第29話 地下十六階の戦い・後編

 まだ立ち込める土煙の中、立ち上がっていた金色の牛頭鬼の影。


 だが、そのすさまじい勢いを見せた攻撃にもかかわらず、何故か金色の牛頭鬼は必死なってその場から離れようともがいていた。


「攻撃の手を止めるな! アオイ!」


 その声のした方に顔を向けたアオイは、そこで驚くべきものを目撃する。


 それは天井付近に浮いているシオンの姿。だが、ダンジョンで戦う魔法使いの魔法に、ここまで高く飛ぶ魔法は知られていない。せいぜい落とし穴に引っかからないように、探索集団パーティ全員をほんの少しだけ浮かび上がらせる程度のものだろう。 


 だが、この高い天井にまで浮かんでいるその姿は、まさに飛んでいると言ってもいい。初めて目にしたその光景。それを可能にした魔法の効果に、アオイは思わず目を奪われていた。


 そもそも、ダンジョン探索者ヴィジターの魔法使いが使う魔法に、そんな魔法は存在しない。というよりも、ダンジョンでは飛ぶ必要性が全くないと言えるから、存在しても誰もそれを使わないと言えるだろう。


 七つの階層に分かれている魔法は、その階層ごとに一日の使用制限があり、様々な戦いの経験を経て、使用できる回数は上昇する。


 だが、彼らが主に使うのは攻撃魔法。特に複数の敵を薙ぎ払うことができる範囲攻撃魔法こそ、彼らの欲するものだと断言できる。


 もっとも、その感情は『無理もない』と理解できる。


 最初から魔法使いという職を選ぶものは、基本的に体力がないものと決まっている。体格も恵まれていない事が多い彼らは、魔法使いの組合で、初歩的な訓練を受けてダンジョンに向かう。そこではダンジョンで戦う上で必要最低限の魔法だけを選りすぐり、その意識下にそれらの魔法を一気に埋め込んでいる。


 だが、駆け出しの魔法使いにとって辛酸をなめる日は続く。初期に使う魔法は、戦う力としてはお粗末なもの。実力があがれば、その魔法もそれなりに強くなるが、駆け出しの場合はそうならない。


 だから、戦闘は華々しく戦う戦士たちの独壇場として存在する。


 魔法剣士であるアオイも、決してそれは例外ではなかった。そして、アオイも基本的に魔法は使わない。ただ、彼女の場合はヒバリから魔法を習ったという事情があるから、使いどころは心得ていた。


 そして、彼女は知っている。


 ダンジョン探索者ヴィジターの魔法使いが使う魔法が、『魔法の全て』ではない事を。


 そもそも、ダンジョン探索者ヴィジターの魔法使いは、公式には魔術師と呼ばれることは全くない。

 

 本当に魔術を学んでいる者達――例えば帝国魔術学院の学徒など――からすれば、ダンジョン探索者ヴィジターの魔法使いは単なる魔術の使い手に過ぎないのだから。


 もっとも、ダンジョン探索者ヴィジターの魔法使いにとっても、魔法は戦士の剣と変わらない。ヒバリのようにダンジョンで活動する魔術師たちも、求められるものはそれだったから、次第にそうなっていく。


 だから、そこに畏敬の念は生じない。戦士たちの中には、一掃するのに便利な力としてとらえている者がいるほどに。


 だが、人が空を飛ぶことを可能にしている魔法は、人の心に十分響くものだろう。


 この場合はダンジョンだから空ではない。だが、見上げる高さにいる彼を見て、アオイはそう感じたことだろう。


 そして、初めて見るその光景は、見る者の心に深く突き刺さる。それほど時間はたっていないが、アオイは暫くその光景に見とれていた。


 だが、それもすぐに終わる。

 金色の牛頭鬼の投げつける岩を避けつつあげる、シオンの叱咤の声で――。


「こっちの事は心配するな! アオイとステリはそっちに集中しろ! そいつももうすぐ終わりに近い!」


 声にこそ出していなかったが、ステリもアオイと同じ状態になっていた。互いに顔を見合った二人。そこにはある種の競争心が生まれていた。


「まけへんで!」

「――知らない」


 プイと顔をそむけたステリ。だが、その態度とは裏腹に、真っ先に銀色の牛頭鬼を目指して飛び出していく。それまで一人でその攻撃を受け続け、すでに満身創痍なゴルドンの顔には、うっすらと笑みを浮かべている。


 その横をすり抜け、ステリは一気に背後に回る。


「――心配して損した」


 普段の彼女ならそんなことは一切言わないのだろう。だが、その言葉の調子とは全く別の表情で、ステリは銀色の牛頭鬼の目を串刺しにしていた。


 それは脳髄にまで達する致命傷の攻撃。自分よりも巨大な相手に対して行う、一撃必殺を得意とする忍者ならではの攻撃。反射的に払いのける腕をひらりとかわしたステリは、そのまま優雅に着地していた。


 「『負けへん』って言ったやん!」


 ただ、アオイも負けてはいなかった。ちょうどステリが銀色の牛頭鬼の頭に着地した瞬間。その刃が銀色の牛頭鬼の目の前に現れたまさにその時。


 巨大なその体の前に真正面から相対したアオイの鋭い斬撃が、銀色の牛頭鬼の体を両断する。両断された銀色の牛頭鬼の上半身が地面に崩れたのと、ステリが着地したのはほぼ同時。一歩間違えれば下敷きにされかねない攻撃の荒々しさに、ステリはアオイを睨みつけ、その視線をアオイは勝ち誇ったように見つめ返している。


