傲慢 pride_02
「今日は無理を言って訪問させて頂いてすみません」
兵藤は刑事の訪問を快く思っていない事を隠そうとはしなかった。
「調書に載せると言うわけではないのですが、腑に落ちない点が幾つかあるもので、どうしても先生にお話を伺いたかったんです」
担当編集者の山名絵未も何故かその場に居て、毛を逆立てた猫のように招かれざる客を威嚇している。飼い主を守ろうとする姿が枩葉龍之介と重なり、妙な気分になった。
「先生に対して失礼な質問はやめてくださいね」
「絵未さん」
兵藤にやんわりとした声でたしなめられ、山名は一瞬でおとなしくなった。
「すみませんが、刑事さんと二人だけで話したいので、絵未さんは少し席を外してもらえませんか」
「でも……」
「ああ、そうだ。今夜の料理に合うワインが無いんです。買って来て下さい。銘柄はお任せしますから、好きなものを選んでいいですよ」
「先生が、そうおっしゃるなら……」
山名は兵藤からクレジットカードを受け取り、最後に一瞥、闖入者を睨んでから部屋を出て行った。
「彼女の指輪、ダイヤモンドですか?」
「婚約指輪なので」
「へえ、ご結婚なさるんですね?」
皮肉を込めて言ったら、兵藤は不敵に微笑んだ。
「いけませんか?」
「いけなくはないですが……でも、勝手過ぎるんじゃないですか? 枩葉龍之介は極刑を免れませんよ」
「そうだね。彼は死刑になるだろう」
少しの間、痛いような沈黙が流れた。自身の怒りがひりひりと肌を灼く。
「枩葉を見捨てるんですか?」
「どういう意味です?」
「こんなことを警察官の俺が言うのはマズイですけど、もし、枩葉が三嶋和臣しか殺していなければ、情状酌量の余地があったのではないかと思います。五年から七年の服役で社会に戻れたかもしれない。あなたが彼を止めていれば……いや、あなたが別の方向に導いてあげていれば、彼は、三嶋も、他の三人の被害者も殺さなかったのではないでしょうか。どうして彼を救ってあげなかったんです?」
ふふ、と兵藤は乾いた笑いを喉の奥で転がした。
「私は作家ですよ」
「え?」
兵藤の言わんとするところが分からず、自分から質問を投げ掛けておきながら、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「彼は、確かに面白かった。興味深く魅力的な観察対象でしたよ。あの心理テストの答えは傑作だった。正直、彼が最後にプライドを残すとは思っていなかった。意外で愉快な回答でした。でも、彼はただの読者です。私の仕事は小説を書くことで、問題を抱えた読者の面倒みることではありません」
その言葉を聞いた瞬間、カッとなって刑事としての立場も忘れて兵藤の胸倉を掴みそうになった。あまりに強烈な怒りが込み上げて、身動き一つ出来なくなる。
感情を押し殺す為の沈黙。
生まれて初めて、自分の人生とは無関係の人間に殺意が湧いた。
「あんた、本物の人でなしだな」
「言葉に気を付け給え。相手が私でなければ侮辱罪で訴えられますよ」
兵藤はあくまでも傲然としている。そう振る舞うのは、生まれ持った特権だとでも言わんばかりに。
「これは言わないつもりだったのですが、あなたの本性が分かった今、遠慮する理由は無くなりました」
卑劣な敵に斬り付けるつもりで言葉を紡ぐ。
「なんでしょう?」
兵藤は怯みもせずに応じた。
「山名さんが枩葉に殺されそうになった時、あなたは枩葉を制止しましたが、どうしてあの時だったのか気になっていたんです。たった一言で止められるなら、いつでも枩葉を止める事が出来たはずです。枩葉はあなたの命令には絶対服従だった。それなのに、あなたはあの瞬間まで止めなかった。どうしてあの時だったのか……」
言葉を切り、目を見据える。
「絨毯を汚されたくなかったんですよね?」
ははははっ、と兵藤は笑った。心底愉快そうに腹を抱えて笑い、それから、目の端に浮かんだ涙を指で拭いながら、面白い刑事さんだ、と嘯いた。
「あなたは、あの時、山名さんを助けようとしたんじゃない。ただ、あの藍色の部屋と高価なペルシャ絨毯を汚されたくなかっただけなんだ。あなたは最低な男だ。人間らしい情を一欠けらも持ち合わせていない。あなたには結婚する資格なんかありませんよ」
そうだね、と兵藤は鷹揚に頷く。
