色欲 lust_03

「ああ、伊東さんのツレですね。カズとかいう」

 軽い高揚感を覚える。三嶋に対してこんな反応をする人物は初めてだった。これまで判で押したようだった「良い人ですよ」という証言がついに覆った。

「どういう印象でしたか?」

「あまり評判の良い人じゃないですよ。最近は鳴りを潜めてたみたいですけど、以前は派手に遊んでましたね。顔が良いんで引っかかる奴も多かったんですけど、寝ても絶対アドレスとか教えないらしくて、やり捨てにされたって泣いてた若い子も多いです。まあ、そういう奴、この界隈じゃ珍しくないですけど、カズは質が悪かった」

 溜まっていたモノを吐き出すように、福生は悪し様に三嶋を罵った。

「ゲイバレしたら拙いって思ってる奴は多いし、本名も住んでる場所も明かさないのがルールみたいなとこもあるんですけどね。でも、メアドくらい教えてもいいでしょ? それすら誰にも教えなかったんです。本当に嫌な奴でしたよ。俺に用があるなら伊東に電話して――って、彼氏でもないのに便利に使ってましたね。伊東さん、あんな扱いされてよく我慢してたと思いますよ。俺なら付き合いやめますけどね」

 福生があまりに伊東に同情的なので、何かあるのではと鎌をかけてみる。

「伊東さんは三嶋さんを恨んでいたと思いますか?」

 ぴくりと福生はこめかみを引き攣らせた。

「さあ、それは本人じゃないと分からないんじゃないですかね」

「では伊東さん以外で、三嶋さんを恨んでいた人を知りませんか?」

「すみません。うちは静かに飲んでもらう店なんで、揉めるような人はいません」

 何か引き出せないかという二階堂の奸計に福生は乗らなかった。慎重でしっかりした人間のようだ。軽々しく上客の心情には言及しない。出来た人間だという事は、口も堅いという事だろう。もしも何かを知っていたとしても、客の不利益になるなら黙っているかもしれない。福生は秘密を守る男だ。

 今は深追いすべきではないと判断し、話題を変えてみる。

「では、こちらの二人は分かりますか?」

「ニュースで見ましたよ」

 鵜辺野遼と高塚英治の写真を一瞥して、福生は自然な様子で首を横に振った。

「店にいらした事は無いと思います。こういう特殊な場所での客商売なので、道で会った時に会釈くらい出来ないと感じが悪くなりますからね。大抵のお客さんは覚えてます」

「伊東さんとこの二人、知り合いだったという事は有り得ると思いますか?」

「別に、無くはないでしょう。イベントのゲイナイトで顔を合わせてるかも知れません」

「イベント、ゲイナイトと言うと?」

「箱を貸し切って行われる普通のクラブイベントですよ。ノンケもやるでしょ?」

「それはどんな? 例えばですが、ドラッグなどは……」

 ふっ、とバカにしたように福生は鼻で笑った。

「別にいかがわしい催しじゃないですよ。同じセクシャリティを持つ者同士が集まって楽しく過ごすだけです」

 福生の反応が固くなった。ほんの微妙な変化だが、わずかに開いていた窓が完全に閉まったのが分かった。高塚はドラッグの売人だった時期があるという証言もある。マズイところを突いてしまったかもしれない。

「三嶋さん、鵜辺野さん、高塚さん、三人の共通の知り合いとか、伊東さん以外に御存知ないですよね?」

「すいません、役に立てなくて……」

 以後は、どんな話題を振っても、福生は取り付く島もなく、表面だけ丁寧で中身は空虚な遣り取りに終始する羽目になった。


   ***


 結局、手掛かりらしい手掛かりは掴めなかった。よしんばドラッグに心当たりがあったとしても、わざわざ密告するメリットは無い。セクシャリティの秘密を抱えて暮らしている彼らは元々警察に向かう足が重い。自分の性の秘密を明かしてまで捜査に協力しようなどとは思わないのが人情だ。黙っていても他の誰かが言うだろうと他力本願で高を括って口をつぐむ心理──いわゆる傍観者効果もある。二丁目で働いていた男性が某県山中で一部白骨化した状態で発見された事件では、失踪当初から「殺されたのではないか」とキナ臭い噂が囁かれていたらしい。だが、警察に届け出ようとする者は一人もいなかった。事件かどうか確信が無い場合、自信を持って警察に届け出られる人間は少ない。ましてや、まずセクシャリティを明かさなければならないというデメリットもあれば、ハードルはぐんと高くなる。性の問題に理解の無い仏頂面の警官に痛くもない腹を探られるのも鬱陶しい事だろう。ゲイコミュニティ内での今後の付き合いも考えれば、黙って知らん顔を決め込んだ方が利口だ。