 絶命し、その活動を終えた銀色の牛頭鬼。


 ただ、そのとどめとなった攻撃は、ステリなのかアオイなのかはわからない。ただ、確かなことして言えるのは、両者の実力はさらに高みに昇ったということだろう。


 治療を受けていたアーデガルドは、漠然とそう考えていた。


 ただ、それは彼女が視界の端に捉えていた事。治療を終えて戦線に復帰するべく立ち上がった彼女が見ていたもの。それは、ひとりで戦いつづけ、その勝利を収めるシオンの満足そうな表情と、燃えるような色に染まる、彼の真っ赤な双眸だった。



***



 アーデガルドが意識を取り戻したのは、シオンが金色の牛頭鬼に攻撃を受けたその時だった。自らの招いた事態を一瞬にして悟った彼女は、治療の途中で戦いに戻ろうと体を動かす。


 だが、その傷は思った以上に深かった。


 だから、彼女自身、制止するメアリの言葉を聞いたわけではない。文字通り、アーデガルドは少しも体を動かすことができなかった。


「無茶しすぎ」


 アーデガルドの耳に届いたその言葉の先に誰がいるのか。それを聞こうと思うほど、アーデガルドの気力はまだ回復していなかった。だが、メアリのその口調から、切羽詰まった様子は感じられない。だが、盾となる者がいないのはまずい。戦線に復帰する必要がある。そう思い、体を動かそうと試みるアーデガルド。だが、やはりほとんど動かすことはできなかった。ただ、ようやくその顔を動かして、仲間の戦いを見ることに成功する。


「ほんと、気持ちに影響されすぎよね……」

「まったく……。気分屋が多いのも困りものだ……」


 アオイから立ち上る気概を目にして、アーデガルドは思わずそう口に出す。それに相槌を打つメアリ。ただ、それぞれが見る相手は違っている。


 その違いを意識するわけでもなく、アーデガルドのその目はアオイ達の戦いから、シオンの戦いに向いていた。ただ、再び治癒の魔法をかけるメアリには、その視線の先は見えずにいる。


 そもそも、シオンについては、『戦いにおいて、何も言う事はない』とアーデガルドは戦いの中で感じていた。アオイとステリが二人して相手している戦いを、ほぼ一人でこなし続けたシオンの戦い方を間近で目にしたからというわけではない。


 ただ、その事でアーデガルドは目の前にいた銀色の牛頭鬼だけに意識がいき、金色の牛頭鬼の注意をひいたことを失念していた。


 それが、今の状況を生んでいる。己の不甲斐なさをかみしめるアーデガルド。守るべき仲間に守られている自分を情けなく思う彼女は、唇を固く結んでいる。


 本来、責任感の強い彼女は、そういう状況を作り出さない事を常に意識していた。


 その為に自らを盾となり、常に最前線に立ち続けている。そして、アーデガルドは常に全員の戦う姿に気を配るようにもしていた。


 だが、今のアーデガルドはそうではなかった。その目は、シオンにのみに向けられている。


 しかも、そこから目を離すことができなくなっている。宙に浮かぶシオンを見たことが原因ではなく、その表情を見たことで。


「なんて、楽しそうなの……」


 アーデガルドの意識が回復した後、その会話で問題がないと判断したメアリ。だが、アーデガルドの傷はかなり深く、その時はまだ治療に集中する必要があった。ただ、彼女はアーデガルドのその言葉を奇異に感じたいに違いない。ほぼ治療が完了したその時になり、彼女は自然とその目をアオイに向けていた。


 折しもアオイとステリが銀色の牛頭鬼を倒した光景。やり切った感じを見せるアオイの笑顔。さっき聞こえたアーデガルドの言葉も、それを見て言っていたと認識していた。


 ほっと一息ついたメアリ。満身創痍ながらも、ゴルドンが無事なこともメアリにはわかっている。後で治療が必要になるにしても、『一刻の猶予もない』という状況ではなかった。


 これで終わりだと感じた彼女は、アーデガルドの視線がそこに向けられていない事に気づいていた。


「アーデ? 何を……」


 その瞬間、光輝く巨大な槍がシオンの手から解き放たれる。床から生えている三体のゴーレムに体を固定させられた、金色の牛頭鬼めがけて。


 その魔法は今までアーデガルドはおろか、メアリですら目にしたことがない魔法。それは光の軌跡を残しつつ、見上げる金色の牛頭鬼の体を頭からに床に縫い付ける。


 断末魔の声さえ出せず、金色の牛頭鬼は一瞬にして絶命していた。自分が押しつぶしたはずの少年の姿を、何もできず見上げたまま。


 だが、死して倒れることを許されない金色の牛頭鬼。己の体を固定していたゴーレムが消えるまで、そのままの姿勢をとり続けることになる。


 やがて、床にふわりと降り立つシオン。


 腕を真横に振るい、シオンが召喚していたゴーレムを開放した瞬間。

 金色の牛頭鬼は、ようやく倒れることが許されていた。

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