ユタカくん  3

 それからというもの、綿貫さんはちょくちょく昼休みに屋上前へ訪れるようになった。気を使う性格なのか、来る日には事前に僕へ連絡してくれる。

「それでさ、『思い込んだら』っていうのを、『重い、コンダラ』だと思い込んでたって、お母さんが」

「ややこしいな」

共通するのは学年くらいで、教科担任すら違うマンモス校だ。昼休みの間、二人でどうでもいい話題を延々と話していた。共通する趣味も特になかったが、その分、お互いに知らない話をいくらでもするので、話題に事欠くことはなかった。

「ここに来るためだけに学校に来たよ」

時々、ぼそり、とそう言う綿貫さんだったが、クラスの中を覗き込んでも、帰宅途中で見かけても、イジメだとかそういうものではないようだった。大泣きしていた理由も話したことはない。綿貫さんが話すまで、聞かない方がいいのかもしれない。


 ある連絡がなかった日のこと。それほど気にすることもなく、僕は少し前に綿貫さんから紹介されたソシャゲの周回をしていた。眠気を誘う単調な作業でうとうととしていたら、ゆっくりと、足取りの重いすすり泣きが聞こえた。念のためアプリを確認するがやはりメッセージはなく、どうやらその余裕がなかったらしい、と気付いた僕はそっと階下を覗き込んだ。だぶついた淡いピンクのセーターのソデで涙を拭いながら歩く、丸まった背中が目に入る。

「綿貫さん」

驚かさないように小さく声をかける。ふるふると首を横に振るつむじは、確実にこちらへ向かっているようだ。ほとんど前が見えていなさそうな、危なっかしい足取りを支えるために階段を降りた。

「ぅ……ごめん……ありがと……」

泣きじゃっくりに紛れて、そんな声が聞こえた。さすがに、恋人でもない女の子を抱え上げるわけにもいかない。少し迷いながらそっと手を差し出すと、綿貫さんはその手におずおずと掴まった。涙で濡れたソデは一瞬だけ綿貫さんの体温だったが、すぐにひやりと冷たくなった。


 屋上前に辿り着くと、昼休みが終わる十分前になっていた。綿貫さんはずっと泣いている。僕は、膝を抱えて座る綿貫さんの隣でただ背中をさすっていた。二人の距離は初めて会った時より幾分か近付いていて、並んで座る事にそれほどの抵抗はない。

「ハンカチ、今日はちゃんと洗ってあるよ」

場を和ませようと言った言葉が少しウケたようで、ぐ、と笑いをこらえる声が聞こえたが、それがトドメを刺したのか、綿貫さんは、せきを切ったように、うあぁん、と声を出して泣き出してしまった。

「あぁん、うああぁ、うっ、うぇ……ええぇん……も、もうやだ……やだよぉ……」

うん、うん、と何がわかるわけでもないのに頷くしかない僕は、とりあえずハンカチを握らせた。

「疲れちゃったよぅ……」

それから黙り込んでしまった綿貫さんは、昼休みが終わるチャイムが鳴っても動かなかった。

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