 新宿二丁目という街では、特殊な事情が事件捜査への積極的協力を阻む。

 MDMAの入手ルートを割り出す事は尚更難しいだろう。

 合成麻薬MDMAは、メチレンジオキシメタンフェタミンが主な成分で、通称エクスタシー、錠剤に刻まれたXの模様からバツ、ペケなどとも称される。覚醒剤メタンフェタミンやアンフェタミンと似た効果を持つアッパー系の薬物で、服用すると三十分ほどで効果が出始め、強い多幸感とその時側にいた者への疑似的な愛情をもたらす。しかも全身の感覚を鋭敏にし、性的な快感を増幅するので、セックスドラッグとして使用される。

 警察が末端の売人を検挙したところで、卸元は次々に新しい手駒を投入できる。取り締まりはいたちごっこで、一般の主婦や未成年者にまで蔓延しているのが実情だ。密売組織の上の者は下っ端ブローカーや売人の前には姿を見せず、利用されている彼らは誰からドラッグが卸されているのか、誰の為に働いているのか、何も知らない。成分を解析して同一の製造元だと分かっても、販売ルートの全容を解明することは不可能に近い。漠然とした広がりが見えるだけだ。

 使用者に限って考えたところで、客は中毒者ばかりではない。一度か二度、遊び気分で手を出す者もいる。そんな気紛れで購入する個人にまで辿り着けるはずがない。売人が客のリストを持っているケースもあるが、今は大抵、その場限りの手売りだ。繋がりが無いに等しいのだ。

 もしも伊東が犯人だったとして、常用していたのでなければ売人が覚えていないという事も有り得る。殺害の為のみに購入したのであれば、常連にはなっていないだろう。

 どうにも期待が持てない。捜査はやってみなければ分からない、地道に可能性を潰していくのが刑事の本懐だと綺麗事を唱えたところで虚しい。

 組織犯罪対策課の協力を得てMDMAの販売ルートを洗っている物証班は、いまだ犯人に繋がる情報を掴んでいない。

 この街の人間は口が重い。

 最初の夜、志保の店で晴翔が言った通りになっていた。


   ***


 ふと思い立ったという晴翔の提案で、弱小ヤクザの事務所も訪ねてみた。

「以前、家出した女子高生の援助交際絡みでちょっとあって、それ以来の知り合いなんですよ。何か掴めるとは思いませんが、参考になるかも知れません」

「今、足を運ぶ意味があるのか?」

「無いかもしれません。でも、売っちゃいけないモノを売ってる人達の横の繋がりって結構あるんですよ。流れが乱れてれば儲けもんってやつです」

「流れ? 乱れる?」

「暴力団の上の方で抗争があると、末端の売人が置かれている状況が変わります。庇護が無くなるって事です。そういう時期は上層部と連絡が付かなくなって売人に卸されてる薬の流れが切れてルートの究明が不可能になりますが、その代わり尻尾切りでタレ込みが期待出来たりもするんですよ。今のうちの帳場は、犯人にドラッグを売ったであろう末端の売人の顧客情報が欲しいわけですから、上が乱れていた方が都合が良いって事です。とは言っても、真っ正直に有力な組に掛け合うと諸事情があってマズイので、茶飲み話が出来る程度の知り合いに探りを入れるって事です」

「なるほど……」

 犯行に使用されたMDMAの入手ルートから被疑者を特定できれば捜査は進展する。売人の顧客リストに伊東が含まれていれば、その件で引っ張れる。

 その店へ続く階段は歌舞伎町の裏通りにあり、店自体は表通りに面したゲームセンターの二階にあった。ビルの裏に回り込むだけで人気が消え、ずいぶんと雰囲気が変わる。

 津谷興行というのが晴翔のコネがある組の名前だった。組長の津谷は十五年前から歌舞伎町の片隅に小さな組を構えている。一時はウリ──要するに売春をする女子高生を抱えてデリヘルで荒稼ぎしていたらしいが、傘下の別の組の者に妬まれて密告され、ガサ入れで組長の津谷自ら懲役を食らった。大手と違って組長の身代わりに罪を被ってくれる「子」はいなかったようだ。津谷は半年で出所したが、組長不在の間に同じ系列のライバル組織に使える組員を引き抜かれており、逮捕される前の勢いは盛り返せなかったらしい。今の津谷興行には昔年の面影は無く、看板を維持する為の上納金の工面にも事欠く弱小の貧乏所帯に成り下がっているとの事だった。

 大手の門を叩くわけにはいかないが、構成員の数も片手の指で足りる津谷の事務所ならばコトを荒立てる事なく何か掴めるかもしれない、と晴翔は言った。

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