色欲 lust_04

「でも、期待しないでくださいね。津谷さんは真面目な人なんで、ドラッグには手を出してないと思うんですよ」

「真面目って、ヤクザがか? でも女子高生売春には関わってたんだろう?」

 二階堂が嫌悪感を露わにすると、晴翔は困ったように笑って肩を竦めた。

「まあ、そうなんですけど。もっとマズイ組に仕切られてた女の子達は覚醒剤シャブ漬けにされて行くとこまで行っちゃってるんで……って、刑事の言う言葉じゃないですね。すいません、忘れてください」

 晴翔の意外な一面を見て、二階堂は微妙な気分になった。物事は四角四面に割り切れるものではないと頭では分かっていても、女子高生を売り物にしていたような男を許す事は二階堂には出来ない。晴翔は清濁併せ呑める部分もあるという事だ。それは、一部の手の届かない被害者を切り離して、見捨てられるという事でもある。

 相棒には、清廉潔白でいて欲しかった。

 複雑な思いを殺して向かった津谷の事務所は、負け犬の巣に相応しく、ゴミの散乱した狭い階段を上り切った一角にあった。入口からアダルトグッズの箱とAVソフトが山積みになっていて、足の踏み場も無いほど散らかっている。

「こんにちは、津谷さん」

 気安い調子で晴翔が片手を上げると、カウンターの奥に座っていた五十絡みのやさぐれた男が顔を上げた。時代遅れのリーゼントにミラー加工のサングラスをかけて、派手な柄シャツの上に安っぽいフェイクレザーのジャケットを羽織っている。いかにもヤクザというファッションがかえって彼の立場の安さを思わせた。

「おっ、晴翔か。なんだツレも一緒かよ。珍しいな」

 狭い店内はろくに掃除もされていないようで、床は言うに及ばず、商品棚にも埃が厚く積もっていた。事務所兼アダルトショップなのだろうか。物珍しくて、二階堂はじろじろと店内を見まわしてしまうが、目のやり場に困る煽情的なグッズのパッケージに目がチカチカするような思いになった。

「なんだ、ヤクザがAV売っちゃおかしいかよ?」

 分かりやすく突っ掛かられて少し驚く。組長にしては軽過ぎる。

「いえ、おかしくはないです」

 かしこまって答えると、津谷は芝居がかった仕草で両手を広げ、ハハッ、と乾いた笑い声を上げた。それも一種のパフォーマンスに見えて寒々しい。

「世知辛い世の中だよな。例のアレ、暴力団対策法のせいでよ、日本のヤクザは手足縛られて身動きできねえ。俺達がサツに睨まれて首竦めてる隙を付いて、台湾だ上海だロシアだブラジルだアラブだと、外の奴らが幅利かせて、おまけに半グレまで威張り散らしてやがる。日本の極道は死んだも同然だよ。お陰でろくなシノギも無え」

 晴翔が、ですよね、と調子を合わせると、津谷は悲劇ここに極まれという顔で目を閉じた。だが、生来お喋りな質なのだろう、すぐに次の話を始める。

「ま、AVは良いよ。女優は手っ取り早く金を稼げるし、販売元の俺達も何とは言わんが色々とおこぼれにありつけるし、もちろん下の者に払う給料も稼げて、しかもだ、童貞がエロい動画でシコッて性欲発散すりゃ性犯罪も減って、世の中みぃんなハッピー。悪くないだろ。とにかく、売れるモノは何でも売らなきゃ昨今やってけねえのよ」

 ここに来る前に晴翔に「俺が止めるまで自由に聞き取りしてください」と言われていたので、思った事を津谷にぶつけてみた。

「不本意な契約で脅されてアダルトビデオに出演させられる女性も中には居ますよ。売れるものなら何でも売るという考えは無責任です」

「はあ? なんだ、この青臭ぇ兄ちゃんは? 卸業者が持って来るんだ。出てる女の事情なんか俺の知ったこっちゃねえ! 売りモノは売りモノだろ?」

「その売り物に違法薬物も含まれるんですか? ドラッグに手を出して身を持ち崩す女性や子供も大勢います。確実に誰かを不幸にしていますよ?」

 二階堂が言わずもがなの事を言った途端、津谷は気色ばんでカウンターを殴った。

「ボケたコト言ってんじゃねえ。うちが手を出してるとは言わんが、それこそ売れるモノ売って何が悪い。買う奴がいるから成り立ってんだろうが。ヤクに手ぇ出したガキが泣いたからなんだ? 借金こさえて風呂に沈められた女がちいと自棄になって手首掻っ切ったからなんだってんだ? ああ? こっちはしのぎ削られてジリ貧なんだよ。締め付けられて死に体になりゃ俺らは何でも売るよ。悪いか?」

