第6話 情報屋(後編)
つい先ほどまでアーデガルドの隣にいたステリ。室内でも赤い頭巾をかぶったままの彼女が、いつの間にかそこにいた。それはあまりに一瞬の出来事だったため、ドントは前かがみになったまま不動の姿勢を強いられている。
ただ、ステリに話しかけようとしたその瞬間、ドントの首筋に一本の線が描かれていた。普段はその赤い頭巾の奥に隠れている、燃えるような赤い瞳と同じ色で。
その痛みと手際に、言葉にならない悲鳴を上げるドント。ただ、さすがの彼も、今は声を上げて騒ぐ選択をしなかった。
今も刃は少し力を入れて首筋に当てられており、いつでもそれはドントを物言わぬ躯に変える。確かに、ここで騒ぎを起こすことは、アーデガルド達にとっても利益にはならない。だが、ステリは必要なことを必要なだけする性格。そして、そんなステリが
その事を、彼は十分理解していた。
だから、今これ以上何もできない状態に置かれた彼は、その救いをメアリに向ける。
だが、当のメアリは口元を少し緩ませただけで、それを無視する事を決め込んでいた。それどころか、いつの間にか黙って食事を堪能している。
そんな彼女の意思も態度も十分承知の上で、ドントの目は悲鳴を上げ続けていた。
だが、それも無駄とわかり始めると、ドントの視線は他に助けを求めてさまよいはじめる。しかし、誰もがそれを無視している。当然、彼の周囲にも人はくるが、誰一人として彼を助けようとしなかった。すぐ側のテーブルからも、誰も仲裁に入ってこず、我関せずとそれぞれの話題に没頭している。
ドントの流す汗が、ステリが持つ刃にたまり落ちていく。
始終無抵抗の意思を示しているドントだったが、ステリはそれを受け入れるそぶりすら見せなかった。彼女にとって『ドントが去る』こと以外の結果はなく、ドントがそのための行動を起こさない限り、刃はドントの首筋にあてられたまま、常にその動きを探られていた。
話したくても話せない状態に置かれている以上、ドントにはこれ以上何もできない。あきらめる意思を示す以外、ステリは今を維持し続ける。
さすがのドントも、事態を好転させることが出来ずに時は過ぎていく。
ただ、彼が両手を挙げて『このまま帰るしかない』との思いに身を置き始めたその時。
今まで一切発言していなかった人物が、彼に救いの手を差し伸べていた。
「まったく……。メアリ姉さんだけでなく、うちのお姫様まで下心丸出しの目で見るからそうなるんだ」
その声が耳に届いた瞬間、ドントの顔は生気を取り戻す。それと同時に、それまで黙っていた事を非難するかのように、恨めしそうな視線をその魔女に送っていた。
「これに懲りて、アタシが必要としている時以外、アタシの前に出てこないように。それよりほら、さっさと用件を言ったらどう? そうでないとオマエも帰れないんでしょ? まあ、オマエとは腐れ縁だしね。それに、自分で言うのもなんだけど、『魔女ヒバリの情報網』は確かなものさ。オマエの事は、それを支えている一人としてくらいには評価しているから、今日だけは話だけ聞いてあげるよ……。でも、さっきメアリ姉さんも言ってたけど、関わるつもりはないからね。ただ聞くだけさ、結果は同じ。
そこでいったんヒバリは話を切り、アーデガルドの方をちらりと見る。その意味を理解したのだろう。アーデガルドは黙って頭を縦に振っていた。
「それに、アーデがさっき言ったように、ダンジョンの中で他の
ため息をつきながらそう告げるヒバリ。それが何を意味するのか、彼女の頭の上にのっているつばの広い魔女の帽子が、彼女の表情を隠しているのでわからない。だが、再び顔を上げたヒバリの顔は、とても事務的なものだった。
「ステリも、もういいよ? さすがに、そのバカも懲りただろ……。それに、そんなのでも一応、アタシが取引している優秀な情報屋だからね。気に入らなくても、情報だけは利用してるからさ」
茶色の三つ編みを少し揺らし、ヒバリはステリに語りかける。
「わかった。ヒバリが言うならそうする」
ヒバリの言葉で、ステリは自らの椅子にゆっくりと戻っていく。その間ずっと『自分の首がつながっている事』を確かめつつ、ドントはその様子をただ見守っていた。
「で? 何だい? さっさと言って、とっとと帰んな。ヒバリのおかげでつながった首だ。まあ、色んな意味で――、だろうけど? 言っとくけど、あたいはあんたを信用してない。ノームの面汚しであるあんたをね。事実はともかく、それを伝える者には言い方ってもんがあるんだよ。伝わり方ってもんを考えないとね。あんたにはそれが欠けてる。引き抜くための悪意ある噂。あんたがそれに関係してないとは言わせないよ! ヒバリみたいに『客観的に物事を考えることができる』人間が珍しいって事をよく覚えときな。あと、いい加減黙ってないで、ヒバリに礼くらい言ったらどうだい?」
メアリがそれまでのやり取りをまとめるようにそう告げると、ドントは思い出したかのようにその顔をメアリに向ける。それまでとはうって変わった真剣なまなざしには、かすかな寂しさがこもっていた。
「俺、一応知り合いのつもりだったんだが……。それと、助かったぜ、ヒバリ」
「礼はいいよ、オマエの情報はそれなりに利用できる。信用できるものかどうかはアタシが判断してる。ただ、それだけのことさ」
ドントの事を一切見ようとせず、ヒバリは片手をあげてそう告げていた。
「まあ、歓迎されない事は知ってたけどよ……。いや、それより今は聞いてくれ。聞いてくれないと、帰ってから確実に俺の首が飛ぶ。知っての通り、バーンハイム達の消息が途絶えた。俺個人、噂を信じているわけじゃないが、仲間の間では『ダンジョンに食われた』と思っているものが少なからずいる」
そこでいったん話を切ったドントは、様子を見るように一同を順に見ていく。だが、彼が望んだ反応はなかったのだろう。明らかに気落ちした表情を浮かべながら、ドントはその先を話し続けた。
「その反応は信じてないって感じだな? でも、このダンジョンが色々と仕掛けてくるのは、かなり信憑性のある噂だぜ? 俺が言うのもなんだが、
情報屋として、『信じてもらえない事』に、かなり気持ちが落ち込んでいたのだろう。明らかに気落ちした態度のまま、ドントは普段なら話さない内容の事まで話し始めていた。
ただ、話をするうちに、ドントも自分を取り戻していく。それを悟らせないように咳払いを一つして、ドントは話を先に進める。
「いや、話がそれたな……。当然、捜索隊は別に出す予定だが、バーンハイム達と同じ所まで潜れるのは俺たちの仲間にはいない。この街でも、それはごく一部だ。正直、そこに行くのは今のアンタらでは無理だ。ただ、アイツ等がすんなり全滅するとは考えられない。アイツ等は必ず中層階に拠点をつくるから、戦闘中でも離脱して、そこに退避している可能性がある。だから、その時は知らせてくれ。もちろん報酬も出す。その為の連絡要員を待機させる安全地帯の情報も用意する」
ポケットから紙を取り出すと、それを見せつけるように突き出したドント。真剣なまなざしが示すように、それは正式な依頼書の形をとっていた。
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