「でも、私は結婚する。都合が良いからだ。妻がいれば、同性のストーカーが起こした事件によって向けられる不名誉な疑惑を払拭できる。それに、今回の件で貼られた危険な犯罪使嗾者というレッテルのイメージを和らげる事も出来る。いつまでも世間の好奇の目に晒されているのは私の望むところではない」
「そこまで計算尽くなんですか。あざと過ぎて、いっそ呆れますね」
「なんとでも言いたまえ」
「痛くも痒くもないって事ですか……」
「君は面白いな。私と同類の匂いがするよ。言葉で人を操作する。君も出来るんじゃないのか? まあ、君の性格なら、人を良い方向へ導きそうだけどね」
答えに窮して黙っていると、兵藤は立てた指を不躾に眉間に突き付けてきた。
「違うかい? 春夏秋冬晴翔君――」
少しの間、黙って鋭い視線を絡み合わせた。
先に視線を逸らしたのは晴翔だ。
「俺はあなたを危険な犯罪使嗾者だと疑っています」
「でも私は何もしていない。枩葉のことは、むしろ、悪いことをしてはいけないと説得していた。そういう証拠しか残っていない。だから逮捕は出来ない。そうだろう?」
「今は無理でも、いずれあなたの化けの皮を剥いでみせます」
晴翔は射貫くように兵藤を睨んで宣言した。
***
先生と初めて会った日の事は忘れない。静かなバーのカウンターで、生きるのが苦しいと弱音を吐いて泣いた俺を、あの人は優しく慰めてくれた。
「そうか、今までずっと辛かったんだね」
よしよし、と父親のように頭を撫でてくれた。
「あの……」
「誰かに寄りかかって泣くだけで、癒し効果があるそうですよ?」
「すみません、ありがとうございます」
誰かの肩に寄りかかるなんて、生まれて初めての事だった。先生の匂いがする。何の匂いだろう。スズランに似ている。すごく綺麗な感じで、胸がすっとする。
「人目が気になりませんか?」
言いながら顔を上げたら、先生は意味深長に微笑み、また頭を撫でてくれた。
「気になるよ。でも、君みたいな危険人物と密室で二人きりになるよりはいい」
「え……?」
密室で二人きりと言われて妙な気分になる。不埒な事を考えてしまいそうで必死で考えを止めた。先生は物語の事を話しているのだ。密室で危険な人物と二人きりになったら殺される。そんな怖い物語は沢山ある。先生の作品もそうだ。
先生は思い付いた悪戯を語るように片目を瞑った。
「君は自分の事を五百扇に似ていると手紙に書いてくれたよね。作家としては嬉しい限りだよ。作中の人物にそれだけ思い入れを持ってもらえているという事だからね」
「いや、それは……」
まさか、本当に作家本人が読んでくれるとは思っていなかった。
何も考えず、壁に向かって独り言を吐き出すように書き殴って、どうせ本人には届かないと思いながら半分自棄で投函してしまったファンレターだ。その迂闊な妄想を、あまりにも子供っぽい英雄への成り代わり願望を、作品を書いた当人――ほとんど神のように崇拝していた兵藤静香その人が読んでくれて、あまつさえ返事をくれるなんて思ってもみなかった。もちろん、幸運にも作家本人が会ってくれるなんて、夢にも……
あまりに先生が優しいので、奇跡のような対面の場で見苦しい弱音を吐いてしまい、少し後悔し始めていたところに、稚気に満ちた手紙の話を持ち出されて、死にたいくらい恥ずかしくなった。
弱音を吐いた時点で俺はダメな奴だった。恥をかき続けていた。
せめてまともな人間のふりをしたかったのに――
真っ赤になって言い訳しようとしたら、先生はさらりと冗談にしてくれた。
「怖い、怖い。五百扇に似ているなら、君は危険な男だ。そうだろう?」
一瞬、もっと恥ずかしくなったけど、でも、嬉しかった。
だから俺も冗談を言った。
「そうですよ、俺、実は危険な男なんです」
「じゃあ、もしかして殺人衝動もあるのかな?」
え、と微かな違和感に首を傾げる。そんなわけはないと思いながらも、なぜか先生の小説を読んでいる時のように、隠されている意図が見えたような気がした。
「先生は、俺に人殺しになれと言っているんですか?」
「そんなバカな。ダメだよ、悪いことをしちゃ」
そう言いながらも先生は淫靡に微笑んだ。
――だから、俺は危険な男になるしかなかった。
FIN
黄金の林檎を抱く殺人鬼 THEO(セオ) @anonym_s
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