「つまり、ドラッグも売っていらっしゃると?」

 くっ、と喉の奥で津谷は笑う。

「乗せられねえよ。うちはクリーンだ。さっき言ったのは他所の組の話だよ」

 何も言わず笑って見ていた晴翔が、ここで一歩前に進み出た。もう二階堂さんは黙ってくださいと無言の所作で合図される。その程度は読み取れるようになっていたが、少し癪だった。地元に密着している新宿署の刑事でなければ、こういうシーンでは上手く立ち回れない。日頃の関わりがモノを言う捜査もあるという事だ。

「取引しませんか?」

 晴翔の提案に、ほんの一瞬、津谷の手が動きを止めた。逡巡が見て取れる。何か情報を得られるのかと息を飲んだ次の瞬間、津谷は力無く首を横に振った。

「ダメだ。俺は何も知らん。おとなしくしているうちに帰りな」

「津谷さん、お願いします。何でもいいんです。心当たりありませんか?」

「晴翔よぉ、マジで勘弁してくれ。他所のシノギに関わる事で口滑させたら、エンコ詰めるだけじゃ済まねえんだよ。ヤクは大手のシノギだぜ。首を胴体に乗せていたけりゃ、黙ってAV売ってるしかねえ」

「そこをなんとか」

 口調も表情も軽いが、その裏に息の詰まる駆け引きがあるのを二階堂は感じ取った。津谷は唇を震わせたが、結局は顔を伏せて殻に閉じこもってしまった。

「無理だ」

 その一言にすべてが込められていた。

「ですよね。すいません、お邪魔しました」

 晴翔は柔らかく微笑み、アッサリ引き下がる。

 津谷が会話を打ち切りたがっているのを受け入れ、今後も関係を繋ぐ事を優先したのだろう。無理強いをして関係を壊してしまっては、せっかくの情報源ネタ元を失う。

 帰ります、と言って事務所を出る間際、晴翔はAVソフトの山の中から適当に一枚引き抜いて手に取った。

「これ頂きます」

「おっ、巨乳秘書緊縛地獄か。良い趣味してんな」

「え、そんなタイトルでした?」

「毎度どうも」

 くどくどと問答する事無く、晴翔は渋々の態で一万円札を一枚AVソフトの山の天辺に置き、おとなしく巨乳秘書緊縛地獄をカバンに仕舞った。陳腐なコピーソフトが一万円もするわけがない。賄賂だ。二階堂は眉を顰めたが黙認することにした。津谷は晴翔の情報屋なのだ。これはこれで仕方がない。

 階段を下りながら、二階堂は慰めるつもりで晴翔の背中に声を掛けた。

「一万円も払ったのに何も分からなかったな」

 晴翔は振り向き、にっこり微笑んだ。

「いいえ、分かりましたよ」

「何がだ?」

「上が安定してるって事がです。もし流しの売人が入り込んでるなら津谷さんは売ったと思います。バクらせても誰も困りませんから。でも情報を売れなかったという事は、今は抗争などの揉め事も特に無く、バックがシッカリしているという事です。シッカリというのもおかしな言い方ですけどね」

「どういう意味だ?」

「要するに、ドラッグの線から犯人に迫るのは望みが薄いって事です」

 晴翔が見せてくれた搦め手の捜査は、二階堂には真似出来ない柔軟なやり方だった。学ばなければならないと思う一方で、ハマると危険だとも思う。情報屋スパイ──Sと親しくなる事は刑事に取って諸刃の剣だ。

 それにしても、歯痒い。誰も情報を漏らさない。異常な猟奇殺人犯を追っているというのに、各々が自分の秘密を守って殻に閉じこもる。その陰で、また誰かが殺されるかもしれないのに……


   ***


 新宿署に戻り、休憩室で一人休んでいた堅城を見付け、津谷の事務所での一件を打ち明けると、渋い顔をされた。吸い殻が山になった灰皿に、たった今吸っていた一本を乱暴に捩じ込む。途端に山が崩れてテーブルに灰が散る。堅城はちっと舌打ちをしたが、片付けようとはしなかった。

「組対の縄張りを荒らすと、後でしっぺ返しを食らう。そもそも捜査の仕方が刑事課とは違うんだ。マトリも絡むと更にヤマがデカくなる。そういう場合はおっかねえよ。外野が引っ掻き回すとデカが死ぬ。下手に手を出すのは拙い」

「でも、それじゃうちの捜査はどうなるんですか。こっちは猟奇殺人犯を追っているんですよ。また犠牲者が出たらどうするんですか?」

 二階堂が食って掛かると、堅城は珍しく歯切れの悪い物言いをした。

「この事件は低く見られてる。殺されるのはどうせゲイの男だって頭があるんだよ。どいつもこいつも他人事で、イマイチ本腰を入れていない。綺麗事を並べたところでゲイ差別はあるからな。捜査しづらい事件だ。せめて目撃証言が出ればいいんだが……」

 堅城は腕を組んだまま低く呻き、眉間に皺を寄せて愚痴を続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る