暴食 gluttony_03

 春夏秋冬ひととせ晴翔はるとは、時代劇好きの祖母から「昼行燈」と呼ばれている。

 高校卒業後すぐに警察官になり、二十九歳になった現在は新宿署の刑事課に配属されている。四年前までは地域課の所属で、全国一の激務と言われる歌舞伎町交番で勤務していた。朝から晩までひっきりなしに面倒な問題を引き起こすアクの強い地域住民から揉まれに揉まれて、昇進試験に挑む暇もなく、今度は都内一凶悪事件が多いと評判の新宿署の刑事課にブチ込まれてしまった。

 その経歴なら、さぞや恐ろしい面体だろうと思いきや、私服姿の晴翔は陽気な学生にしか見えない。中肉中背、人好きのする明るい顔立ちで、歌舞伎町交番時代は近所の店に勤めるキャバ嬢や居酒屋のママ、果ては家出中の女子中高生にまで「可愛い」と持て囃された。取り立てて美形というわけではないが、男臭くはなく、陽気で愛嬌のあるタイプなのだ。本人も女性に好かれている自覚があり、彼女達に調子を合わせて、にこやかに手を振り返したりしていたが、どこかとぼけたところがある上、サラリと人懐っこいので不思議と男にも嫌われなかった。幸運なのか、あるいはよほど要領が良いのかもしれない。上手く人の敵意を躱して、妬みや恨みとは無縁の生活を送っている。

 そんな下地があり、地域住民とも同僚の野郎共とも仲良くやれるという気質を見込まれて、歌舞伎町交番勤務四年目で、上司に通称デカ講習に推薦された。刑事になる為には捜査専科と呼ばれる講習を受け資格を得なければならず、しかも年三~四回しか行われない講習の席は毎回各署に宛がわれるわけではない。結果、各警察署から年に一人か二人しかデカ講習は受けられないという事情があり、そもそも推薦を得る事も容易ではなく、二度の筆記試験まである難関である。人格、知識、身体能力、すべてが基準を超えていなければ刑事にはなれないのだ。

 実のところ、推薦した当の上司は晴翔が刑事になれるとは期待していなかった。試しに推してはみたものの、あまりにも性格が柔軟過ぎるので、デカ講習をクリアしても刑事課への転属を決めるお偉いさんから敬遠されるのでは、と懸念していたのだ。

 だが晴翔はどういう経緯でか、その秘めたる実力を認められ、デカ講習から一年後、新宿署の捜査部刑事課に異動になった。何かが評価されたのだろう。

 普段はチャラチャラして見えても、やる時はやる男なのだ。

 それで、祖母は晴翔を「昼行燈」と呼ぶ。本来の意味で、ではなく、無能な道楽者のふりをして周囲の目を欺き、遂には為すべき事を為し遂げた忠臣蔵の大石内蔵助が、有名な小説の中でそう呼ばれていた事に掛けてだ。

 春夏秋冬家の構成員は晴翔と祖母の時子ときこ、二人だけだ。梅ヶ丘の古い戸建ての家で暮らしている。両親は父の仕事の都合で長く海外暮らしをしており、兄弟もいない。

 春夏秋冬家の朝は早い。時子は早朝五時に目を覚まし朝食の準備をする。晴翔がめでたく帰宅出来た翌朝には、必ず炊き立ての米を用意し、味噌汁も煮干しと削り節で出汁を取り野菜をたっぷり入れて作る。それに香の物と納豆か玉子焼きを付け、鮮魚市場で仕入れた旬の干物を焼く。シンプルだが手抜きの無い料理なので美味い。

 二〇一六年十月二十二日。土曜日。

 その日の朝食は、白米、小松菜と油揚げの味噌汁、蕪と人参の浅漬け、出し巻き卵、鯵の干物だった。

 朝食を食卓に並べ終える頃、タイミング良く晴翔が起きてくる。だらしないスウェットパンツにTシャツで、まだ顔も洗っていない。

「なんです、だらしない。お食事の前に身支度くらいなさい」

「すいません、昨日のガサ入れと逮捕で疲れてるので、先にお婆様の美味しい朝食を食べて英気を養いたいです」

「なんです、その理屈?」

「お婆様はいつも、料理は冷めないうちに食べなさいと……」

「もういいです、早く食べなさい。お食事が冷めますよ」

 時子は機嫌を損ねてそっぽを向き、あてつけがましくテレビのスイッチを入れた。朝のワイドショーが始まっており、注目度の高い未解決事件を取り上げている。

「……事件発生から二ヶ月が経とうとしているにも関わらず、いまだ解決の糸口が掴めない黄金の林檎殺人事件ですが……被害者のAさんは品行方正で、恨みを買うような人物とは思われていなかったようです。ところが、三鷹市の宿泊施設で無残な遺体となって発見されました。遺体には損壊が加えられ、血塗れのAさんの横には金色に塗られた林檎が置かれていたとか。実に奇怪な事件ですね」

