ヤスハルさん  2

 ヤスハルさんは、夏以外は小さな画廊で働いていた。画廊のある駅は文藝街ぶんげいまちから一時間ほどの都心で、僕は月に何日かずつ、休日に通っていた。ヤスハルさんはいつも受付に座っていて、狭い机の上で本やハガキを包んだり、画廊が主催するイベントのパンフレットを作っていた。仕事中にあまり話しかけることも迷惑になってしまうからと思い、入退場の最低限の挨拶しかしなかったものの、夏だけの関係だった時よりも電話や文字で話すことはずっと増えたように思える。その画廊では時折、年齢制限のある展示があり、その間は会うことが出来なかったが、夏の時ほどの焦りはなかった。


 どうやらヤスハルさんはとして働いている日があるようだった。美術品としてのヤスハルさんは、年齢制限を理由に僕を遠ざけていた。画廊について調べていると、裸のヤスハルさんの写真が展示品と共に載っていることがある。過去の展示だろうか。いばらのトゲで埋め尽くされたソファに力無く寄りかかるヤスハルさんには『瑕瑾かきんなき』というタイトルが付いていた。座っているというよりは何者かによってそこに置かれた、といった姿で、死体のように目を閉じている。あるいは、本当に死体なのかもしれない、と思わせるほどの、無機物の姿だった。写真の角度によっては、微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも、観る人の、やましい感情をくすぐるようにも見える。見えてしまった。僕は数秒迷ってから、写真を保存していた。その写真を見て熱を治めた夜も、少なくはない。


 現物、と言うと気分を悪くするだろうか。本物を間近に観てみたいという気持ちはあったが、ヤスハルさんは僕を子供だと思っているようだし、未成年であるのは紛うことなき事実で、何より僕自身が、ヤスハルさんがあまり気乗りしないであろう会話をする事を避けたかったのもある。大抵は学校での出来事や、画廊の展示などの当たり障りのない話をしていた。

「画廊には、好きなものを観たい人ばかりが来てね」

電話の向こう側から、心底嬉しそうな声がした。

「殺人鬼の書いた手紙とか、燃える子供の絵を?」

「ええ、悪役や廃墟にだって、興奮する人はいるもの」

ガラスの、男の人にも。僕はその一言をぐっと飲み込んだ。ヤスハルさんは美しい。僕はとても興奮する。けれど、ただの男の裸なんて、それほど観たい人がいるようには思えなかった。この時は、まだ。

「そうそう、明日から一週間くらい、別のお仕事があるから、あまり連絡が出来ないかもしれないよ。画廊にも顔を出さないけれど、新しい展示をしているから、よかったら行ってみてね」

それじゃあ、と電話を切った。

「ヤスハルさんが居ないなら行かないよ」

切れた通話口に向かって小声で言った。来週は、好きな人を観に行けない。

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