文藝街綺譚

旺璃

カジカ先生

 あの人へ書いた折り鶴の手紙は、窓の外へ飛び出し何処かへ消えてしまった。赤い折り紙の、角を丁寧に合わせて折ったそれは、首を折ったその瞬間、ばさばさと大きな音を立てて手のひらから逃げ出した。

「あぁっ……」

うっかりしていた。転校してきたばかりの時に話には聞いていたし、ニュースやバラエティで見た事もある。ここ文藝街ぶんげいまちにおいて、生き物のかたちを作る時にはよく注意しなければならない、と。クイズ番組では、仏像を作ることが条例違反になるとかならないとか、喋る人体模型がいるとかいないとか、そういう問題があった気がする。首を折ってはいけないなんて、千羽鶴みたいだな。そんなことを思い出しながら、飛んで行った鶴がクラスメイトに見付からないよう祈った。


 画竜点睛を欠く、とはよく言ったもので、文藝街で作られた人形や銅像、キーホルダーやら何やらには、瞳が必ずといっていいほど付いていない。もちろん瞳が元からない物もあるが、そういうものでも必ずどこかが未完成のまま終わっている。店先に並ぶぬいぐるみのうち、完成しているものは文藝街の外で作られ、搬入されているのだという。大きさがそれなりにある作品に至っては、役所に申請せずに作ったら逮捕される事すらあるらしい。必ずしも出来上がったものが全て動き出すわけではないようだが、それこそ大仏のような巨大な物がもし動き出してしまったら、とんでもない事になるのは想像に難くない。特撮映画もびっくりの大災害が起こるのだろう。文藝街では、そういった、動き出してしまった物を『静物せいぶつ』と呼ぶらしい。紛らわしいので、基本的にはひらがなで、せいぶつ、と表記される。


 飛んで行った鶴のように、動物の形をしたものは大抵が動物として過ごし、劣化して、死んでいくようだ。それに対し、ヒトの形をしている物、例えば人形やマネキン、お地蔵様なんかは、製作者がその気になれば、の話ではあるが、人間として生きる権利が与えられるようだった。今は条例があるため、せいぶつの人口は減り続けているらしいが、制限されるほんの数十年前までは、ヒト型のせいぶつが作られるのは、まあまあよくある事だったという。

「上手く生きられるせいぶつなんて限られているから、大抵は死んじゃうんだけどね」

副担任のカジカ先生が、授業中に言っていた言葉を思い出す。こつこつ、とのっぺらぼうの顔を叩きながら、それでもどこか寂しそうに見えたのは、先生も生きるのが下手くそだったから、かもしれない。


 カジカ先生は僕が転校してまもなく、学校で、ばらばらになった。職員室の机に遺書があった事から自殺と判断された。せいぶつ、特に大人のヒト型は、ヒトとしての眠りだけではなく、無機物としての眠り、という物がある。その眠りから覚める意思が見られない物を、死んだ、と見做みなすらしい。詳しいことは明かされてないけれど、どうやら人間で言うところの検死官みたいな人物がいて、死亡した事を証明するようだ。


 僕はあの日、カジカ先生のかけらをこっそり持ち帰った。先生はばらばらに飛び散っていて、検死官たちが帰った後もあちこちに破片が残っていた。案外いい加減なものだな、と思ったのを覚えている。持ち帰ったカジカ先生の、木製の真っ白な左耳には、先生という立場にあまりふさわしくない、大きなピアスが付いていた。真っ赤な一粒の宝石が、白い肌に映えている。管理さえすれば腐ったりしにくい、というのはせいぶつの良いところかもしれない。カジカ先生の耳は、今もほんのりと木の匂いがする。やけに細かく作られた耳の凹凸をなぞりながら、僕は先生に囁いた。

「先生、僕、もっと先生とお話ししたかったな」

壊れる前の先生とは、ほとんど話した事がない。二、三回挨拶をして、それっきりだ。僕はその事を、これからもずっと後悔するだろう。カジカ先生の死体は濡れた花壇に落ちて泥だらけだった。白い肌に黒い土がまだらにこびりついた姿が、カジカ先生が死ぬ間際に立てた小気味のいい音が、忘れられない。


 赤い折り鶴は、二日後に庭に落ちていた。朝露に濡れて死んだらしい。へにょり、と動かなくなった紙に書かれた、カジカ先生への想いは、誰にも知られる事なくゴミ箱に押し込まれた。

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