 メインキャスターが深刻な表情の仮面を張り付けて言い、三人のコメンテーターの顔が順に映された。

「この犯人像について皆様はどうお考えになりますか?」

 人当たりの良さだけが取り柄に見える中肉中背で特徴の無い平坦な顔立ちのメインキャスターが話を振ると、優等生がそのまま歳を取った見本のような眼鏡をかけた小太りの中年女性が神経質な口調で応じる。

「おそらく、二十代前半から四十代くらいの女性でしょうね。若い男性が一緒にラ……いや、宿泊施設に入ったわけですから、二人きりで過ごしたくなるような女性が犯人に違いないですよ。よしんば年増でも相当の色気があると考えて間違いないはずです」

「うっかり騙されて付いて行ってしまう程度には魅力があるという事でしょうな」

 けけけ、と関西弁混じりの軽口を挟んだのは自称映像作家の胡散臭い芸人だ。

「不謹慎ですよ。これだから男性は……」

 眼鏡の中年女性はヒステリックに言い捨ててそっぽを向いた。

「まあまあ、あながち間違っているとは思えませんよ」

 割って入ったのは、これまた胡散臭い還暦越えの元悪役俳優だ。強面のわりに常に折衝役で無難なコメントしかしない。メインキャスターは視聴者にも分かる程の軽蔑の念を込めた視線を三人のゲストにたっぷり注いでから言葉を継いだ。

「それにしても猟奇的な事件ですよね。遺体は胸部を切り裂かれ、金色に塗られた林檎が遺体の横に置かれていたなんて……」

 時子はそんなバカバカしいやり取りでも、稀有な猟奇殺人事件が気になるようで、食い入るようにテレビ画面に見入っている。晴翔はこっそりと溜息をついた。

「まったく、誰がバラしたんだろう。自供の裏付けに使える貴重な特異条件だろうに」

「なんですって?」

 晴翔が他人事めいた調子で呟くと、それを耳にした時子は半信半疑の態で箸を置いた。

「ニュースで言っている事は本当なんですか?」

 ううむ、と中途半端に晴翔は首を捻った。

「捜査を担当しているわけではないので、これは俺の勝手な推理ですが、ニュースで言っていることは半分本当で、半分デタラメです。たぶん、関係者から情報が洩れて慌てて取り繕ったんでしょう」

「そういう事があるの?」

「まあ、無いかもしれませんし、あるかもしれません」

 晴翔は掻い摘んで一般にも公開されている事件の概要を時子に説明した。被害者である三嶋和臣の身辺調査の結果、関係者は全てアリバイがありシロと判明、行きずりの犯行と推察された事など……

「まだ容疑者も絞れていないらしいですよ」

 まあ、と時子は大仰に嘆いてみせた。

「まったく、警察官は何をしているのかしら。だらしない。事件が起きてから二ヶ月も経つのに、まだ、そんな異常な殺人鬼を野放しにしておくだなんて、市民の安全が脅かされるじゃありませんか」

「お婆様、俺も一応は警察官なのですが……」

「あら、そうだったわね」

 おほほ、と時子が悪気の無い高笑いをした時、テレビでもメインキャスターが声を張り上げていた。

「そういえば、この事件と類似性の高い猟奇殺人を綴った作品があり、犯人は作中の犯罪を模倣したのでは、と注目されていますね。番組スタッフが、出版社に打ち合わせに来ていた作者本人に突撃取材を敢行しました。そちらの映像もご覧頂きましょう」

 次の瞬間、春夏秋冬ひととせ家のテレビ画面には、リポーターに突撃される三十代前半くらいの男性と、同年代の女性がアップになった。一見すると不倫が発覚した芸能人カップルにも見えるが、製作スタッフが何かに気でも回したのか、派手な赤文字で「担当作家を健気にかばう女性編集者と人気作家・兵藤静香氏」というテロップが出た。

 それを見て、時子は小さな歓声を上げる。

「あら、兵藤静香って男性だったの? ビックリしたわ」

「お婆様、この作家をご存じなんですか?」

「ご存知もなにも大ファンよ。兵藤静香の本なら全部揃えてありますよ。筆名は本名だとプロフィール欄に書いてあったから、てっきり女性だと思っていたわ。恐ろしい猟奇殺人事件を書くわりには、文体は繊細で幻想的だし、兵藤静香は女性だと勘違いしていた人が大半だったでしょうね」

「静香なんて、女か、どこかの政治家みたいな名前ですもんね」

 晴翔が軽口を叩くと、時子はムッとして眉根を寄せた。

「高貴な感じがしていいじゃないの。それにしても端正ねぇ。こんなに素敵な男性だったのなら、もっと早く顔を見せてくれていれば良かったのに」

 年甲斐も無くはしゃぐ祖母を尻目に、晴翔は改めてテレビ画面に目を向けた。

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