって、どんな人だったんでしょうね」
軽い声で晴翔が横合いから口を挟んだ。手には署内の自販機で買ったカフェラテのペットボトルが握られている。こんな時でもリラックスしている晴翔を見て、二階堂は奇妙な気分になった。堅城の態度が軟化したのは晴翔のお陰だ。捜査中も晴翔がムードを緩和してくれなければ、何の進展の無い息苦しさに、もっと追い詰められていたかもしれない。飄々としていて軽薄にすら見える男だが、何か持っているのかもしれない。
「鵜辺野遼か……報告書はアッサリしてるな」
「親族に当たってるのは大利根さんと郷田さんのペアか……」
「友人の線は潰せそうなのか?」
「トラブルは特にありません。誰かと口論するようなタイプじゃなかったようです。銀行口座の金の動きに妙な部分は無いようですし、普通に貯金してるんですよね。地域の慈善活動、主に清掃に参加していて、評判は良好。恋愛関係にあった相手もいない。まあ、二丁目で聞き込みしてもろくな情報は出て来ないんですが……」
カバンから取り出した捜査書類をめくり、晴翔は、あっ、と声を上げた。
「セクシャリティの件、お母さんと妹さんには打ち明けてたんですね。しかも妹さんの話によると、鵜辺野さんは恋愛対象が男性なだけで価値観は極めて普通だったようです」
「極めて普通って?」
二階堂と堅城は声を合わせて言ってしまい、お互い気まずさを隠す為に咳込んだ。
「恋人と家を買うのが夢だったそうです」
「それが普通……まあ、普通だな」
晴翔は手にしていた捜査資料をテーブルに置き、さっきまで手に持っていたカフェラテのペットボトルを持ち直し、キャップを開けて一口飲んだ。飲みますか、と差し出されたが二階堂は無言で遠慮する。
「それにしても……犯人は、どうやって被害者を物色しているんでしょうか? 鵜辺野さんが殺害された時は、まだ連続殺人とは判明していませんでしたし、当然、ゲイの男性が狙われているなんてニュースにもなっていなかった。そんな状況なら、犯人にナンパされて付いて行ってしまった鵜辺野さんの心情も理解出来るんですが、鵜辺野さんの事件の後は、三嶋さんの件まで掘り返されて派手にニュースになっていますよね。ゲイが狙われていると分かっている状況で、しかも鵜辺野さん殺害現場の近くの歌舞伎町のラブホテルまで、普通の神経なら付いて行かないんじゃないでしょうか?」
「高塚は普通じゃない。腕っぷしにも自信があったんじゃないか?」
堅城が言い、二階堂も同意する。まったくその通りだと思う。
「画像で見る限り、ホシは華奢で小柄だ。俺でも油断するよ」
「高塚さんは、同居人の言うところを信じれば、喜んでナンパに乗るタイプですね」
「で、油断して殺されたのか。昏睡強盗ならぬ、昏睡殺人だな」
「ああいうタイプに声を掛けられても、まさか世間で噂されてる猟奇殺人犯とは思いもしない――万が一、何かされても、小さくて弱そうな相手ならどうにでも出来ると高を括ってしまう――って事ですか。ヤバイですね、これ。次も危ないですよ?」
「睡眠薬とMDMA、さらに強いアルコールを飲まされ、酩酊状態になったところで扼殺されている――という手口を発表して注意喚起してはどうだろう?」
「それは管理官が決める事だ」
ぴしゃりと堅城に言われ、二階堂は早瀬管理官の顔を思い浮かべた。彼女はそんな決断をするだろうか。分からない。
はああ、と晴翔は大仰な溜息をついた。
「鵜辺野さんと高塚さんは、犯人とホテルに入り、勧められた飲食物を口にする姿も想像出来るんですが、三嶋さん場合はどうしても想像が付かないんですよね。三嶋さんは異常に用心深くて、派手に遊んでいたわりにはメールアドレスすら誰にも教えなかったそうなんです。俺に用がある時は伊東に連絡して、と嘯いていたらしくて。そんな人が、行きずりの相手に差し出されたものを口にするとは思えません」
