ヤスハルさん  9

 書斎のランプの電球が切れかかっていました。じじじ、と耳元で鳴く電球に鬱陶しさを感じながら、全身に浴びせるように何度も放たれる、それ、に耐えていると、行為の最中に何度も、葛西は私にあの子との話をわざとらしく訊ねるのでした。

「教育に悪い大人だな」

「そのまま、息子さんに言ったらどうです?ちょうど同じくらいの歳でしょう?」

この男は、よくも自分を棚に上げて言えるな、とつくづく思うのですが、私だって、ついこの前まで気付かずにいたのです。妻子があるというのを意識せず、せいぜいが傍観者。野次を飛ばす客のうちの一人のようにさえ思っていたのですから、人の事を言えないのはお互い様でした。口元にぐいと熱を押し付けられ、どくどくと脈打つのを唇に感じ、口中に広がる嫌なえぐみから逃げるように顔を背けると、葛西は苛立ちを抑えられないとでもいうように私を床に引き摺り下ろし、踏み付けました。

「乱暴はよしてください、安くはない身体なのですから」

「そうさせるのはお前だろう。このまま粉々に砕いて、海に撒いてやっても構わないんだからな」

「あなたは私が取られそうになると、ずいぶんとになる」

口の中に溜まった体液をかちゃかちゃと指で掻き出すと、残りを床に吐き捨てて、くしゃくしゃになった衣装で口を拭いました。葛西は思い返してみれば、私が人と長く話しているのを見たり、画廊で自分以外の人間の展示に私が出る度に、こうして酷く扱うのです。その悪癖に気付いたのも最近になってからの事でしたが、そう考えてみるとこの男も生きづらいように思えて、同類相憐あいあわれむ気持ちもありました。葛西はかかとで鈍く私の腹を蹴ると、書斎の床が汚れるのも構わずに、頭から小便をかけて鼻で笑いました。

「たかだか置物の分際で」

そういうと葛西は妻を呼び付けて片付けを命じ、自分はさっさと部屋を出て行きました。葛西と入れ替わりに入って来た女は、心底嫌そうな顔をして、私にシャワーを浴びるよう言いました。部屋の扉を閉じるか閉じないかの時に、どうか死んでくれ、と泣く声が聞こえました。死んで、だなんて、彼女は私を人扱いしているのだな、と感心しながら、風呂場へ向かいました。


 家に帰らないまま、画廊での展示が始まりました。今回の副業は、葛西の展示の打ち合わせも兼ねたもので、あの忌まわしい書斎からの直接搬入、といった形で向かったのでした。身綺麗にして、目の淵に色を塗ったり、ガラスのリンゴなどを持ったり、置いたりしながら構図を決め、照明を置き、薄布をまとって出来上がった姿は、汚らしい夜の光景とは打って変わって、存外見栄えのいいものでした。画廊の人間も含め、そこにある芸術品の数々は、大抵はそれに関わった人々の醜い記憶から出来ているものだ、と言うのが私の考えでした。足元に据えられた小さな札には、『Eve』と小さく印字され、それを確認してから、私は展示が終わるまでの7時間の間、無機物としての眠りに就きました。

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