第32話 暗雲
まるでダンジョンが生き残ろうとしているかのようだ。
そんな話が、デーイキー・ンムダの酒場でまことしやかに流れていた。
噂の真偽はともかくとして、ダンジョンもただ攻略されることを座して待つわけはない。そういう意識が
いや、それだけではない。上位の
そもそも、王国と帝国が互いに競うあうように攻略を進めたことで起きた今回の騒動。今まで『ある程度の秩序をもって行われていたダンジョン攻略』を一変させたそれは、確かに変革の起爆剤になったのだろう。
ただ同時に、
希望と欲望がダンジョンを満たし、絶望と恐怖がそれをくらう。
大幅にそれが増えたことは言うまでもない。
たしかに、両国から、
総じて考えてみて良くなったことと言えば、各階層の情報がかなり濃くなった事。
そして、悪くなったことと言えば、熟練の
まるで死者の数を競う事に変わったかのように、有力な
そんな状況を両国が座して見守るわけもなく、それぞれが残っている有望な
それと共に、相手国の
それぞれが、競い合うように破格の報酬を提示していく。
それを担っているのが、それぞれの国の指示で動いている情報屋。彼らの活動がダンジョンではなく、『
――そして、今。
アーデガルド達のもとを去る老紳士に向けて突き出したアオイの舌が表すように、険しい表情の面々がそのテーブルを囲んでいた。
*
「アーデ、あんな嘘、気にせんときや? クソッ! ホンマ腹立つ! アイツ等!
不快感を微塵も隠そうとしないアオイの態度に、強張っていたアーデガルドの表情が少し緩む。だが、それはあくまで表面上のものだというのを、アオイは良く知っていた。
「ありがと、アオイ。でも、気にしないで……」
「いや、気にするで!? 気にせん方がおかしいわ! だいたい、アーデは大人しすぎるねん。もっとこう、怒ってええんや! あんなタチの悪い嘘、
「アオイはもう少し自重すべき。アオイがそうだとアーデが怒れない。あと、始末してきていい?」
笑顔でそれに答えるアーデガルドの顔。彼女の仲間たちにとって、それはかなり無理している事は明らかだった。
固く握ったその手の震えが示すように、その紳士が告げてきた話の内容は、アーデガルドにとって無視できない事だと言えるだろう。
「アーデガルド・コーデリア・フォン・マリル・エッセンブルト……。ガニクラ王国に滅ぼされたエッセンブルト王国の王族で、今となってはただ一人の生き残りとなってしまった……、か。情報屋も、よくそんなことまで調べるものだ。いや、あれは王国の諜報機関か?」
さっき告げられた内容をかみしめるように、シオンが小さくそれを口に出す。その言葉には何の感情も込められていないが、その言葉を聞いたアーデガルドの体は、瞬間的に強張っていた。
「――で、滅ぼしたはずの王国がその地位を復権する……。ただし、自らの王族との婚姻が条件。まあ、悪くない話ではあるな? その条件で話を進めるために、弟を消したんだろう。その話が本当に信じられるかどうかは別として、あり得る話ではある――」
いまいち状況が理解できていなかったシオンが、さっきの老紳士の提案の裏側で行われていた陰謀を推測する。その言葉に、顔を上げて目を丸くするアーデガルド。だが、アオイはそれにかみついてきた。
「シオン君!? アンタなぁ? そんなこと、今
シオンの事なら三歩下がっているくらいの気概を見せるアオイだったが、この時ばかりは表情も声の質も、明らかにいつもと違っていた。
それがわかるからだろう。当事者であるはずのアーデガルドが、逆にアオイをなだめ始める。
「いいって、アオイ。他人から見ると……、たぶんそうだと思うから……。でも、やっぱり、そうだよね……。そういう……、事……、なんだよね……」
「違うよ! あんな
アオイの激高たるや、テーブルを叩き割りそうなほどの勢いを見せている。だが、そんなアオイの言葉や態度に反応できないほど、アーデガルドは自らの殻に閉じこもっていた。
シンと静まるアーデガルド達。だが、その沈黙を真っ先に破ったのは、予想もしない人物だった。
「俺は立場がどうとかではなく、客観的に物事を評価しただけだ。そして、俺がそう考えたんだ。王国にそう考えるものがいても不思議じゃない。もっとも、弟の事は確かめるすべがないから出まかせという事もある。いや、帝国につかせない保険としては、生きている方が得策か? いや、それよりも。そもそも家名を復興する事が目的なら、こちらから先に王国を利用するのが一番安全で確実だろう。帝国で認めさせるという手もあるが、その時は『領土を取り戻すの戦い』として利用されるだけだ。だが、今回は王国からその話をしてるんだ。利用しない手はないだろ?」
いつもより饒舌なシオンが、この時ばかりは話を続ける。
「過程を重視して結果が得られない事と、結果を重視して過程に妥協する事のどちらかを選択するだけだ。ダンジョンで得た富と名声をもって、その地位を自分から獲得していく。それがダンジョンを攻略する目的であるならなおさらだ。たとえ攻略できたとしても、誰かにそれを認めさせるという段階は残る」
その一言一言を何かにとりつかれたかのように告げるシオン。いつも見せないそんな彼の言葉を、一同は黙って聞いている。
「特に、周辺国が認めなければ、最終的に戦いという結果につながるだけだ。言っておくが、噂の『ダンジョンの秘宝』なんてものはない。それだけで人の世界が支配できるなら、とっくに
そこで一息ついたシオン。だが、彼は珍しく、そのあとの言葉を継げていた。
「もっとも、全てダンジョンを攻略出来てからの話だ。ただ、帝国に売り込んだ場合、そのあとに本当に約束が果たされるかどうかわからない。仮に弟が生きていれば、今度は王国が弟を擁護するだろう。だから、自分にとって一番大事なものは何か。それを見極めないと、結局何も手に入れられなくなる。そして、望むものは自らの手でつかむものだ。弟を王にするのならば、まず弟がそうしなければならないだろう。傀儡でいいのなら別だがな。姉が弟にそれを与えるのであれば、弟にとって大切な何かを失うことになるかもしれない。この世界は、常に互いを利用しあってできている。俺という存在もまた、その一つでしかない……」
特別その雰囲気を出したわけではないだろう。だが、シオンの最後の言葉に、激しく感情を顕わにするアオイがいた。
「違う! 違うで! シオン君! それに、ウチはそんな話、聞きたない!」
テーブルを激しく叩きつけ、涙目で訴えるアオイ。
そんなアオイの表情を、シオンはただ冷静に受け止めていた。
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