ナナオ 2
「仕事、ねぇ」
ナナオは都内で働いている。住居は都心へ直通の快速電車が停まる、アクセスがそれなりに良い街中だ。自宅から通う事もさほど難しくない。彼の本命は仕事などではない、というのは容易に想像がついた。服の好みが変わり、それまで見向きもしなかったドラマや映画を観るようになった。職場の同僚の話ばかりする。ふかしタバコを辞めた。わかりやすい変化に怒る気持ちも湧かない。なにより、ナナオとの関係は愛とか情とか、粘りつくようなものではなく、怒るための理由すらないのだ。友人と呼べるかさえ怪しい。ただルームシェアをしているだけの、他人だ。追い出される前に、あるいは、置いていかれる前に、どこかへ引っ越す算段をする時期だろう。部屋数三つは、一人で住むには少々広い。
夜。ほとんど酔い潰れている、まだどうにか眠っていない程度の酒臭い女が玄関に辿り着く。靴とサンダルが所狭しと並べられている玄関に
「おい、そこで寝るなよ」
「サクマぁ、見る度に老けていくねぇ」
「人間だからな。先に風呂入ってから上がれよ。酒臭え」
「酒飲んでからじゃないと、アンタつまんないんだもん」
それもそうだ、と同意するほかない。女を玄関に置いたまま部屋に戻った。立ったついでにナナオが点けて行った換気扇をようやく切る。冷蔵庫に冷やしてあった缶ビールを一本、その場で一気に飲み干し、二本目を持って自室へ向かった。玄関にはまだ女が転がっている。遊ぶ気がないならそれでも構わないが、その場で死なれては処理に困る。靴だけどうにか脱いだらしい女を引き摺り、自室のベッドに投げ捨てた。
自室にはそのベッドだけが置いてある。女と寝る時以外には使うことはない。横になる度に父の狂った顔が亡霊のように記憶を横切るのだ。暗がりで、襖の隙間から漏れる光に照らされていた父の顔は今の己の顔によく似ていた。髭くらいは剃るか、と誰ともなく呟くと、女のイビキがぴたりと止まり、うん、と眠ったまま元気よく返事をした。
「うん、じゃねえんだよ」
呆れながら女の服を脱がせていく。左手の薬指にはくすんだ銀のリングが鈍く光っていた。それを外し床に落とす。かつん、と硬質の音が埃を被ったオーディオの下に転がった。
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