強欲 avarice_02
「まさか、例の水晶の動物か? 信じられん。こんなところにあったなんて!」
手掛かりだ。とうとう新しい手掛かりを掴んだ。
二階堂は興奮で立ち上がり、思わず米原に詰め寄っていた。
「これは? 今どこにありますか?」
「え、あの……」
「この水晶の動物です。今どこにあるんですか?」
チラリと峰子に救いを求めるような視線を投げたが、二階堂の剣幕に威圧され、米原はおどおどと答える。
「それは、その……和臣さんがお気に召したようで、その写真を撮った日にお持ち帰りになりましたけど……」
「これは、どこで入手なさったんです?」
米原は拙い事を言ったという態で、あからさまに蒼褪めた。
「分かりません。そんな……」
「重要な事なんです。答えてください」
「おやめなさい!」
米原の肩に手を掛けようとした時、鋭い叱責と共に峰子が立ち上がった。見えない目のせいでふらついたところを慌てて晴翔が支える。
「危ないですよ、急に立ち上がったりしちゃ」
峰子は晴翔の手を丁寧に退けた。
「わたくしが答えますよ。大きな声を出さないで頂戴」
毅然とした態度で叱られて、二階堂は恐縮して冷静さを取り戻した。
「すみません、失礼しました」
改めて椅子に座り直し、落ち着いてから峰子は語り始めた。
「二十年くらい前、お友達からロシアのお土産に頂いた十二支の水晶彫りですよ」
「ロシア……ロシア土産で十二支の置物ですか?」
「ええ、ロシアにも十二支があるらしいのよ。世界各国に十二支はあるのだけれど、未が山羊に代わったり、寅が猫になっていたり、辰が鰐や鯨になっていたりするの。でもロシアの十二支は日本とまったく同じなんですって。面白いわね」
なるほど、二十年前のロシア土産なら、西洋風の造形も頷けるし、物証班が販売している業者を見付けられなくても当然だ。天然水晶を職人が手彫りした高価な品だ。おそらく日本に持ち込まれた数も極めて少ないのだろう。
「それで、これは本当にお孫さんがお持ちになったんですね?」
「ええ、目の見えない私が持っていても仕方がないから、孫にあげたのよ」
答える峰子の声には、なぜか切羽詰まったような酷く不機嫌な調子が含まれていて、心に引っ掛かった。
それにしても、写真を出してもらえたのは僥倖だった。
間違いない。あの水晶の動物だ。こんなところにあったのだ――
デジタルカメラで撮影した写真だという事で、元データをコピーさせてもらい、二階堂と晴翔は礼を言い、園部家を辞す事にした。
玄関で見送る峰子に、二階堂はもう一度だけ確認した。どうしても腑に落ちず……
「八月二十一日にここへ来たのは、本当にお孫さんだったんですね?」
「ええ。あの子は私の孫ですよ。他の何者でもありません」
***
三鷹駅までの道を歩きながら、晴翔は猫のように伸びをした。二階堂も腕を回して肩の凝りを和らげようとする。妙に疲れた。
「二階堂さんはどう思います?」
「なにがだ?」
「誰かが長期間に渡って園部峰子さんを訪ねていたのは間違いないです。ですが、本物の三嶋和臣が峰子さんを訪ねていたとは考え難いですね」
「ああ、そうだな。園部峰子が語る孫の姿は、どうにも三嶋和臣と印象が一致しない。三嶋は職場や母校などでの評判は良かったが、当たり障りのない善人というだけで、思い遣りがあるってのとは違うんだよな。別人の話を聞かされているような感触だ」
「やっぱり別人ですよね。誰かが、二年にも渡って、孫のふりをして峰子さんを訪ね続けていたとしか考えられません」
三嶋和臣の母、三嶋千尋の証言がある。和臣は祖母を頻繁に訪れるような思い遣りのある子ではない、と。そもそも、峰子が「孫が来た」と主張している同じ日に、三嶋は別の場所に居たと確認されている例が複数あり、峰子の話には証拠が無い。
決定的なのは、三嶋和臣が殺害された後――八月二十一日の件だ。本当に、その日に訪ねて来たというのなら、それは三嶋和臣ではない。
「誰が三嶋和臣になりすましていたんでしょう? どうやって?」
「伊東じゃないのか?」
「仮に伊東さんが、そんな真似をしていたとして、目の見える米原さんまで騙されていたのは、どういう事なんでしょう?」
二階堂は思考の迷路に嵌り込んでしまった。奇妙な状況だ。騙されるはずのない人物までもが、和臣だったと証言している。峰子の病気による妄想を指摘して傷付けるのが嫌だと言うなら、峰子のいない場所で捜査員にそれを伝えてくれれば済む。なのに、米原はそれをしない。つまり、米原も、和臣のふりをしていた誰かを和臣本人だと信じていたという事になる。米原は三十年も園田家に仕えている家政婦だ。和臣とは、彼がまだ少年の頃に出て行ったきり十五年も会っていなければ、大人になった和臣が分からないという事もあり得るかもしれない。しかし、二年は長い。そんなに長く別の人間のふりを、齟齬無く続けられるものだろうか。
どんな人物なら完璧に和臣になりきれる? 伊東にそれが出来るのか?
