色欲 lust_02

「すいません。それが……対象は夜になって外出しまして、尾行はしたのですが渋谷駅で見失って……翌朝六時頃、酔っ払った様子で帰宅したのは確認してます」

「バカ野郎っ!」

「それじゃ、伊東にはアリバイが無いという事ですね」

「任意で引っ張りますか?」

「一件目のアリバイがあるだろうが。引っ張っても落とせなきゃ意味ねえだろ」

「同一犯の可能性が高い以上、ゲロしなきゃ容疑者から外れますからね」

「大事なコト忘れてるぞ。現場から伊東の居た証拠は出ていない。毛髪を提供させて科捜研で現場に残っていた毛髪と照合させたが、一致するものは無かった。もちろん、指紋も出ていない」

「でも、さっき急いで確認したんですが、高塚の携帯端末のアドレスリストにも伊東の番号が登録さてます。他に重複する番号はありません。おかしくないですか?」

「伊東が臭いんだがな……」

 紛糾してきたところで、珍しく早瀬管理官が口を開いた。

「先入観は捨てましょう」

 ぎろり、と皮肉屋の滝川が早瀬管理官を藪睨みにする。

「ほう、珍しいですな。管理官が捜査の方針に口を挟まれるとは……」

 いつも控え目で、捜査指揮は現場を理解している唐尾係長と堀田係長に任せて二人の陰に隠れているような印象だった女性がきっぱりとした物言いをしたので、それまで彼女をお飾りの置物と見做していた他の捜査員達も少なからず驚いていた。

「二階堂君の報告書によると、新宿二丁目は狭い世界だと伊東さん自身が証言していたのですよね。知り合いの知り合いもまた知り合いだという事は珍しくないと。だったら、伊東さんが一連の事件の被害者全員と知り合いだったとしてもおかしくないんじゃないでしょうか」

「偶然? 伊東は、被害者三人全員と、偶然知り合いだったと?」

「そんなバカな。有り得ないでしょう」

 怒鳴るように言われて、早瀬あずさはわずかに身じろぎする。部下とは言え強行犯捜査のデカは強面揃いでヤクザ紛いの猛者どもだ。気の弱い女性なら何も言えなくなるところだろう。彼女はキッと眦を決して顔を上げた。

「都内という条件に目を奪われ過ぎているのではないでしょうか。例えば住民の多くが顔見知りというような狭い村で殺人事件が起こったとしたら? 村人の誰かが被害者全員を知っていたとしてもおかしくはないでしょう」

「新宿二丁目が、そういう場所だと?」

「ええ、現代の、ネットなどを介して趣味や特殊事情で繋がったコミュニティは居住する場所に依存しない村状組織です。しかし本件の場合、セクシャリティだけではなく、実際に新宿二丁目という場所に通える場所に居住しているかという距離的条件も関わってきますし、そこに、年代、好む遊戯、通う店の傾向を加えてカテゴライズすれば、かなり人数が絞り込まれるはずですよ。場所が場所です。自ずとみんな顔見知りというような状況は出来上がるのではないでしょうか」

 早瀬管理官の言葉に静かな反発が広がる。理屈は合っているが、感情に逆らう。

 愚図る男達に堀田係長が怒声を張り上げた。

「兵隊はグダグダ言わずに情報拾って来いってんだよ。サッサと行けっ!」


   ***


 新宿二丁目のバー『伏龍』の店主、福生ふっさ卓哉たくやは、鵜辺野遼が殺害された日の夜、およそ二十時から二十三時までの伊東美津留のアリバイ証人として挙げられていた。店は仲通りを折れた奥、薄汚れた狭い路地の一角にあり、その辺りによくある古いペンシルビルの二階の狭小店舗だった。一見して怪しい雰囲気で、墨で塗りつぶしたゴシック調の真っ黒な扉には、金色の文字で店舗名が刻印された、やはり真っ黒なプレートが掛かっていた。扉の横に置かれた小さな立て看板のCLOSEDの文字を無視して、扉を開ける。事前に電話連絡した際に、勝手に入ってくれと言われていた。

 店内に足を踏み入れ、ドキリとする。入口の扉から彷彿とさせられたイメージ通り、一種異様な内装だった。壁も、天井も、タイル張りの床に至るまで、どこもかしこも闇のような黒に覆われており、カウンターテーブルだけが毒々しい深紅だった。中世風の鋲が打たれた革張りの椅子、古いゴシック映画に出出来そうな鉄製の天井燭台、SMショーでも始まりそうな非日常的な空間だ。

 だが、酒量分配器オプティック付きのウィスキー、バーボン、ジン、ウォッカは有名処が一通り揃えられており、バーとしては悪くない。ボンベイサファイアとラフロイグ、それにフランス産のアブサンまである。

