第3話 幕間 深部層での戦い(後編)

 それは闇を切り裂く一筋の光明。その鮮やかな光の軌跡を追いかけるように、歓喜の声が続いていく。


「やった!」

「さすがだな!」


 魔術師と聖騎士が、それぞれの言葉で仲間をたたえる。それにこたえるかのように、突如黒ずくめの男が姿を現していた。


「なに、お主たちが奴の気を引いてくれたおかげだ。特にシオン。お主こそ真の魔術師。さすが、双紺碧眼の持ち主。お主の魔法で、吾輩は難なく姿を消せたのだからな」


 それまで満ちていた絶望の空気はそこになく、朗らかな空気がこの場を満たす。それを生み出したのは紛れもなくその忍者。そして、その忍者の行動を気取られぬように、男たちはそれぞれ自分達ができることをしていたのだった。


 互いを称える仲間たち。その思いは、強敵に勝利したという実感を最大限に突き上げる。


 だが、次の瞬間。事態は急速に変化していた。


 何者かが命じた言葉の響き。それに続く何かの胎動。

 その雰囲気を感じた聖騎士は、緊張した面持ちで周囲を警戒していた。


 その中で起きた少年の叫び。おもわず振り返った聖騎士が目にした光景。


 それは、シオンと呼ばれた魔術師の少年の苦痛に膝を折る姿。ただ、右目を抑えて片膝をつく少年は、徐々に不思議な雰囲気を醸し始める。


「そう、その声。その顔です」


 再び聖騎士の注意を引き戻すその声は、先ほどの忍者の背後から聞こえていた。だが、忍者はそれに気づいた様子を見せていなかった。


「ますますおいしそうになったではありませんか。そして、間違いのなきように。私は首を切る側の者ですよ? もっとも、お客人であるあなた方には、まったく意味の分からないことでしょうが――」


 聖騎士の視界にあったもの。それは、そこに浮かぶ貴族風の男の顔。

 本来その体があるべき場所とは別の位置から、手刀が忍者の首に襲い掛かる。


「マッシュ!」


 一瞬の事で、おそらくマッシュと呼ばれた忍者も気が付かなかったに違いない。貴族風の男がマッシュの得意げな笑顔をつかむと同時に、体がゆっくりと倒れていく。


 聖騎士の上げた悲痛の叫び。それを満足そうに聞きながら、男は自分の首を元に戻す。


「ああ、悲しみと怒りが入り混じったいい声です。――でも、まだ足りませんね。ほら、後ろの魔術師君も苦しんでますよ。さあ、あなたはどうします? そうですね……。では、相談する時間をあげましょうか? 特別ボーナスというところですね」


 マッシュの首を片手に持ち、仰々しく一歩後ろに下がる貴族風の男。聖騎士の後ろでゆっくりと立ち上がる気配を感じ、聖騎士は固く結んでいたその口を小さく動かす。


「さあ、どうあがくおつもりですか? 見ればわかります。あなたの目はまだ死んでいません。この期に及んでもなお、あなたには抗う意思がある……。そして、それこそが私の望みでもあるのです。きっと私の望み通り、至福の時間に繋がるでしょう」


 わざとらしい笑い声をあげる貴族風の男。その笑いの中、聖騎士は素早くシオンに指示を与えていた。それを理解したシオンは、右目を抑えながら呪文を唱える。


「おや? 『転移の雲』ですか? でも、いいのですか? それを戦闘中に行うと、ほぼ間違いなく壁の中に転移して死んでしまいますよ? もっとも、私がそれを見逃すと思いますか? 私は管理する者ですからね」


 この『転移の雲』の呪文は魔術師系の魔法であり、自分とその仲間――たとえ遺体としても――を瞬間的に離れた場所に運ぶ上級魔法。ただ、正確にその場所を指定する必要があるため、戦闘中などの集中できない時に使用する者はまずいない。


 だが、聖騎士の顔は自信に満ち溢れている。おそらく彼は仲間のシオンの実力にかけたのだろう。目印のような確かな位置を呪文に乗せて発動すれば、その確率は飛躍的に上昇する。


