第9話 パウシュトダンジョン地下十二階

 昇降機エレベーターを利用した階層移動。それは地下二階から地下四階までの道のりと異なり、目的階までは何の苦も無くたどり着く。


 だが、地下四階から地下十二階までの昇降移動は、文字通り一瞬というわけではなかった。


 特に階を下る昇降機エレベーターの動作は非常にゆっくりとしたものであり、それはここ昇降機の中にいる間に、ちょっとした準備や装備の確認をすることができる時間が持てるほどのもの。だから、この時間を利用して、最終確認をする者達も多くいる。


 ただ、無機質な音が奏でる調べは、時として微睡まどろみの中へと人を誘う。あたかもそれは揺り籠のような心地よさを、そこにいる人たちに振舞うかのように。


 だから、ダンジョン探索者ヴィジター達は昇降機エレベーターでの移動の事を、冗談を交える時には『胎動』と呼んで笑いあう。だが、そこには皮肉も込められているのだろう。


 そこにいる間だけは安全で、昇降機エレベーターから出た途端、まさに死と隣り合わせになるのだから――。


 ただ、ダンジョンで死にかけて、命からがら昇降機エレベーターにたどり着いた者達にとって、ここは安らげる場所になる事は間違いない。ここまでくればダンジョンから無事に帰れることを、ダンジョン探索者ヴィジター達はよく知っている。


 そして、今。


 昇降機エレベーターが目的の階についた事を告げる音が鳴り、ゆっくりと地下十二階の空間が一同の前に顔を出す。昇降機エレベーターに入る時とは違った顔つきのアーデガルド達は、その空気をしっかりと吸い込んでいた。


「さっ、今から四連戦。いくよ!」

「そうだよ。ここからは何が起きるかわからないんだ。しっかり、気を引き締めて行こうじゃないか!」

「なあ、今日は早めに帰ろうぜ?」

「あれ? アイツ等は? おらんやん、ここ。昇降機エレベーター前だけちゃうん? この階の安全地帯。 なんなん? これ? なぁ、シオン君見つけたら、違う階の安全地帯に行かなあかんの?」


 再び気合を入れるためにあげたアーデの声。それにいち早く応えたメアリ。

 だが、ゴルドンはすでに帰る気分になっており、アオイにいたっては周囲を見渡し誰かを探している始末。


 そんな様子にアーデガルドはアオイを睨み、メアリはゴルドンに火を噴いていた。


「あぁ⁉ ゴルゥ!? あんたの頭はそれしかないのかい? 昨日さんざん言っただろ? あんたの欲しがってる『彫刻刀+1』が、この地下十二階で出るかもって」


 気合の入らないゴルドンに対し、鎖帷子の首元をつかんですごむメアリ。

 その迫力に気圧されて目を泳がせるゴルドンの口は、まるで無音の魔法をかけられたようになっていた。


 ただ、メアリにとって誤算だったのは、すぐそばにアオイがいたことだろう。


「何そのかたな!?」


 そのやり取りを聞いていたアオイが、目を輝かせて食いついてきた。さっきまでの捜索は完全に打ち切って。


「あー。うん。レア……、アイテム……? かな? あたいもよく知らないんだよ。ただ、情報屋の……。そう、ウ・サンクー・サイから仕入れた情報さ、うん」

「ん? 誰だい? そんな奴、アタシ聞いたことないよ? どこの奴だい? ソイツ? なぁ、メアリ姉さん?」

「あっ、えっとだね……。あっ、あれだよ。司祭としか情報交換しない奴……、じゃなかったかもしれないね? だから、ヒバリが知らなくて当然さ、うん」

「なんか、それ。めっちゃ胡散臭いんやけど……」


 いつの間にかヒバリも加わり、メアリは珍しくしどろもどろになっていた。その姿に全てを察したアオイは、ため息交じりにアーデガルドに同意を求める。だが、そのアーデガルドは、会話に参加していない事を表明するかのように、耳を塞いで背を向けて関係しない意思を示していた。


 だが、その一部始終を黙ってみていたステリが、メアリに助け舟を出していた。


「わたし、知ってる。『煌めく虚偽の真実の一粒』って呼ばれてる奴。たぶん」


 一瞬、何を言ってるかわからない感じのメアリ。一方のゴルドンは、驚きの目でステリを見ている。だが、アオイとヒバリは、ステリの顔を見て何かを感じたのだろう。パンと両手を打ち付けたアオイの行動を皮切りに、メアリはその話を終わらせにかかっていた。


