暴食 gluttony_04

 確かに、兵藤静香は嫌味なくらい端正な男だった。銀縁の眼鏡をかけ、憂鬱そうに目を伏せている。名前の印象に反して男性らしい整った顏立ちだ。彫は深いが和の系統で、涼し気な目元、通った鼻筋、薄い唇。蒼褪めているようにも見える体温の低そうな肌で、全体的に酷薄な雰囲気だが、女受けは抜群に良いだろう。髪は短く清潔に整えられ、スラリとした長身に渋い和服をラフに着こなしている。気負った感じは無く、普段から着慣れているのが仕草で分かる。

「知的でいいわねぇ。益々ファンになりそうだわ」

 うっとりと、時子が頬に手を当てながら呟くその向こう側、テレビ画面の中では、タイトスカートにハイヒールの小柄な女性編集者が、不躾にマイクを突き付ける取材スタッフからくだんの端正な作家を守ろうと、髪を振り乱して必死に奮闘していた。

「やめてください。マイクを突き付けないで」

「兵藤先生、黄金の林檎殺人事件について、どのように思っておいでですか?」

「言い掛かりです。いい加減にしてください。兵藤先生は無関係です」

「しかし、事件現場にはペンキで金色に塗られた林檎が残されていたんですよ。兵藤先生の作品『黄金の林檎』に登場する連続猟奇殺人事件の犯人が犯行現場に残したアイテムと同じですよね。先生の作品に影響を受けたファンの犯行なんじゃないんですか?」

「偶然の一致です。作品は事件とは無関係です」

「模倣犯ならどうなさるんですか?」

「もうやめてください! 通して! 道を開けてください!」

 加熱する遣り取りを横目に、渦中の作家、兵藤静香は一言も語らず、ヒステリックにマスコミの対応をする担当編集者と共にタクシーに乗り込み去って行った。

 どうやら小説の存在がクローズアップされ、世間の代表を自負するマスコミから、謂われの無いバッシングを浴びせられているようだ。カメラはスタジオに戻り、三人のコメンテーターが訳知り顔で囀り始める。

「小説を真似た模倣犯というやつですかね」

「劇場型犯罪ですよ」

「それ間違ってませんか。劇場型犯罪って予告状とか、自分がやったっていう挑発的な手紙が届くあれでしょう?」

「君の見解は狭窄的だなぁ。手紙などの犯行声明を出す行為をもって劇場型と断じるわけではないんだよ。犯罪全体を芸術作品に見立てて行われる劇場型犯罪もある」

「芸術作品って言い方が不謹慎なんですよ。殺人事件なんですよ」

「君はさっきから不謹慎、不謹慎ってうるさいな。僕は事実を述べているだけだよ」

 コメンテーターは好き勝手な事を喚き合い、建設的な意見は何ひとつ出ないままメインキャスターが場を取り繕い話題は次のニュースに移って行った。

 はあ、と時子は親身な溜息をついた。

「兵藤先生も災難ねぇ」

「災難ですけど、それにしては兵藤静香の鉄面皮は超然とし過ぎていませんか? なんとなく気に障りますね」

「おや、まあ。素敵な人だからってケチをつけるのね。男の嫉妬は見苦しいですよ」

「お婆様は僕に手厳しくあり過ぎませんか?」

「そんなことありませんよ、被害妄想でしょう。それにしても……」

 晴翔と話しているうちに、時子は突拍子もなく、奇妙な引っ掛かりを覚えた。

「ねえ、あの事件の犯人は本当に女の人なのかしら?」

「え? はあ……担当していませんから何とも言えませんが、僕も安倍定事件のようなものだと思ってますが……」

「だとしたら、鬼女ね。遺体をわざわざ傷付けるなんて並みの女にはできません。案外、そういうところでは女性は肝が据わっていないものですから」

「活魚を平気でさばけるお婆様でも?」

「そりゃあそうですよ。料理と人殺しは違います。犯人は本当に女性なのかしら?」

「言われてみれば……犯人が女性と決めつけるのは早計ですよね。犯人の人体にんてに関して一件の目撃証言も無く、犯人の性別を決定づける証拠も出ていないらしいんです。男性を容疑者から外すのは軽率だと思いますけど、でも、うちの同僚の大半は女性の犯行と考えていますね」

