強欲 avarice_07
すかさず晴翔が口を挟む。須貝は少し驚いたようだった。晴翔は、硬い作り笑顔の二階堂とは対照的な柔らかい笑みを浮かべみせた。それで俄かに須貝の緊張が解れる。肩の力を抜いて、こくこくと頷く。
「ええ、そう、そうです。園部さんのお邸。刑事さんもあの豪邸、知ってらしたの?」
「もちろんですよ。この辺りでは有名ですよね」
「そうなのよ。昔から有名で……」
須貝は懐かしそうに目を細めた。記憶を辿るように小首を傾げて語り出す。
「龍ちゃんは小学生の頃、園部さんのお孫さんと仲が良くて、毎日お邸に遊びに行ってました。園部さんの奥様を龍ちゃんは大好きだったんですよ。本当のお祖母ちゃんのように慕っていて、友達の和臣さんより、奥様に会う事の方が目当てだったようです。しょっちゅう、あの方の孫になりたいって言っていました」
須貝は複雑な表情で重い溜息をついた。養護施設に預けられた子供が、裕福な家庭に憧れ、その家庭の子になりたいと言う姿を何度も見て来たのだろう。
「でも、園部さんのお孫さんが引っ越していなくなってしまってから、龍ちゃんは、もう園部さんのお邸には遊びに行けなくなってしまって、とても寂しそうでした」
つまり、小学校卒業以来、枩葉龍之介も園部峰子には会っていなかったという事だ。もう少し突っ込んでみる。
「彼がここ二年ほど園部さんのお宅を訪ねていた事は知っていますか?」
「え、あら、そうなの? それは良かったわ!」
須貝は嬉しそうに両手を打ち合わせた。
「良かった……と言うと?」
「三年くらい前、園部の奥様は病気をなさって目が不自由になったでしょう。ご近所だから噂で分かるんです。それを龍ちゃんのカフェにケーキを食べに行った時に話したら、あの子すごく心配して、俺がお見舞いに行っても大丈夫かな、なんて言ったんですよ。だから、きっと奥様も龍ちゃんの事を覚えていてくれて喜んでくれるわよ、って言ってあげました。お見舞いに行っていたなら良かったです」
二階堂は言葉を失っていた。予想と違う。枩葉は連続殺人犯なのだ。もっと冷酷で残虐な人間でなければおかしい。須貝が語る枩葉は、気弱で、物静かな、優しい青年だ。
三嶋和臣のふりをして園部峰子の邸に入り浸っていたのは、財産目当ての詐欺でも働く為だと思っていた。その割には、この二年、園部峰子が金銭や高価な品などを──譲られた水晶の動物以外には──奪われた形跡が無い事を不審に思いはしたが……
まさか、本当に失明した老婦人を心配して見舞っていたのか?
須貝の声は次第に湿り気を帯びていった。
「あの子は優しい良い子です。思い遣りがあって、誰かが辛そうにしていると、自分が犠牲になってでも助けようとするんです。いつだったか、施設に預けられていた小さい子が近所の門扉を悪戯して壊してしまった事があるんです。あの時は龍ちゃんがその子を庇って、自分が壊したと言い張って……結局、新聞配達をして弁償してくれたんですよ。うちの施設はギリギリで運営しているので、情けない事ですが、子供のあの子にそんな真似をさせてしまいました。涙が出るほどありがたかったです。健気で可哀想な子ですよ」
可哀想な子という言葉に二階堂は表現しようのない悲哀と反発を覚えた。
連続猟奇殺人犯が可哀想な子だなんて――
いや、それだけじゃない。
枩葉が仮に須貝の語る通りの人間だったとして、彼のような捨てられた子供を可哀想な子と呼んで片付けてしまっていいのだろうか。いや、いいはずがない。どんな子でも、可哀想な子でいさせてはいけない。子供が可哀想ではいけないんだ。では、どうすればいいのか、二階堂には分からなかった。寄付金を出せばいいのか、隣人として愛情をもって見守ればいいのか、違う気がする。
誰かを本当に救うという事は、家族にならなければ出来ない気がする。
