【第三章/色欲 lust】

色欲 lust_01

 二〇一六年、十月二十九日。

 正確には二十八日の夜から二十九日未明にかけて、第三の猟奇殺人が発生した。捜査が難航し、手をこまねくうちに、またも類似の事件が起きてしまったのだ。

 鵜辺野遼が殺害されていた現場の近く、同じく歌舞伎町のラブホテルで男性が殺害された。室内や遺体に抵抗した形跡は無く、首には索状痕、胸部が切り裂かれ胸骨と心臓が取り出されており、空いた穴には黄金の林檎が押し込まれていた。

 三嶋和臣と鵜辺野遼を殺したのとそっくり同じ手口――おそらく司法解剖をすれば、胃と血中からはアルコールと睡眠薬、MDMAの成分が検出されるだろう。

 三件目の殺害現場に置かれていたのは水晶の猿。

 新宿署の捜査本部は騒然とした。

「……やられたっ!」

 一報を耳にして堅城は拳で壁で殴りつけた。

「続くと予想していたのに防げませんでしたね」

 血の滲んだ部下の拳を横目で眺めて、唐尾係長が重い声で呟く。感情は抑えられているが細められた目に怒りが灯っている。

「ともかく捜査会議だ。全員集めろ。状況を精査し直す」

 三嶋和臣・鵜辺野遼殺害事件の捜査に携わっている刑事四十人が捜査本部になっている講堂に集められた。MDMAの流通ルートを捜査している新宿署の組織犯罪対策課と協力して捜査に当たっていた者も至急、署に呼び戻される。

 被害者は高塚栄治、三十二歳。

 短い銀髪、サーファーのように日焼けした肌、眉は細く整えられており、いかにもチンピラ然としている。左耳にはリングピアスがびっしりと並び、両腕にはトライバルの刺青もある。凶悪そうな容貌だ。身長百七十六センチ。瘦せ型だが筋肉質でボクサーを思わせる。実際、十七歳から二十一歳までは都下のボクシングジムに通っており、一時はプロを志したこともあるらしい。プロテストに落ちた辺りから荒れ始め、交際相手のアパートに転がり込んだが、仕事が続かず、月に何度も金の無心に実家に押し掛けて、断ると暴力を振るい家族を難渋させていたという話だった。

 滝川は一つ軽い咳をして報告を続ける。

「今は新宿署の組織犯罪対策課に目を付けられていたようですね。五年ほど前、二十七歳の頃ですが、短期間とはいえ、違法薬物MDMA、俗にエクスタシーと呼ばれる合成ドラッグの売人をやっていた時期もあるそうです」

「どこの子飼いだ?」

「売人と言っても末端の半グレですよ。顔見知りに分けてもらった数錠を、遊び仲間に売り渡していただけのようですし、最近は足を洗っていたそうです」

「じゃあ、今は何の仕事をしてたんだ?」

「分かりません。ただ、親にせびっていた額は月に十万円近くになるようで、同居人の男性……いや、女性と言うべきでしょうかね……その人物からも小遣いをもらっていたそうです。同居人はゲイ専門のファッションヘルスで働いてます。収入が無くても生活には困らなかったでしょう。時々は工事現場等で短期のアルバイトをしていたそうです」

「同居人っていうのは、特殊関係人?」

「ですね」

 特殊関係人とは愛人の事だ。

 高塚の親族と同居人、同居人が口にした特に親しい友人三名には、すでに聴取が済んでいた。高塚はバイセクシャルである事を公言しており、クローゼットだった三嶋や鵜辺野とはタイプが違った。

「派手に遊んでいたようですね。ハッテン場というんですか、そういう場所に出入りしていて、不特定多数の男性と肉体関係を結んでいたようです」

「華奢で可愛いタイプが好みだったそうですよ」

「……正直……ちょっと、そういう事を聞かされると参りますね……」

 ハハッ、と但馬がたじろいだ様子で言う。以前、郷田に怒鳴られ、その後、堅城に扱き使われて揉まれているので、キツイ躾を受けた犬のようにおとなしくなり言動は控えめな調子になっている。唐尾係長は、そんな但馬を半眼で睨み短く叱責した。

「情報として、真面目に受け取るように」

 但馬は、はい、と殊勝に縮こまる。

「華奢で可愛いタイプ……鵜辺野が殺害された際に、現場ラブホテルの防犯カメラに映っていた被疑者の人体と一致しますね」

「本件の現場ラブホテルから提出された防犯カメラの映像にも、同じような人体の人物が高塚と一緒にエレベーターに乗り込む姿が映っていました」

「犯人の体格だと、高塚には腕力で簡単に抑え込まれそうですよね」

「つまり犯人は、獲物に声を掛けて連れ込むところから薬物を摂取させるまで、一切無理強いはしていないって事だな。上手く騙して薬物を飲ませて、昏睡させてから事に及んでいる。腕力があっても昏睡させられちゃ形無しだな」