「二ヶ月も捜査しているのに、目ぼしい容疑者もいないんでしょう?」

「らしいですね……っと、また警察が責められる流れになりそうですね」

 軽口を叩いて晴翔は急いで食事を掻き込んだ。

「ごちそうさま。支度したらすぐに出ます。俺、今日から事件番なので、帰りは明日の昼頃になります」

 事件番とは、事件の発生に備えて、午前八時半から翌日の同時刻まで二十四時間待機する六日に一度の宿直勤務のことである。

 あら、そう、と時子は嬉しそうに微笑んだ。

「じゃあ、明日のお昼は晴翔さんの好きな若竹屋の更科蕎麦と季節の天麩羅セットをご馳走しましょう。何事もなく、ちゃんと帰れると良いですね」

「それはお婆様の好物でしょう?」

「あら、そうだったかしら?」

 時子はカラカラと笑ったが、祖母が外食に誘ってくれる時は大抵事件に追われてお流れになる。どうもゲンが悪いな、と晴翔は嫌な予感に苦笑いをこぼした。


   ***


『文芸朝霧・××賞受賞作家特別インタビュー』

 黄金の林檎を選んだのに特段の理由はありません。マクガフィンは何に置き換えられても物語の本筋には影響はありませんからね。青い小鳥でも、虹色のガラスでも、何でも良かったんです。ただ、偶々思い付いたので黄金の林檎にしました。ギリシャ神話や北欧神話を意識したのではないかと言われることもありますが、それは深読みのし過ぎです。そもそも暗喩を持たないモノなどありませんよ。黄金の林檎だけが特別なわけではありません。あらゆるものに神話はあります。世界には遍く神が溢れているのです。アニミズムはヌミノーゼと並んで人間の根源にあるほとんど本能と言ってもいい感覚です。我々は他者に魂を感じますが、その他者は生物である必要はありません。形を持つモノならば……いいえ、形を持たないモノでさえ、我々は他者と認識します。

 なぜか――?

 他者は脅威だからです。自分の外に在って、自分を傷付け得るモノだからです。魂とは意思の別名です。あなたの外にあるモノは独自の意思を持ち、あなたの意思の埒外で、あなたを傷付け得る力です。力が振るわれる時、そこには意思が介在していると私達は感じてしまう。魂、あるいは神と呼び替えてもいい。とにかく、自分の外にある現象すべてに、我々人間は、勝手に意思の存在を感じ取るのです。不随意の力は恐ろしいモノでしょう。だから我々は、自分以外の有形無形のあらゆるモノを意志を持つ他者と定義し、その意思を恐れ、宥めようとして、時に媚びへつらうのです。それが原始的な信仰の本質でしょう。

 黄金の林檎は、そんな恐ろしい他者ばかりの世界で、比較的安全なモノの象徴です。美しく、優しく、自分を傷付けてくるような素振りはみせない。

 だから、恐怖に戦慄く「彼」は、最も危険な他者である「人間」の身の内に宿る、特に邪悪な害意を生み出し得ると太古から我々人類を錯覚させてきた「心臓」を取り出し、その対極にある、より親和性の高い、つまり主人公である「彼」にとって御しやすい、少なくとも自分を攻撃する意思は持たないように見える黄金の林檎と入れ替えることによって、もう攻撃されることは無いという安心感を得ようとしているのです。求めているのは安全と平和の保証であって、それさえ得られれば、「彼」は充分に満足なのです。

 儀式をしているんですよ。

 黄金の林檎に登場する殺人鬼は、次々と人を縊り殺し、心臓を抉り、金色の林檎を詰め込むという猟奇殺人を犯していくのですが、彼の本質は臆病な観察者に他なりません。他者が恐ろしいから、攻撃される前に殺すだけなんです。


   ***


 泣くのはよそうと思っても、涙が込み上げて止められなかった。

 先生が答えてくれた。四か月前の記事だけれど、きっと、この日が来るのを予想して書いておいてくれたのだ。もちろん、この記事を読むのは初めてではない。掲載された雑誌を買って以来、何度も目を通した。だけど、これまでの自分はこの記事の真意を読み取れていなかった。今、初めて、本当の意味で読んだと言えるだろう。

「先生が答えてくれた……」

 ああ、そういう事なのですね。先生が励ましてくれるのなら、どんなに辛く苦しくとも続けなければならない。それに、まだあの問題に答え終わっていない。中途半端は良くない。あれだけでは先生は戸惑うだろう。

 意味を完成させなければ……

「もう始めてしまった事だ。最後までやり通そう」

 先生、それでいいんですよね。


   ***

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