ヤスハルさん 5
師走というのはよく言ったものだと思う。僕もヤスハルさんもそれなりに忙しく、中々顔を合わせられない日が続いていた。イルミネーションはびかびかと目を焼き、辺りには陽気なクリスマスソングが永遠に流れている。
「ヤスハルさん、デートしませんか」
この頃には、僕も夏よりは気楽に話すことも出来ていたけれど、やはり自然に、軽い調子で聞くというのはそれなりに訓練が必要なのだと思い知る。ヤスハルさんは電話の向こうでくすくすと笑いながら、あっさりと、いいよ、と応えた。
「行きたいところがあるの。ついて来てもらってもいい?」
「全然いいですよ。どこまでも行きます」
僕は目の前にヤスハルさんがいるわけでもないのに、ベッドの上で正座した。待ち合わせ場所と時間だけ確認して、挨拶もそこそこに電話を切って、それから五分ほど土下座のような姿勢で唸って、ようやく正気に返った。デート。いや、ヤスハルさんと僕は正確にはお付き合いをしていない。夏休みの最後に振られていた、はずだ。理解している。それでも僕に調子を合わせてくれた事が身悶えするほど嬉しくて、僕は再び唸った。二人きりで出掛けるのは、これが初めてだった。あまり調子に乗ってはいけない、と自分に言い聞かせながらも、僕はすでに当日に着ていく服や、気の利いた挨拶を考え始めていた。
「私は飲み食い出来ないから、一人ではこういう店に入らなくて。嫌じゃなかった?」
デート当日。僕は都内の小さな喫茶店に座っていた。目の前にはヤスハルさんがにこにこと微笑みながら座っている。机の上には大きなパンケーキが小洒落たフライパンに詰まっていて、その上には焼きリンゴとアイスが乗っていた。
「まさか!僕も、ちゃんとした店に入るなんてしないから、楽しいです!」
「ならよかった。お代は気にしなくていいから、たくさん食べてね」
「食べるのは僕なのに」
「食べるきみが見たいのは、私だもの」
そういうとヤスハルさんは、これも、と言いながらレモネードを差し出した。パンケーキはふかふかで見た目の割に重くなく、甘くとろけるリンゴとシナモン、濃厚なバニラが絡んで飽きない美味しさだった。僕はあっという間に平らげてしまい、早食いだったかな、と少し申し訳なく思ったが、ヤスハルさんは気にする様子もなく次に向かう場所について話している。レモネードに浮かんだ輪切りのレモンの食べどきが掴めず、ヤスハルさんの声と、こつこつと地図を開いた携帯の画面を指さす音を聞きながらストローの先で玩んでいた。
街中で見るヤスハルさんの横顔は、海や画廊よりも複雑な背景によってか、普段よりも生き生きとして見えた。信号待ちの間ぼんやりと見つめていると、ヤスハルさんがふとこちらを見て微笑む。
「きみは真っ直ぐに見るから、恥ずかしくて、穴が空いちゃいそう」
慌てて目をそらして、もう一度ヤスハルさんを見る。ヤスハルさんの向こう側には、くるくると画面の変わる大型ビジョンが光っていた。
「すみません、でも、慣れてください。これからもたくさん見たいですから」
キザなセリフに聞こえただろうか。しゃべる言葉の一つ一つに反省と後悔と、それを全部聞いてくれる事への期待が混じって頭がおかしくなりそうだった。ヤスハルさんは優しさからか、笑わずにうんうんと頷いてくれた。
「ヤスハルさん、手を繋ぎませんか」
僕が手を差し出すと、ヤスハルさんはほんの少しだけ間をあけて、手を差し出した。
「はぐれないように、捕まえていてね」
ヤスハルさんの手は冷たい。温めるように両手で握って、僕の体温に近付ける。温度差による結露か僕の手汗か、すこし濡れたヤスハルさんの手をポケットに入れたところで信号が青になった。
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