 四十人からのむさ苦しい刑事達がひしめく講堂は人いきれでむっとしている。議論は活発に交わされ、速いテンポで次々に意見が出される。疲れた脳では誰が発言しているのかいちいち把握している余裕が無い。

「同一犯ですよね、やっぱり」

「事件は三件とも金曜日の夜から土曜日の明け方にかけて起こっている」

「金曜日の夜に引っ掛けて殺しているという事か」

「普段は何食わぬ顔で仕事をしている人物だろうな」

「週末の楽しみに人殺しをしている?」

「それはともかく。報道が過熱してますよ。連続猟奇殺人事件だとバレたようで……」

「どこから漏れたんだ?」

「ホテルの従業員じゃないですか? 胸骨と心臓が抜かれていた件にはどこも触れていないですし、林檎も死体の側に置かれていた事になっていて、胸部に埋め込まれていたという事実には言及されていません」

「ニュースでまことしやかに言われてる、この、兵藤静香の小説を模倣している、という説は根拠があるんですかね? 本当にこんな殺し方が書かれてるんですか?」

「オタクの犯行じゃないですか?」

「それ、偏見ですよ」

 みなさん聞いてください、と珍しく早瀬管理官が強い声を上げた。

「捜査員を増員します。特別捜査本部に格上げし、鵜辺野遼さんが殺害された事件はこれまで通り唐尾さんの八係に委ね、新たに起こった高塚英治さんが殺害された事件は本庁強行犯捜査五係を投入し、そちらに委ねます。この二件、私が総括して指揮します」

 ひゅう、と誰かが口笛を吹いた。

 女の指揮で、ゲイの連続猟奇殺人事件を捜査するのだ。不謹慎な言い方になるが、前代未聞だ。

 ここで、席を外していた唐尾係長が書類を手に戻って来た。

「みなさん、落ち着いて聞いてください。今しがた、捜査本部宛に、動物の置物について発表しろと書かれた脅迫文が届きました。コピーを配りますので、各員、文面を確認してください」

 急転直下の内容にそぐわない、いつも通りに慇懃無礼なまでに丁寧な口調だ。

「犯人からの脅迫文ですか!」

「まさか、そんな大胆な!」

「警察を舐めてるやがるのか!」

 周りはいきり立ち、落ち着きなくざわめいていたが、二階堂と晴翔、郷田、大利根、それに堅城は粛々と配られた紙片に目を落とした。

 無地の便箋に平凡な筆致で簡単な一文が書かれていた。


   ***

 

  水晶の動物の種類と置かれていた順番をニュースで流せ。

  そうしなければ無差別に殺す。


   ***


「これ、どういう意味でしょうかね?」

 晴翔は、無差別に、という部分を指差して二階堂に問い掛けた。

「分からない。犯人の中では、今までの殺人に何か規則性があったのかもしれんし、単純にゲイの男以外もターゲットにするという意味かもしれん」

 他の捜査員達も口々に思った事を吐き出し始める。

「くそったれ。発表できるわけがないだろが」

「コイツを送ってきた奴が犯人ということは間違いない」

「指紋は出なかったんですか?」

 唐尾係長はこんな時でさえも狐面のような無表情を崩していない。淡々と答える。

「出ませんでした。手書きですが、特徴の無い封筒と便箋です。おそらく大量生産品でしょう。製造元を割り出しても、手掛かりにはなり難いかと……しかも、人通りの多い新宿駅前のポストに投函されていますね。目撃情報を得るのは難しいでしょう」

「人気漫画家が脅迫された事件と同じ手口だな」

「厄介だ。人混みに紛れ込まれてしまうと追跡しようがない」

「しかしこの文面どういう意味でしょうね? 無差別に殺す――と敢えて書いたという事は、今は無差別に殺しているわけではないという意味でしょうか?」

「さあな、サッパリ分からん」

「水晶の動物には何か意味があるんだろうか?」

「馬、牛、猿……共通点が分からんな」

「星座では?」

「馬座も猿座も無いだろ。十二支じゃないか?」

「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」

「なるほど、午、丑、申か。被害者の干支は?」

「ええと……三嶋が二十七歳なので巳年、鵜辺野は二十九歳で卯年、高塚は三十二歳で子年です。置かれていた動物と合っていませんね」

「十二支じゃないですよ。デザインが西洋風で十二支と言うには違和感があります。ギリシャ・ローマ風って大利根さんが言ってませんでした? こんな写実的な彫りの十二支なんて見た事無いですよ?」

「事件当夜の伊東の行動は? 監視見張り、張り付いてたよな?」

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