強欲 avarice_10

「へえ、そうだったんですか?」

 兵藤は驚いた様子もなく平坦な声で、驚きました、と言った。その隣で、山名は目を見開き、声も出せずに顔面蒼白になったにも関わらずだ。

「枩葉が先生に送った手紙やメール、可能な限り提出して頂けますか?」

「ええ、いいですよ。変に隠し立てすると僕の立場も危うくなりそうですからね。彼からのメールや手紙はすべてお見せします」

 気軽に応じて、兵藤は書斎へ文箱を取りに行き、すぐに戻って来た。どうぞご覧ください、と言って文箱の中身を螺鈿漆のテーブルに並べ始める。

 兵藤があっけらかんと出した写真を見て、二階堂は改めてゾッとした。

 晴翔が狼狽の声を上げる。

「これ、ぜんぶ本物の遺体の写真ですよっ!」

 テーブルに並べられた写真には、三嶋和臣、鵜辺野遼、高塚栄治、三人の被害者が胸を切り裂かれ、その穴に黄金の林檎を埋め込まれた姿が写っていた。血の海になったシーツの上に横たわり、遺体の横には取り出された胸骨と心臓が置かれている。殺害現場で嗅いだ濃密な臭気がよみがえり、強烈な吐き気が込み上げた。

「嫌っ! そんなもの見せないで!」

 山名は悲鳴を上げて顔を背けてしまう。女性らしく口元を押さえて震え出した。

 しかし兵藤は、衝撃を受けた様子も、怯える様子も見せなかった。あまつさえ、爽やかな笑みを浮かべて山名の肩を抱いて宥め、二階堂には飄々と謝罪した。

「おや、本物でしたか? てっきり画像を加工した悪戯だと思っていたので、放置していてすみませんでした」

 そんなはずは無いだろう、と怒鳴りそうになった。気づいていなかったと言うが、嘘に決まっている。気付いていた癖に放置した。いや、もしかしたら、気付いていて楽しんでいたのではないか?

 ふと、手紙の中の一枚が目に留まった。拙い文字で「現場に水晶の動物を置いて来ました。確認してください」と書いてある。

「先生、この枩葉が郵分受けに直接投函していった手紙にも書かれている、水晶の動物の件に心当たりは有りませんか?」

「水晶の動物……僕も何の話か気になっていたんです。何なのですか?」

「報道されていない秘匿情報なのですが、殺害現場に水晶彫りの小さな動物が置かれていたんです。馬、牛、猿の順で……我々は、あと羊と虎が出るだろうと予想しています」

「ああ、心理テストですね」

 兵藤はパンと両手を打ち合わせた。

「一度だけ会ったと言いましたよね。その時に彼に出題されましたよ。何を大切にしているか分かるらしいです。殺人犯なのに意外と幼稚なところがあるんですね」

「兵藤先生……」

 珍しく、晴翔が苛立ちを隠さない険のある声を出した。我慢出来ない、と顔に書いてある。二階堂は焦ったが、晴翔は感情を押し殺した声で言葉を続けた。

「彼の告白を冗談だと思っていたなんて嘘ですよね。あなたは写真に写っている遺体が本物だと気付いていたはずです」

「え……?」

 兵藤はとぼけて小首を傾げる。どういう意味ですか、と。

「先生、これはバカバカしい思い違いかもしれませんが……あなたが言外に枩葉龍之介を誘惑し、彼に殺人を犯させるよう誘導したという事はありませんか?」

「まさか!」

 兵藤は瞠目した後、声を上げて笑い始めた。

「ははははははっ、刑事さんまでそんなバカバカしい事を言い出すなんて、いや、すみません、ちょっと愉快過ぎて笑いが……」

 目に涙を溜め、腹を抱えて笑い転げて見せても、兵藤に纏わりつく冷たい闇の気配は消えなかった。益々濃く深くなり、噎せ返って息が詰まるような気がした。

「もしもそうだとしても、殺人教唆には当たらないと思いますよ。僕は、彼への返信にはずっと『冗談はやめなさい』と書き続けてきました。信じてはいませんでしたが、念の為にですよ。万が一、彼が罪を犯しているなら止めるべきかな、と……」