どうにも釈然としない。納得できる答えが見付からない。それは晴翔も同じであるようで、二人して暫く黙り込んだまま歩いた。
***
二つ目の角を曲がりかけた時、不意に二階堂は恐ろしいことに気付いた。
「待てよ……十二支だったというのは拙くないか? それぞれの現場に水晶の動物を置くつもりなら、犯人は少なくとも十二人を殺害するつもりだという事だ」
二階堂は半ば恐慌に駆られて警告を発したというのに、晴翔の反応は鈍かった。
微妙な表情で首を横に振る。
「俺もそれは考えたんですが、だとしたら、被害者と干支の動物に意味的な繋がりが無いのはおかしいと思うんです。被害者の干支と置かれていた動物は一致しませんでした。そこがバラバラでいいというなら、被害者の属性とは無関係に、十二支をモチーフにして連続殺人を演出しているという事になりますよね。なら、現場に置かれる動物の順番は、子、丑、寅……の順でないと収まりが悪いです。十二支の動物を使った別のモチーフなのかも……」
「十二支の置物を使っているのに十二支じゃない?」
「はい。おそらく」
晴翔は、危機感は共有しているが、論理は共有していない、という事らしい。
二階堂は怪訝しげに眉を顰め、晴翔は顎に手を当て考え込んだ。
「もしかしら……なんですが、ひとつ心当たりが……」
「何だ、それは……?」
答えを急かそうとした時、ふと、視界に見知った人影が飛び込んできて、二階堂は我が目を疑った。晴翔は考え込む仕草をやめて素っ頓狂な声を上げる。
「あれ? 堅城さんと但馬? こんな所で何してんですか?」
「おう、晴翔と二階堂主任。こんなところで奇遇だな」
堅城は気さくに片手を上げ、その後ろから但馬が喜色を満面に浮かべてガッツポーズをしてきた。
「例の水晶の動物、質屋に売られてたのを見つけたぞ。やっぱり十二支だった」
「え?」
あの水晶の動物が十二支だという事は、たった今、自分と晴翔が園部邸で確認してきた事だ。その新しい確証の発見は、まだデスクにすら報告していないというのに、なぜ堅城と但馬のペアが知っているのだ? しかも質屋に売られていた?
二階堂は狐につままれたような気分になった。
「いったいどういう事なんです?」
「はあ? どういう事って……」
問われた堅城と但馬も、わけが分からないという戸惑いの表情を浮かべた。
つまりは、こういう事だった。
堅城と但馬のペアは物証班の応援に回され、窃盗捜査専門の三課の協力で、質屋に売られた水晶彫りの動物を探していたらしい。捜査範囲を広げ、やっと昨日、阿佐ヶ谷の質屋でそれらしい品を見付け、質屋を持ち込んだ男を洗い出し、ほんの一時間前に、その男がスロットに耽っているところを発見し、警察手帳を出して問い詰めたところ「捨てられていたから拾って売った」と答えたらしい。男は、拾った場所を三鷹のこの辺りの家の前だと供述した。特徴のある豪邸だから見れば分かると言われ、現地に足を運んだところ、園部邸から出てきた二階堂と晴翔にバッタリ出くわしたというわけだ。
「売っ払った野郎を引きずって来たかったんだが……」
堅城は渋面を浮かべて舌打ちをした。
その男の行為は遺失物等横領罪に当たるのだが、目くじらを立てて逮捕するほどの事でもない。任意で協力を求めるのが慣習だが、売った男は応じなかったのだろう。
「その人、どんな状態で捨てられてたって言ってました?」
「絵本の城みたいな白い豪邸の前に綺麗に並べられてたって言うんだよ。だから、てめえそれは泥棒じゃねえかって怒鳴りつけてやった。ったく、拾得物は交番に届け出ろってんだよ。糞が……」
らしくない事を言いながらキレる堅城の後ろから、但馬が状況説明を付け足す。
「今から近隣の全世帯に聞き込みをしようとしていたところだ」
パン、と唐突に晴翔は両手を打ち合わせた。
「分かりました」
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