強欲 avarice_05

 三嶋千尋の話から、和臣の小学校時代の友人は枩葉まつば龍之介という名前だと知れる。枩葉が通っていた小学校は分かっていた。その小学校に問い合わせたところ十五年前の記録は残っていなかったが、学区内に養護施設は一軒しかないという事で、枩葉の育った養護施設はすぐに判明した。

 施設に電話をかけてみると、気の好さそうな施設長が枩葉のことをよく覚えていて、現住所と仕事場もすぐに分かった。

 二〇一六年、十一月六日。午後一時。

 二階堂と晴翔は、新たに浮上した参考人の職場に向かって歩いていた。

 偶然なのか、枩葉の職場は吉祥寺駅近くのカフェだった。住居は吉祥寺駅の近く、伊東のマンションから通りを一本隔てた裏通りにある築三十年のアパートで、吉祥寺三丁目の携帯基地局の圏内だった。

 予断は危険だが、参考人として有力だ。

「あ、この辺りですね。枩葉龍之介が働いてるっていう店……あれ、ここって……」

「信じられん。こんな偶然」

 初めて伊東の聴取に訪れた帰りに、何の気なしにふらりと立ち寄り、タルト・タタンを食べたカフェだった。

 タルト・タタン――和臣に成りすましている誰かが、園部峰子の邸を訪れる際にいつも持参していた手土産だ。原価率が高く、商品として提供している店は少ないのではなかったか。まさか、この店の商品だったのでは……

 入口の横に置かれた立て看板のメニューを見てぎょっとした。アルコールメニューにアブサンのカクテルがある。ガラス窓から店内を覗き込むと、カウンターの奥に珍しいアブサンの瓶も何本か並んでいた。ストックも十分という事だ。

 それに、この店で、早瀬管理官への差し入れにチョコレートも買った。枩葉は調理師の資格を持っているという。この店のカウンター横で販売している土産物のチョコレートも彼が作っているのではないか。あれは、トリュフだった。

 犯人はどうやって薬物を飲ませたのか――科捜研の石倉の言葉を思い出す。

「薬物入りのチョコレート」

「商品に見えたのかもしれません」

 ぞわっ、と鳥肌が立った。

 この店には、犯人に繋がる品がすべて揃っている。

 しかも、三嶋が契約していた二台目の携帯端末からの通話は、すべて吉祥寺三丁目の携帯基地局を経由していた。ずっと伊東が架電していたものと思い込んでいた。だが、枩葉龍之介の住居は伊東のマンションのすぐ近くにある。小学生の頃、和臣と親しく、園部邸に住んでいた頃の和臣が唯一自分の部屋に入れていたという……和臣に成りすまし、峰子を騙す為の情報も持っている。

 枩葉龍之介――

「ぜんぶ揃ってる……ここに、ぜんぶ揃っていたんだ……」

 二階堂は無我夢中で店内に押し入り、カウンターに居た店員に詰め寄った。

「枩葉龍之介はどこだ?」

 暴漢が乗り込んで来たと勘違いしたようで、気色ばんだ店員は「なんだ、てめえ」と罵声で応戦を始める。晴翔も慌てて店に駆け込み警察手帳を提示して場を収めた。

「つうかさぁ、警察なら警察って最初に言ってよ。ビビるじゃん……」

 茶髪で日焼けした素行の悪そうな若者だったが、晴翔が丁寧に枩葉は今どこにいるのかと訊ねると、不貞腐れた態度ながらも素直に質問に答えた。

「枩葉先輩なら、ちょっと前に親戚のおばさんから電話がかかって来て、慌てて店長に半休もらって帰りましたけど、何かあったんですか?」

「しまった――」

 二階堂は前も見ずに駆け出した。晴翔も慌てて後を追う。

「ちょっと、二階堂さん、今度はどこ行くんですかっ!」

「枩葉のアパートを見に行く!」

「いきなり暴走しないでくださいよっ」

 走りながら二階堂は携帯端末を取り出し、捜査本部のデスクを呼び出した。三コールで早瀬管理官が電話口に出る。

「はい、こちら早瀬」

「すいません、管理官、容疑者を取り逃がしました」

 えっ、と早瀬あずさは可愛らしい声で戸惑う。

「容疑者? どういうことです? いつの間に容疑者が外に……?」

 あっ、と二階堂は声を上げた。

 そうだった。今日も伊東は任意で取り調べを受けている。滝川が強引に落とそうとしている最中だ。

 彼じゃない。彼は犯人じゃない――

 二階堂は咳込むように言った。

「伊東じゃなかったんです。早く解放してください。伊東が誤って自供でもしたら、自白強要で問題になります。本物のホシを見付けました。見付けたんです。それなのに、取り逃がしてしまって……すいません、すいません、早瀬さん……」

