ヤスハルさん 4
人に好意を持たせるにはまず何度も顔を合わせること、というのはあながち間違いではないのかもしれません。毎年、海開きの日から通い詰めるあの子は、ラムネを買う度に強い眼差しで私を見つめている事を知っていました。気付くと私も、仕事の合間ごとにあの子の姿を眺めていて、見つめ合い、私はそれを、どこか当然のように思っていたのでしょう。ここ数年は夏が終わると、今生の別れのように涙して、実際に私が涙を流すことはないのですが、とはいえ、涙が流れているのではないかと錯覚する程の喪失感が、たしかにありました。それが今年になって、唐突にその、ある意味平穏で、心地の良い喪失感を、あの子の手によって奪われたのです。
喪失感の代わりに与えられたのは、胸焼けするほどの充足感。あの子との関係は、それまで人と深く関わり合う事をせず、こうやって金のために、無味透明な己を全て他人に預けてしまう、何も頓着しなくていい、そんな雑な関係性ではありませんでした。自分の中身を綺麗なもので満たして、預けて、飲み干してもらう。あの子の中身を、預かって、丁寧に飲み干すような、億劫な幸せに、追い立てられる。つまるところ私は、ずいぶんとあの子に惚れていたようでした。けれども私は、後ろ暗いところがいくらでもあって、どうしてもあの子を好きになってはいけないという気持ちがありました。相手は十七歳の子供で、素性を知らない私への感情が、勘違いでないとも限らない。恋は盲目、と言いますが、初めから見えていないようなもので、あの子には私の綺麗なところばかりを見せて、この書斎での夜のような、獣臭い姿を見る機会なんて、今後も一度だってあってはいけないのですから。
静かな時間は過ぎ、部屋の中がすっかり暗くなった頃。ぎぃと扉が開く音がしました。廊下からの光が背中に差し、私の色を床に映し出します。扉が閉まり、葛西は私の座るソファ横の小さなランプを点けると、こちらが浮き上がるほどの勢いで隣にどっかりと座りました。
「こうやって灯りに透かした方が、お前は美しい」
そういうと葛西は私の足をさすりながら顔を近付け、私は促されるままに鼻息荒いその顔へ口付けました。葛西はヤニ臭い舌をそのままなめくじのように滑らせ、ガラスの味を堪能します。服を全て剥がれ、私は、ようやくあの鬱陶しい衣装から解放された気分で身を任せていました。
「お気を付けて。どこか欠けていたら、舌を切りますよ」
葛西はお構いなしに唾の跡を残していきました。身体を這い回るおぞましい感覚に顔をしかめていると、葛西は服の前を開け、半勃ちのそれを自慢げに見せ付けてきたので、私は背中や腰や腿などの、葛西がそれを擦り付けるであろう場所にヒビや欠けがないかをさっと確認してから、いつもの通りに、ソファの背もたれにうつ伏せに寄り掛かりました。熱の塊がぺたりと乗せられ、ぬるぬると汚されていくのを感じながら、どうにかあの子の事を考えないようにと必死に耐えました。あの子を思い浮かべるたびに、罪悪感と、浅ましい感情に苛まれておりました。
「そういえば、お前、夏にいい人が出来たんだって?」
背中にぶち撒けられた精を拭っていると、タバコをふかしながら葛西が言いました。
「まさか、私がそういう関係が得意でないと知っているでしょう」
「知っているから聞いたんだ。吉田が、そりゃあもう愉しそうに話すから」
吉田というのは、あの屋台の店主でした。葛西の部下だったそうで、その縁あって夏の屋台の売り子をしていたのですが、口が軽く、どうやら私とあの子の事を、だいぶ尾ひれを付けて話していたようでした。
「まるで恋する乙女のよう、だとさ。吐き気がする」
「相手はまだ子供ですから」
「お前の事だよ、みっともない。無機物風情が、人間ごっこなんてよしておくんだな」
葛西のその言葉は、それからも長いこと耳に残ったまま、私を静かに責め続けました。
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