ナナオ 3
幸いにも全て前開きの服はあっさりと素肌を明け渡した。やや左右に泣き別れた、柔らかい胸を寄せる。ちゃぷちゃぷとした手触りは脂肪層故かひやりと冷たいが、しっとりとしていて肌馴染みがいい。起きる様子を見せない女に色気を含んだ反応はなく、時折鬱陶しそうに唸るだけだった。流れた乳房の間の
「……痛っ」
ようやく目を覚ました女がこちらを見下ろし、頭を撫でた。
「死にたいな」
「今更?」
女は少し笑ってから、頭を両手で抱きしめた。服の袖から、馴染みある銘柄のタバコが匂う。悪魔じみた長い爪が当たらないよう、器用に指の脇腹で目元を掬うと、そのまま頬を柔らかく摘んで、離し、幼児に言い聞かせるように続けた。
「サクマ、あんたいい加減、親の事なんか忘れなよ。みっともないよ。そろそろ四十でしょ」
前に進む時期なんじゃない、とあっさり言い放つ女に言いたい事は幾つもあったが、それらを口に出すほど身の程を知らないわけではない。女の言う通り、まともな大人ならば折り合いを付けて生きているのだろう。
「うん」
凍えそうだ。そう思った。もう何年もの間、無声の悲鳴を上げている。
「指輪、後で返してよね」
始発電車が出る頃に、女が未だ夢見心地な声で玄関に向かって言葉を発した。
「今じゃなくていいのか?」
「別に、そんなの気にする人じゃないし」
この女にさえ愛を誓った男がいる。残酷な事実に笑い混じりのため息を吐いた。
「気にするだけの興味がない、の間違いだろ」
「そうだよ。そんなんじゃなきゃ、夫婦なんてやってらんないんだよ」
あたかもこの世の真実を告げるかの如く、自信に溢れた一言だった。この女の傲慢さが好きじゃない。じゃあね、と女が手を振るが、その背中を見送る事もなくドアを閉めた。案外足取りのしっかりとしたヒールの音が遠ざかっていくのを、気の抜けたビールを片手に扉の内側で聴いていた。廊下の向こう側には、ゆるゆると夜明けの顔をした窓が痛々しい茜色に染まりかけている。飲み干したビールの缶を握りつぶすと、けたたましい音をたてながら、裂けたアルミが手のひらを、さくり、切りつけた。
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