 自分たちが生き残るために。そして、再び仲間を蘇らせるために。


「呪文は必ず成功する! ここ一番のシオンは最も頼りになる! だから! 邪魔はさせん!」


 自らの体をシオンの盾とするように、聖騎士は貴族風の男の方に向かって一歩前に出る。


 だが、その瞬間――。

 貴族風の男は予想もしない行動をとっていた。

 聖騎士めがけて、マッシュの首を投げつけるという行動を。


 慌ててそれを受け止める聖騎士。だが、敵から一瞬でも目をそらしたという自らの失態を瞬時に呪い、聖騎士は貴族風の男の姿を求めて四方を探る。


 だが、貴族風の男は目の前から動いておらず。聖騎士は驚きを隠せず凝視する。ただ、シオンの詠唱が無事に続いていることを安堵しながらも、彼はその不可解な行動の意味をはかりかねていた。


 ――何かがおかしい。聖騎士の中に生まれた違和感は、一瞬で膨れ上がったことだろう。


 目の前にいる貴族風の男が投げたマッシュの首は、呪文を阻止するためではなかった事。そして、詠唱中であるにもかかわらず、自分自身に呪文の効果が全く及んでいないというという事実に――。


 そのあり得ない現実は、彼に普通では考えられない行動をとらせていた。

 強敵を目の前にして、思わず後ろを振り返るという行動を――。


「シオン!?」


 驚き目を見開く聖騎士は、二の句を継げずに凝り固まる。目に見えない壁がシオンを包み込んでいるかのように、呪文がもたらす光はシオンだけを包んでいる。だが、一方の自分にはそれがない。しかも、その時になって初めて聖騎士は気が付いていた。シオンが自分の探索集団パーティから外れているという事を。


 だが、そんなことはお構いなしに、集中するシオンの呪文は完成する。


――仲間であった聖騎士と四人の屍を残して。


 駆け上る光の柱。それを追従する聖騎士の視線。その表情を見るためだろう。いつの間にか、貴族風の男が聖騎士の前に回り込んでいた。


「どうです? 目の前で起きたことが信じられましたか? どうですか? 信じていた仲間に見捨てられた気分は? あなたの言う通り、彼の魔法は成功しました。彼は、彼だけは、この死地から生還します。もっとも、彼が本当に生きているかは、私にはわかりませんけどね?」


 ただそれだけを耳元で告げ、貴族風の男は聖騎士のすぐ目の前で、微笑みを浮かべてみつめている。目の前にいる、虚ろな聖騎士の姿を存分に堪能するかのように。


「ああ、なんと素晴らしい! これぞ極上の絶望! かすかに怨嗟の温もりも感じられる! ふふっ、お礼にいい事を教えてあげましょう。あの魔術師はあなたを裏切ったわけではないのです!」


 ピクリとする聖騎士の体。だが、その瞬間、貴族風の男は聖騎士の首を瞬時に切り落としていた。


「その前にですね……。おや? もう聞こえないから駄目ですね。でも、バーンハイム。聖騎士であるあなたが、仲間を信頼する気持ちを無くしたことは事実ですよ? いけませんねぇ?」


 その間に、力なく床に転がる聖騎士の体。聖騎士の首をつかんだ貴族風の男は、恍惚の表情を浮かべながら、聖騎士バーンハイムの顔を目と鼻の先で堪能する。


「ふふっ、あなたを復活させて聞かせてあげてもよかったのですが、あいにく今ここにいる部下ではそれは難しいのです。まあ、あなたの頑張りがあれば、ひょっとすると……。おや、これ以上は無粋ですね。そろそろ次の舞台に移るとしましょう。もっとも、彼自身はすでに絶望の淵に立っていますけどね。そして、彼という存在は、役割を担ってここに帰ってくるのです。私に――。私のために、より甘美なものを届けに――、ね」


 いつの間にか集まっていた闇に蠢く者達。それらに目で何かを指示した貴族風の男は、その中の一人にバーンハイムの首を無造作に放り投げていた。


「では、後片付けは任せましたよ。報告する必要はないのでしょうが、報告するのが務め。これでも私は勤勉な方ですからね」


 瞬時に消えた貴族風の男の言葉で、闇の者たちが一斉に動き出す。それは何もかも飲み込むような、黒い塊となって蠢いていた。

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