「落ち着いて、二階堂君。どういう事ですか?」

 二階堂は息を整え手短に説明した。

 伊東から名前を聞き、話を聞こうとして訪ねたところ、枩葉龍之介には犯人と見られる手掛かりすべてが揃っていた事を――

「三鷹署に応援要請して緊急配備をお願いします」

 数秒の沈黙。なぜか苦渋混じりの逡巡が伝わってくる。困ったような声が告げる。

「出来ません」

「は……?」

「日が悪いんです」

 口籠る早瀬管理官の代わりに堀田係長の訛声が響いて来た。

「大物議員が講演会やってんだよ。警備部が全員そっちに出張ってる。うちが同じ場所で緊急配備なんか掛けてみろ。現場が混乱する。今は緊配は無理だ。自力で何とかしろ」

「そんな事言ってる場合ですか!」

「応援を向かわせますから、あなた達で確保してください」


   ***


 二〇一六年、十一月六日。午後一時半。

 至急、枩葉龍之介の住居アパートへ向かったが、当然、誰もいなかった。

 全力で走ってきたので二階堂は息が上がっている。ぜいぜいと喘ぎながら膝に両手を突いて頭を下げたら顎から汗が滴った。

「糞ッ、こんなスーツじゃダメだ。晴翔、後で量販店に行くぞ。ジャージを買う」

「それはちょっと……」

 同じく全力疾走したはずなのに、晴翔は軽く汗をかいている程度で余裕のある顔をしている。まだ二十代の若者と、三十代になってしまった自分の差を痛感し、無性に腹が立った。こんな事では早瀬あずさに呆れられてしまう。

「枩葉の部屋を検めたいな」

「応援に家宅捜索の礼状取って来てもらいましょう。堅城さんと但馬、郷田さんと滝川さんも回して欲しいかな」

「大利根さんもいると便利だ」

「了解」

 仏頂面の五人が黒塗りバンの警察車輛で二階堂と晴翔が待つ枩葉の住居アパートに到着したのは、連絡から一時間程が経過してからだった。二階堂は気が急いていて酷く待たされたような気がしたが、一時間で礼状も用意して来られたという事は稀有なケースだ。

「何チョンボやってんだよ、二階堂主任」

 バンから降りてくるなり堅城が嫌味を言ったが、以前のような粘り着く意地の悪さは感じられなかった。それどころか堅城は、二階堂の横を通り過ぎる時、労うように軽く肩を叩いて行った。この捜査本部になってから堅城は別人のように軟化した。晴翔のお陰だと思う。それなのに、晴翔を自分の下らないミスに巻き込んで、失態の尻拭いに付き合わせて申し訳ない。晴翔の評価が下がらなければいいが……相棒のミスは連帯責任だ。

 枩葉に警察が行く事を告げた者がいる。

 心当たりはある。養護施設の施設長に電話を掛けて枩葉の住居と仕事場を訪ねる時、馬鹿正直に警察を名乗ってしまった。子供時代の枩葉の世話をした人物なら肉親も同然だ。警察が枩葉の身辺を嗅ぎ回っていると分かれば、それを当人に知らせてもおかしくなかったのだ。もっと上手くやるべきだった。些細な手間を惜しんで、情報の漏洩を防げなかった。慎重さを欠いていた。完全に自分のミスだ。

 郷田と大利根は目に同情を浮かべて黙って頷き、但馬は晴翔の耳元で何か言い、慰めるように肩を叩いた。

 滝川は猛烈に怒っていた。取調室の伊東が落ちそうだったのだと但馬に教えられ、二階堂と晴翔は危なかったと胸を撫で下ろした。滝川の怒りは、だから複雑だった。冤罪を出し掛けた自分への怒りも丸々、本物の犯人を取り逃がした二階堂と晴翔に向かう。

「餓鬼みたいなミスしてんじゃねえよ。何年デカやってんだ」

 八つ当たりだと分かっていても堪えた。

 アパートの大家である神経質そうな痩せた老年の男性に立ち会ってもらい、マスターキーを使って借主が留守にしている部屋の鍵を開けた。

 枩葉の部屋は寂しい程に簡素だった。荷物は多くない。安物のパイプベッドと、食卓にもしていたであろうミニテーブル、ラップトップPCと、百冊ほどの本と雑誌。キッチンには独身者サイズの冷蔵庫。調理器具は揃っていたが、食器は一人分しかない。収納は小さな本棚と造り付けのクローゼットのみで、衣服や靴、カバンなどはあまり持っていないようだった。

 小さな本棚には、兵藤静香の著作が揃っており、どの本も二冊ずつ収められていた。

「おい、これって……」

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