ユタカくん  5

「……別れたいの?」

別れられない、となるとどう解釈したらいいのか、中々複雑な話のようだ。綿貫さんは、わ、の口のまま小さく首を傾げた。

「わー……かれ、たい、のかな」

わかんない、とさらに泣き出した綿貫さんの背中をさすりながら、その顔がなるべく人目に触れないように、壁側に寄せて、近くのベンチに座った。百均の裏手にある日陰で、人通りはそれほど多くない。


「別れないと、いけないのかな……」

震える背中が、一層大きく揺れた。ほたほたと涙が綿貫さんの膝の上、群青の学生かばんに音を立て落ちて、散る。もう少し仲のいい友人だったら、抱き寄せたり、慰めの言葉もあったのかもしれない。

「好きな人が、あたしを好きじゃなくなった時って、どうしたらいいの……?」

絞り出すような声はほとんど悲鳴のようだった。きっとその答えを、僕はまだ持ち合わせていないだろう。恋愛モノの漫画はあまり読んでいないし、ゲームなんかでは、一度愛し合えばそのまま、一生愛し合うのが常識のようだ。もちろん誰かと付き合った事も、ない。

「好きじゃないって、言われたの?」

「ううん……でも、あの……え、エッチした時にね、ずっと、愛してるって言ってくれてたのに、言わなくなったの」

エ、と割と大きな声が出てしまった。

「……その、大人と……?」

「…………かわいいね、って、愛してるの代わりに仕方なく言うような、そういうのって、優しい言葉のはずなのに、つらいね……」

それは、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。相手の男も、綿貫さんの事も詳しく知っているわけではない。自分が、口出しをする段階にない話だ。ちくり、と胸が痛む。

「ごめん……デカい声出して」


 空が夕暮れ色に変わり始める頃。うずくまっていた綿貫さんは、あー、とため息混じりに声を出しながら背伸びをした。普段はやや奥二重のまぶたが、腫れてくっきりとした二重になっている。

「うん、うん、なんか、吐き出したら楽になったかも。ありがとね」

綿貫さんは立ち上がって、ベンチ横の自販機に向かった。

「僕はなんもしてないよ」

まだ人生の年表が、数ヶ月しかない、というのが、これほどまでに心許こころもとだったのかと、初めて実感する。がたん、と自販機から大きな音が鳴った。

「ごめん、なんか奢ろうと思ったんだけど、その、ユタカくんは飲み物も、飲めないんだよね。どうしよ」

隣に座り直した綿貫さんが、やたら大きな缶のコーラを、ぷし、と開けると、微かにカラメルの匂いがした。こく、こく、と綿貫さんの喉を通る液体の音が、鮮明に聞こえる。

「大丈夫だよ。ほんとに、何かしたわけじゃないから」

「そう?じゃあ、今度ゲーセンかなんかで。……ユタカくんは、大人とするの、ダメって言わないから、話しやすいよ」

夕日に照らされてきらきらと光る真っ赤な目が、やけに綺麗に見えた。大人の関係を知ってしまったからだろうか。昼まではただの友達だった綿貫さんが、異性としてそこにいる、と嫌でも自覚してしまった。

「いつでも聞くよ」

ぎこちなくならないように。友達に話すように。なるべく、下心が知られないように。僕は必死に自分の手を見ながらそう応える。指先に走る血管が、本物だったら、バレていたかもしれない。

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