「そうそう、そんな奴。だから、ゴルは今さらホームシックにならない! それに、あんた男だろ? とことん付き合う。ねぇ、ヒバリ?」

「……、そうだね……。ステリはもう少し言葉を考えた方がいいね……。その情報はともかくさ、ゴルドンもメアリ姉さんの旦那なんだから、もう少しやる気を出してほしいものだね」

「今さら言うのもなんやけど、ほんま、ゴルドンはメアリ姉さんとよく夫婦になれたと思うで? ウチやったらお断りやわ。こんな出不精の旦那、主夫でもいらんわ。第一、でかい。ドワーフなんやから、もう少しちっちゃなりーな!」


 いきなりまくしたてられるように責められるゴルドン。だが、何も言い返せない彼は、黙って首を縦に振る。


「ふふっ、アオイらしいね。でも、この階の攻略もたぶんもうすぐだから……。お願いね、ゴルドン」


 繰り返されたこれまでの探索で、アーデガルド達はこの階をほぼ地図化できている。昇降機エレベーターを下りたところは少し開けた場所になっており、そこがこの階の安全地帯として自ら認識できるほどに。


「ほら、うちのお姫様がそう言うんだ。これ以上、グダグダ言わない。ゴルも男を見せなよ」

「ああ……」

「あんたはまた……。気合はいつもお留守番かい!?」

「まぁ、まぁ。メアリ姉さん。戦いが始まったら大丈夫――、でしょ?」


 先ほどの緊張はすでに霧散している一行。だが、それはここが安全地帯だからという事でもある。でなければ、アーデガルド達はここまで生きていなかったに違いない。


 そして、彼女達はよく知っている。


 アーデガルドの前にある扉を開けると、すぐに戦いの連続となることを。ここから始まる地下十二階の探索は、気合の有無に関係しない。すべて気の抜けない戦いがこの後起きる。繰り返される。それを十分に知るほど、彼女たちはここを訪れていた。


 そう、今から入るその部屋は広く、奥には扉が一つあるだけの戦いの部屋。


 その扉が、次の部屋へとつながる唯一の扉。一方通行の扉ワンウェイドアが当たり前の地下十二階にあって、この場所だけがそうではない。そんな部屋が最初の部屋以外に三つあり、この階を探索するには、必ずそこを通っていかねばならない構造になっていた。


 まるで、『四つの戦闘が出来る実力がなければ、この階を攻略する資格がない』と、ダンジョンに告げられているように――。そして、それを無視して行動し、実力が足らなかった者達は間違いなくこの階で躯をさらしていた。


「じゃ、いくよ? 一応確認するけど、準備はいいよね?」


 アーデガルドの問いかけに、それぞれ今までと変わった顔つきで答える。ただ、ステリだけは無言で前に出て、扉の前に陣取っていた。


「任せて」


 一切振り返ることなく、ステリは背中でそう告げる。ただ、その言葉が終わるや否や、ステリの右にアオイが並び、軽く笑みを見せていた。 


「せやな。ここはウチとステリが先行して――。でもな、いきなりあの魔法封じは勘弁やわ、ホンマ……、慣れへん……」


 それはステリに向けた自嘲の笑み。だが、その話は別のところから帰ってきた。


「アオイは魔法の修練が足りないね。あたしは無効化レジストできてるし」

「本職の魔法使いのヒバリと同じにせんといて。ウチは魔法戦士。これが本職なんやで?」


 後ろを振り返ることなく、アオイは誰もいない右側に愛刀をふるう。切り裂かれた空気があげる小さな悲鳴を、アオイは満足そうに聞いていた。


「まっ、それでも出来ることを増やすのは大事なこと。アタシが死んだらアタシの代わりをアオイがするんだからね」

「それ、縁起でもないで? それに、前衛で戦うウチに『魔法も使え』って……。鬼ちゃうん? 誰が『優しいお師匠』なんやろ? ウチも含めて、いったい何人騙されてんの? ホンマ、堪忍やわ」


「大丈夫。私がみんなを守るよ」


 ヒバリとアオイの言葉に、アーデガルドが静かにその強い意志を示していた。その雰囲気が全員に、軽い高揚感を与えている。


「――大丈夫」


 再び小さくつぶやくアーデガルド。それは誰に聞かせるわけでもなく、自らに向けた言葉だったのだろう。ただ、ステリが開いた扉の音に、アーデガルドの言葉は飲み込まれていた。

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