第40話 ダンジョン攻略の醍醐味

 部屋から部屋へ。いくつもの転移魔法陣――部屋により異なる場所に設置されている――を利用した転移をし続け、アーデガルド達はその部屋の前にたどり着いていた。ほっと息をつく暇もなく、真っ先にその部屋の扉に手をかけるシオン。


 だが、その扉は固く閉ざされたままの状態を維持し続けていた。


 階層主フロアボスの部屋の扉であっても、扉の罠は存在する。まして、このパウシュトダンジョンにおいて、『以前大丈夫だったから大丈夫』は通用しない。だから、彼がそんな不用心な真似をすることを、誰も考えていなかったのだろう。いつもアオイの行動を牽制するステリでさえ、シオンのその行動を予測してはいない。当然それに反応する事も出来ず、ただただ驚きの表情を見せていた。


 ただ、シオンは周囲の動揺をよそに、小声でその心情を顕わにする。


「――まだ戦っている。――いや、終わる頃か? なら、これで――」


 シオンが何かの呪文を唱える。聞いたことのないその旋律は、おそらく特別な意味を持つのだろう。だが、意味が分からなくても、シオンの様子からその扉を開こうとしていることは明白。しかし、扉は頑なにそれを拒む。さらに強い調子のシオンに対し、扉も抵抗を新たにする。そんなやり取りがしばらく続くのかと思いきや、意外なほどあっけなく、軍配はシオンに向けられていた。


 まるで、彼女たちを歓迎するかのように、ゆっくりとその口を開ける階層主フロアボスの部屋の扉。


 予想もしなかった出来事に、瞬時に警戒するアーデガルド達。


 だが、開いた以上、そこに留まるべきではない。ぐずぐずしていると、部屋の中から範囲魔法で先制をとられる可能性があるのだから。当然、アーデガルド達はその事をよく知っている。だから、彼女たちは行動する。すかさずその部屋に飛び込み、戦いを挑む彼女たち。だが、アーデガルド達はそこに戦う相手を見つけることはできなかった。


「どういうこと!?」


 思わずそう声を上げてしまうほど、アーデガルドは混乱していた。驚くことが連続で起き、頭の中が整理しきれていないのだろう。だが、それは彼女だけではない。声こそ出さなかったものの、皆一様に混乱の極みにいた。


 そもそも、シオンが何かの魔法を使ったとしても、階層主フロアボスの部屋の扉が勝手に開くことなど、彼女たちは聞いたことがなかった。その時点で、すでに彼女たちの理解を超えている。


 そして、階層主フロアボスの部屋であれば、侵入と同時に明かりが灯り、その圧倒的な姿を、まざまざとダンジョン探索者ヴィジターに見せつける。それがこれまでの常識であり、それを逸脱したことは一度もなかった。


 だが、今の状況はそうではなく。その部屋は暗闇のままで、戦うべき相手の気配も一切感じることはできなかった。


 そんな中、シオンだけが悠然と歩いてその部屋に入っていく。


 暗闇の中、警戒し続けているアーデガルド達のために、シオンが魔法で明かりを灯す。突如明らかになったその部屋の状態。それはアーデガルド達には信じられないものだっただろう。


 戦いの爪痕を生々しく残しているものの、彼女たち以外は存在しないという部屋の実態。それは、階層主フロアボスを倒した後の雰囲気に酷似していた。


「なあ、ここってホンマに階層主フロアボスの部屋なんかなぁ?」


 周囲を探っていたアオイが、両手を頭の後ろに組んで、そう告げる。それはアオイが安全地帯で見せる仕草。アオイの癖として、警戒を解いている時の姿に他ならない。そんなアオイの姿に、いつもなら苦言を呈するアーデガルドだったが、今ばかりは剣を収める。ただ、アオイを含めて全員が同じ顔で互いを見つめあい、その視線は当然のようにシオンに集まっていく。


「ああ、そうだ。予想通り。これで、大幅に短縮できる」


 シオンにとって、それは予想通りの結果なのだろう。明らかに満足そうにしているシオンの顔は、とても子供っぽいものになっていた。普段からあまり感情を見せない分、こういう子供らしい表情に、アオイは卒倒しそうになる。


「どういうこと?」


 周囲を最も深く警戒していたステリが、少し不満そうな表情を見せてそう尋ねていた。その射貫くような視線は、シオンに全てを話すように促している。


「おそらく、奴らの鍵が無くなったか、誰かが落としたかしたのだろう。はっきりとわかっているわけではないが、巨漢の闘士ジョウが鍵を持っていたが、ダンジョンに入ってから無い事に気づいたというところか? 本当はあの時、取りに戻るつもりだったのだろう。昨日攻略しているなら、二つ目の階層主フロアボスの部屋から抜ける秘密の道があるからな。奴がそれを知らないはずがない」