決して施設のスタッフに落ち度があったとは思わない。愛情を掛けなかったわけではないはずだ。だが、手が回らなかったという事は有り得るのではないか。畳み切れずに山にされていた洗濯物が、散らばったオモチャが、忙しさの一端を物語っている気がする。子供一人一人に溢れるほどの愛情を注ぎ、心を掛ける余裕は無いのではないだろうか。
この施設での枩葉は、甘えられず、輪にも入れず、孤独だったのではないか。
そんな気がする。
孤独でなければ、甘えられていたなら、きっと、悩みを相談して、頼って、助けを求めて、門扉の弁償も一人では背負い込まなかったはずだ。
それを分かっていて、須貝も、枩葉を「可哀想な子」と言うのではないか。
無意識に枩葉の孤独を理解しているのだ。
枩葉龍之介は孤独だった――あまりにも簡単に犯人の姿が知れてしまい、二階堂は堪らない気分になった。枩葉龍之介には家族と思える人がいなかったのだ。
一方的に慕っていた園部峰子しか……
二階堂は震えそうになる声を抑えて、本題を切り出した。
「枩葉が身を寄せられそうな場所を知りませんか? 誰か枩葉を匿いそうな人、友達や仕事仲間、どんな人でもいいんです」
「龍ちゃん、やっぱり逃げてるんですね……」
須貝は小さな目に涙を溜めていた。
「そうです。ある事件の重要参考人です」
「ごめんなさい。私が知る限り、龍ちゃんが特別親しくしていた人はいませんでした」
「女性関係はどうでした? この顔なら相当モテたんじゃないんですか?」
「どうでしょうね。若い女の子は、学歴も低くて収入も少ない男の子なんて嫌がるんじゃないですか。あの子、調理師の免許は取りましたけど、正社員にはなれなくて、ずっとバイト扱いでしたから。それでも積極的で明るい性格なら違ったのかも知れませんけど、内向的な子で、いつも複雑なことを考えて黙り込んでしまうので……」
須貝は何も知らないようだった。よしんば知っていたとしても、口を割るようには見えない。須貝には須貝なりの愛情があった。枩葉は精一杯大切にされていた。ただ、枩葉の側が心を開けなかっただけなのだろう。
「運が悪くて大学へは行けませんでしたけど、頭が良い子なんです。だから考え過ぎるんですよ。あの子の話は、昔から、難しくてよく分かりません」
***
枩葉龍之介は消えてしまった。忽然と、闇に紛れるように。
犯人を取り逃がし、家宅捜索を行い、その足で養護施設にも聞き込みに行き、捜査本部の人員を総動員して枩葉の写真を持っての聞き込みを、二十三時過ぎまで、吉祥寺と、念の為に新宿二丁目周辺を重点的に行った。夜番の新宿署捜査員と交代し、やっと宿所の新宿署講堂に戻った時には午前零時を回っていた。ろくに食事も出来ないまま、シャワーを浴びて、母が持って来てくれたパジャマに着替え雑魚寝用の薄い布団に潜り込む。二階堂は疲れ切っていた。着替えも疎かになり、三つ揃えの高級スーツはよれよれになっていた。母が頻繁に洗濯物を取りに訪れ、代わりに着替えを持って来てくれてはいるが、忙しくて一度も顔を合わせていない。受付の職員に荷物の受け取りと渡しは任せっきりだ。こんなに入れ込んだ帳場は初めてだった。今までの自分はどこか冷めていた。だが、刑事というものは、ここまで入れ込んで初めて本物に近付けるのではないだろうか。この
「うう……」
二階堂は夢うつつで手を払った。誰かが自分の肩を掴んで揺さぶっている。不機嫌に唸りながら目を開けると、自分の横に晴翔が身支度をしてしゃがんでいた。なんだ、と問うと、晴翔は、しい、と唇に指を当てて声を潜める。
「例の『黄金の林檎』の作者、兵藤静香さんの自宅を張り込んでいた記者がタレ込みに来てくれたんですけど、同席しますか?」
「するに決まってるだろう」
ガバッと布団を跳ね除けて起き上がる。
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