ナナオ  15

 タバコの影に隠れて、灰皿の中に、小さな紙屑が落ちて、うっすらと埃をかぶっていました。生成色の、恐らくはそばにあるメモ帳を千切って作られたのであろうそれは、よくよく見ると、指先に乗るほど小さなうさぎ風船でした。佐久間が特に気に入っている折り紙の一つで、どうやら膨らませた後に指で押し潰したようです。彼が作ったものですから、恐らくは生きて動いたのを殺したのでしょう。何やら鉛筆で文字が書かれているように見えたので、破らないよう慎重に、灰の付いたその紙片をそっと開きました。


『ひとりにしないで』

中には、その一言だけが書かれていました。ボクは一度だって、佐久間の、哀願の声は聞いたことがなかったのです。たしかに時折寂しそうな様子を見せることはありました。けれど彼が父親について話している時も、まだ学生の頃に、門限近くなって駅の改札へ消えていく時も、そのを見せることはあれど、彼はいつだって無表情で、飄々としているように見せていました。話す言葉だって、これほど直接的にものを言うことはなかったように思います。それなのに、風船に書かれた、たった一言の悲鳴、それすら指で押し隠して、彼は死にました。うさぎの死骸がそこに置かれていたのは、それでもどうにか、言葉に出して伝えようとした、彼の最期の、この世への祈りだったのかもしれません。


 その後、ボクは仕事を辞めました。佐久間の骨を取りに行くのに付き添って貰い、それ以降は雪村とも会っておりません。幸い貯蓄はありましたので、一日のほとんどを、いわゆる、静物としての眠り、息をする事すら億劫になってしまって、酷い時にはひと月もふた月も動かずに、ただ部屋の中にりました。

 佐久間の骨は、無事に親族の墓に入ったそうです。何せボクと佐久間はほとんど他人でしたので、手続きのほとんどは親族が行い、彼ら人間に不憫に思われて、わずかばかりの灰を分けてもらった程度の関わりだけを残して全てが片付いてしまいました。小さなペンダントを握りしめ、それだけが、彼がこの部屋に存在していた証のように感ぜられて、二度と離すまいとしていました。


 佐久間が死んでからもうすぐ三年が経とうとしております。人間はずんずんと先に行ってしまい、もうどうにも追い付けそうにありません。墓参りくらいは、いずれ行きたいものですが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

文藝街綺譚 旺璃 @awry05

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