 様々な感情をもつ視線にさらされているにもかかわらず、もう少しで笑い声をあげるのではないかと思えるほど、シオンの声は機嫌のいいものだった。そんな雰囲気を敏感に感じたのだろう。その瞬間を見逃さないように、アオイはいつもなら割って入る会話に参加せず、シオンの顔を凝視し続けている。


「私たちとあそこで遭遇したこと――。それと、何か関係があるということ?」


 それは純粋に彼女の興味。そう言っていいほど、それまでのよそよそしい態度とは裏腹に、アーデガルドはシオンにその疑問をぶつけていた。


「奴は勝手に思い違いをした。俺達が、どちらかの階層主フロアボスを倒した後に、あそこで休んでいると思ったに違いない。昨日、俺達がダンジョンに行ってない事は筒抜けだったからな。俺が鍵を持っていると思ったのかもしれないが、いずれにせよ、奴は焦ったのだろう。俺より後に二十一階に行ったらどうなるか――。まあ、それは俺の知った事ではないけどな……」


 かつてないほど、シオンの声は機嫌のよさを隠そうとしていない。そんな彼の姿を目に焼き付けようと、アオイは黙ってシオンを見つめ続ける。 


「奴って、あの賢者ラベル・オーメイのことね? そういえば、ずいぶん偉そうだったね。あの巨漢の闘士ジョウも、自分の失態で迷惑かけてるから、言い返せなかったんだ。――なるほど」


 先ほどのやり取りを疑問には思っていたのだろう。アーデガルドはその話で何らかの納得がいったような顔をしている。だが、ステリは不満を隠そうとせず、その事をシオンに尋ねていた。


「じゃあ、階層主フロアボスとは戦わない? このまますぐに先に進む?」

「ステリとしては、気がすすまない?」


 戦わない事に異存があるわけではないが、全てを他人の力で事を成すことに抵抗があるステリらしい感情に、アーデガルドは微笑みを隠せずにそう告げていた。


「別に……、そういうわけじゃない……」


 予想外のアーデガルドからの問いかけに、言い淀むステリ。普段の態度とは全く違うその姿を見ながら、シオンは首をかしげていた。


「どうしてそうなる? 戦いはこれからだ」

「え⁉ 嘘やろ⁉」


 その言葉があまりに意外だったのだろう。それまで沈黙を貫き、シオンを見つめていたアオイが、すかさずそれに反応していた。


「なぜ、そんな嘘を言う必要がある? そもそも、最初から戦わないとは言ってない。ただ、短縮できると言っただけだ」


 周囲の顔を見ながらそう言いつつ、『なぜそうなったのかこっちが聞きたい』と、シオンの顔にはありありとその言葉が浮かんでいた。普段見せない彼のそんな表情に、アオイはまたも言葉を無くす。


「確かにそう言ってたけど……。それって普通は戦いを回避できるという事じゃないの?」

「それなら鍵が手に入らない。鍵が無ければ、進めない。お前たち、俺の説明をちゃんと聞いてたのか?」


 アーデガルドのその問いに、今度は『当たり前のことを聞くな』という顔になるシオン。いつになくくるくると変わる彼の表情に、アオイはこれ以上ないくらいに打ちのめされていた。


「紛らわしい。説明、なさすぎ。発言を考える」


 憮然とした表情で、床に伏したアオイを救い上げるステリ。心なしかその表情は、うれしそうな雰囲気を漂わせていた。ただ、そんな彼女の言葉に、シオンは黙って自らの言動を振り返っていた。


「なるほど――。確かに、俺の勘違い――か。ステリの質問が『この状況の事』だと考えたからそう答えたが、『短縮できる理由』について尋ねていたなら、答えになっていなかった。すまない」


 素直に謝罪をするシオン。その極めてまれな姿に、またも撃ち抜かれていたアオイ。あまりに立ち直りかけていた矢先のことで、彼女はすでに廃人のようになっていた。寸でのところでそれを支えたアーデガルドとステリの表情は、何とも言えないものとなっている。


「――で? 坊やの短縮できるというのは、再出現する階層主フロアボスに対して優位に立てるということなのかい? それはその弱点が、背後にあることと関係あるのかい?」


 それまで完全に沈黙を貫いていたメアリが、その真意を見逃さないという瞳でシオンを睨む。その視線を正面から受け止めて、シオンはそれに答えていた。


「ああ、ここの階層主フロアボスは几帳面な性格のものがなりやすい。だから、その中央付近に、まず自分だけで出現する。そのあとに配下を呼び出すから、出現直後に弱点である背面から襲えば、比較的簡単に倒せるだろう」


 シオンのその言葉を待っていたかのように、部屋の中央付近に巨大な魔法陣が出現する。


「さあ、戦いの始まりだ」


 シオンのその声に導かれるように、魔法陣が完成し、そこに一体の巨大な悪魔が出現する。


 すでに戦いの姿勢となっているアーデガルド達の前に現れたその悪魔。半身が大蛇の体を持つその悪魔の背中は、驚くほど無防備なものだった。


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