「兵藤先生、彼はあと二人殺すつもりですよ」

「僕に心当たりは無いです」

 二階堂も、晴翔も、悪魔に会ったような気分になっていた。


   ***


「あの先生はいったい何なんだ……」

 ドン、とテーブルを叩いたら、乗っていたグラスが揺れて中身が数滴飛び散った。

「得体のしれない人物でしたね。叩けば埃が出そうな気がします」

 兵藤の邸を辞去し、二階堂と晴翔はカラオケ店の個室で休憩していた。さすがに人に聞かれては拙い話になっていたし、異様に疲れてもいた。フリードリンクのウーロン茶とアイスカフェラテを啜って睡魔を追い払うが、なかなか厳しい状況だった。

「兵藤先生は、枩葉の行方を知らないと言ってましたけど、本当だと思います?」

「あれは平気で蜥蜴の尻尾を切る男だよ。まあ、性格は不気味だが、手紙もメールアカウントのパスも提出してくれたし、後ろ暗いところは無いんだろうな」

「そういう結論になっちゃいますよね。いざとなれば警察はPCを押収する事も出来ますし、そうなってから別アカがバレて犯人とのマズイやり取りが出て来たら首が締まりますもんね。あの先生、そういう下手は打たなそうです……」

「あの邸に枩葉が居るんじゃないかと少し期待してたんだが、あれだけマスコミが張り込んでいられたら、人目に付かずに中に入るのは無理だな」

「津谷さんの息子さんの話だと、鵜辺野さんの事件が起きた二日後くらいからずっとあんな感じだそうです。あのお邸、今日通った表門の他に裏門もあるらしいですけど、取材陣の半分はそっちを張り込んでるみたいですし、死角は無いですね」

「あの包囲網の中、枩葉はどうやって封書を投函したんだ?」

「ええと、それも津谷さんの話によると、夜中は帰る記者も多いらしいです。残ってる取材陣も車の中で休んでいるようですし、枩葉が深夜四時に、何も知らずにそこに行ったなら、車が数台路駐しているようにしか見えなかったんじゃないでしょうか。ドライバーがそうやって休憩している事は珍しくないですからね。でも、実際はマスコミが張り込んでいたわけで、現に封書を投函する姿を撮られてますからね。中に入ったなら、その姿も撮られているはずです。念の為に取材陣に確認はしてみますが、津谷さんがタレ込んで来ないって事は、枩葉は中に入っていないという事だと思います。なんにせよ、誰にも見られずに邸の中に入るのは不可能でしょうね」

「そうだよな。あの先生が枩葉を匿ってるって線は無しか……」

 休憩がてら兵藤から預かった枩葉の手紙を読んでみたが、完全に期待外れで、特に枩葉の行方を示すようなものは無かった。ストーカーが支離滅裂な妄想を綴っただけにしか見えない。枩葉が、兵藤静香の著作『黄金の林檎』へのリスペクトで、あの猟奇的な殺害方法を選んだという事と、水晶の動物がやはり心理テストに出て来た動物だったという裏付けは取れたが、成果はそれだけだ。

「しかし、枩葉はどこでドラッグを手に入れたんだ?」

「三嶋が枩葉に渡しておいたモノという可能性もあるんじゃないでしょうか。違法薬物を所持していては自分が逮捕される危険もありますし、伊東さんの話からすると、それくらいやる男ですよ、この三嶋和臣って奴は……」

「殺害する相手にMDMAを飲ませていたのは、復讐だったのかもしれないな」

「それにしても、まるで、被害者や関係者全員が、犯人の存在をひた隠しにしているような事件ですね」

 もしも園部峰子が、八月二十一日に孫が来た、と供述しなかったら、枩葉まで辿り着けなかったかもしれない。

 枩葉龍之介は、誰にも気にされない、日陰の存在だった。

「なんて言うか、枩葉は貪欲に獲物を狩り求める猟奇殺人鬼って感じがしないな」

「二階堂さん、俺達、なにか重大な勘違いをしている気がしませんか?」

「どんな?」

「狼と赤ずきんが逆なんじゃないですか? 枩葉龍之介は被害者タイプですよ。線が細くて、おとなしくて、なんとなく薄幸そうでしょう。枩葉が女性だったらと想像してみてください。DVに遭う被害者――しっくりきませんか?」

「くるな。男に良いように扱われて食い物にされるタイプだ」

「レイプされて男に恨みのある女性が、次々に男を殺していくパターンなら?」

「なるほど。しかし、それでも納得いかん。三嶋はともかく、その後は何だ? どうして殺人を繰り返す必要がある? あの先生は心理テストとか何とか言っていたが、水晶の動物の意味も分からん。何の為に現場に置いて行く? 兵藤へのメッセージのようだが、どうしてそんな真似をする?」

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