 二階堂と晴翔が訪ねた夕方六時は、まだ店の営業は始まっていない時間帯で、店主は一人、カウンターの奥でグラスを磨いていた。

「警視庁捜査一課の二階堂です」

「新宿署の春夏秋冬です」

 警察手帳を提示して軽く頭を下げると、店主は不愛想に会釈した。

「カウンターに座ってください」

 店の奥のコーナーにひとつだけ椅子四客のテーブル席がある。そちらの方が話を聞くには都合が良いのだが、気分を害されては本末転倒なので指し示された席に腰掛ける。真っ赤なカウンターは磨き込まれていて、覗き込むと自分の顔が映る。良い店だ。

「何か飲みますか?」

「では烏龍茶を」

「勤務中に酒はマズイですよね」

 店主は皮肉な調子で唇の端を上げた。ふふっ、と晴翔は嫌味の無い調子で笑い、景気良く片手を上げた。

「いえ、頂きます。烏龍茶は無しで、ラフロイグ十八年のソーダ割をシングルで三杯。グラスのひとつはあなたに」

 酒の注文を聞いた途端、ふうん、と店主は面白そうな表情を浮かべた。

「おまえ、勤務中に」

「まあまあ、こういう事は臨機応変ですよ」

「こちらの刑事さんは話せる方みたいですね。どうも、福生卓哉です。次はプライベートで来てください」

 福生は晴翔にだけ名刺を差し出した。なんとはなしに面白くない気分になり、二階堂は憮然として押し黙った。

 ソーダ割はすぐに出て来た。晴翔はあっという間に飲み干してしまう。二階堂はちびちびと口を付けた。すぐに酔いが回ってしまうのでアルコールは苦手だ。

 福生は対照的な二階堂と晴翔を横目で面白そうに眺めながら、自分も飲み始めた。さすが、グラスを持つ仕草が板に付いて様になっている。

 二階堂は福生を見て意外な思いに囚われていた。ゲイバーだというので、この店も女装の男性がいわゆるオネエ言葉と呼ばれる口調で接客するのだろうと思っていた。先入観とは違い、福生は女性的な所作も無く、話し方はむしろぶっきらぼうで男臭い。福生が男に甘えてしなだれかかる姿はイメージできない。本当に同性愛者なのかと不思議な気分になった。

「刑事さん、今、俺が女っぽくないんでおかしいと思ってるでしょ?」

 ずばりと言い当てられて二階堂は狼狽してソーダ割を噴き出してしまった。

「ちょっと、二階堂さん汚いなっ!」

「す、すまん」

 慌ててハンカチを取り出したら、カウンター越しにその手を止められた。サッとおしぼりを手渡され、テーブルに零れた滴は福生が手早く布巾で拭いてしまう。

「スーツの濡れたところ、染みにはならないと思いますが、高そうな生地だし早めにクリーニングに出したほうが良いですよ」

「あ、ああ、ありがとう」

 スマートなイケメン対応に思わず赤面しそうになった。この手の客商売の男はみんなこんな風に人あしらいが上手いのだろうか。自分も早瀬あずさに対して、彼のように振る舞えたら……と、余計な事を考えたところで、呆れ顔で自分を見ている晴翔に気付いた。こほんと咳払いをひとつして、話を先へ進める。

「今日お伺いしたのは、ある事件の参考人の方が十月二十一日の夜、こちらの店で飲んでいたと言っているのですが、証言して頂けますか?」

「伊東美津留さんの件ですよね? 二度目なんですけど?」

「何度もすみません。もう一度お聞かせください」

「証言にブレが無いか確認する為ですか?」

「いえ、そう言うわけでは……ただ聞き漏らしが無いかと」

 別にいいですよ、と福生は訳知り顔で頷いた。では、と二階堂も切り替える。

「伊東さん、本当に十月二十一日の夜、こちらの店にいらしてましたか?」

「ええ、来てましたよ」

「間違いなく?」

「ええ、いつも通り八時頃から十一時くらいまでうちの店にいました」

「何を注文したか覚えてますか?」

「いや、そこはちょっと……いつも通り水割りのセットと乾きものだと思いますけど、うち、一品ずつ伝票切らないんで……」

「伊東さんはどんな人ですか?」

「開店当時から通ってくれている常連さんで、良いお客さんですよ」

 別の捜査員が訪ねた際の調書を読み込んできたが、福生の言にたいしたブレは無い。緊張している様子も無く、嘘はついていないと感じる。

「こちらの方はご存じありませんか?」

 二階堂は持参した三嶋和臣の写真をカウンターに滑らせた。ここからは、先に聞き込みに来た捜査員の調書には記されていなかった話に入る。最初に聞き込みに来た者は急いでアリバイ確認をしただけで、三嶋と伊東の関係には踏み込んでいないはずだ。

 三嶋の写真を見た途端、福生は嫌悪を露わにした。

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