確かに、と堅城の顔色が変わる。二階堂も我知らず身を乗り出していた。
「そういう意味では、三嶋だけ異質だな……」
「人間味が感じられないんですよね」
そうだ。三嶋和臣だけ人間味が感じられない。違法薬物の売人をしていたというキナ臭い噂があり、母親に暴力を振るっていた高塚でさえ、調書を読むと、同居人の誕生日にうさぎを買って来て結局は自分が可愛がっていたというような人間臭い話が出ていた。
それが、三嶋には一切無い。品行方正で良い人だった、あるいは酷い男だったという話は出ても、温かみのある矛盾や失敗などのエピソードが無い。彼は善人だと言う人達の証言の中には、作り上げられた無機質なイメージだけが無味無臭でそこにあり、悪人だと言う人達の証言の中には計算高い冷徹な顔だけがある。表と裏の顔は完全に切り離され、管理されていて、人間らしい計算不足――不完全さとでも言えばいいのだろうか、そういったブレがまったく感じられない三嶋は不気味でさえあった。
言動に隙が無さ過ぎる。
「それにしても、このまま容疑者らしい容疑者が浮かばんと、身動きできなくなる」
堅城が新しい煙草に火を着けようとした時、休憩室の入口に但馬が現れた。準備できました、と硬い声で告げる。堅城は、そうか、と横柄な態度で応じ、煙草を箱に戻しながら立ち上がった。
「ったく。俺は今回、心底お手上げだよ」
じゃあ行くわ、と片手を上げて堅城は、委縮している但馬を小突きながら休憩室を出て行った。そんな二人を見送って、くはっ、と晴翔は笑う。
「堅城さん、ゲイの男性相手の聞き込みなんて向いてなさそうですもんね」
「晴翔は向いてるよな。福生もおまえにだけ名刺出して……」
「あれはたぶん、ちょっと違いますよ。テクニックかも知れません」
「どういう意味だ?」
「二階堂さん、彼に冷淡にあしらわれた事を気にしてるでしょ? 次に会った時、もし福生さんがニコニコ愛想良く接してくれたらどう思います?」
「まあ、嫌われてなかったのかと思うかな……」
「ホッとしちゃうんじゃないですか?」
「かもな」
「要するに、好感度を上げる為の仕込みです」
「サッパリ分からん」
「単純な駆け引きですよ?」
本当に分からなくて二階堂は晴翔を凝視してしまった。
「二階堂さん、普通のイケメンですもんね。誠心誠意真正面から口説けば大抵の女性はOKしてくれたんじゃないですか? 駆け引きなんか必要無いと思ってるでしょ?」
「いや、それが……」
二階堂の沈黙の意味を晴翔は正確に読み取った。
「え、まさか、女性と付き合ったこと無いんですか?」
「無いよ、糞ッ……」
見栄を張るのも惨めだったので自棄になって正直に答えた。学生の頃は学業が、警官になってからは仕事が忙しくて、女性と仲良くなる暇は無かったのだ。
「あ、それは、なんか……本当にすいません」
「よせ、本気で謝るな。益々惨めになるだろ」
「トークが上手ければ引っ掛け放題だと思うんですけど、ちょっと固いから……」
「だから、やめろって」
「まあ、でも、二階堂さん――」
不意に晴翔は真顔になって声のトーンを下げた。
「人の気持ちを読んで、言葉を使って自分の都合の良いように動かす事は、そんなに難しい事じゃないんですよ」
話が変わったことは分かるが、何を言おうとしているのか……
「ありふれたコミュニケーションです。人の行動は言葉である程度はコントロール出来ます。事象の全体に影響を及ぼす起点と成り得るツボがあるんです。そこを突いてやれば事態は大きく転がる……なんと言うか、まあ、運命の分岐点のような……良くも悪くも転がせます」
トン、と晴翔は仮想の起点を突くようにテーブルを指で叩いた。
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