第45話 ベールを

 ぐぬぬ。とうなり声をあげて悔しさと恥ずかしさを表すエリーゼに、ハインツはぷぷ、と笑いを漏らす。


「ぷぷ。お前な。ふっ。もうちょっと可愛い声でうなれよせめて」

「うるさい。そしたら可愛いってまた言う気でしょ」

「ばーか、なめんな。もはやお前が何してても可愛いに決まってんだろ」

「ぐうぅ、あーもう! 言ってて恥ずかしくないの? 聞いてるだけで恥ずかしいんだけど」

「聞いてるだけじゃなくて言われてるからだろ。何を第三者視点で聞いてるみたいに言ってるんだ」

「うっさい馬鹿。冷静に言うな」


 悪口を言われているわけでも、からかおうとして言っているわけでもないし、他でもない恋人が可愛いと言ってくれているのだ。素直に喜んでおけばいい。

 頭ではそう考えているのに、どうしても気恥ずかしくてエリーゼはひどい言葉を言ってしまう。


 言ってしまってから、さすがに言い過ぎたと思うけど、そらした視線を戻してハインツを見ると、至近距離のままにっこりと微笑むので何も言えなくなってしまう。


「う、うう。は、ハインツ様」

「どうした?」

「あの、う、嬉しいは嬉しいのよ? それはわかってほしいけど、本当に恥ずかしいから。だからちょっと、一度距離をあけて落ち着かせてくれない?」

「駄目」

「な、なんで? なんでそんな意地悪するの?」

「意地悪ではないが、いっぱいいっぱいになった状態じゃないと、さすがにベールを脱がしてとは言わないだろ?」

「い、言いたくないからお願いしてるんだし、だから意地悪だって言ってるのに」


 わざとエリーゼが落ち着かないよう羞恥心に追い詰めているのは十分に意地悪だと思う。だけど強く言うにはハインツを避けるためにややのけぞっている状態では気持ちも声も縮こまってしまって、ぼそぼそ文句を言うしかできない。


「エリーゼ、手をだしてみろ。そうしたらいったん離れてやる」

「え? わ、わかったわ」


 突然の提案。不審なものを感じなくもなかったエリーゼだが、しかし渡りに船すぎる突然の方針転換にほぼ反射的にのっかり右手をだした。

 すっとその手をとられ、ハインツは手のひら2つ分くらい離れてくれたのでほっとする。


 普通に考えたらまだまだ近いのだけど、吐息がわかってしまう距離からベール越しで見えないくらいにはなったのでずいぶん離れた気持ちになれたのだ。


「エリーゼ、こうしてみると細い手をしてるよな」

「え、そ、そう? まー、ハインツ様に比べたら多少は、ね?」


 しかしホッとするのもつかの間、ハインツはエリーゼの手を撫でるように指先をうごかし、まじまじと見ている。くすぐったいし、また落ち着かない気になってくる。


「手袋をはずしてもいいか?」

「え……まあ、いいけど」


 手袋を外すのも、けして行儀のいいことではない。だけど常識的に汚れたりして付け替えるのにわざわざ人目をさけるほどのものではない。親しい間柄なら婚約者までいかなくても、普通に室内では着けていなくてもおかしくないものだ。

 あくまで公式での正装であり、貴族女性の象徴でもあるが、つけていない手を特別恥ずかしがるほどのものではない。もちろん普段見せないものだし、多少は恥ずかしいと感じるのはエリーゼのような未婚女性には珍しくないものだけど、拒否するほどではない。


 ハインツはすっと手袋を外した。そしてその手をそっと撫で、指を絡めるようにして正面から握る。


「あ」

「痛いか?」

「う、ううん。そうじゃないけど、熱いから」


 手袋ごしても十分に熱を持っていたハインツの手は指の根元まで覆い尽くすようにされて、想像以上の熱さに感じられた。太いハインツの指は少し指の谷間を圧迫するけれど、力いっぱい握られているわけではなくあくまで包まれているような感じなので痛くはない。

 むしろただ頼もしさを安心感をもたらしてくれる優しい温度に思えた。


 はにかみながら首を振って否定するエリーゼに、ハインツはくすりと笑う。


「お前も熱いよ」

「っ」


 そして何気ないように握り合う手を少し上げて、軽くエリーゼの中指の先に口づけた。

 思わず声が出そうになった。別に、大したことなんてないはずなのに。すでに唇にすませているのに。少し離してその姿勢のまま微笑むハインツと目があう。

 ハインツはそのまま、二度、三度と口づける。人差し指、薬指、そして薬指にキスをしてから、ひねって手の甲に。


 唇同士だと心臓がうるさくて仕方なかった。だけど今はそこまでではない。だからこそ、リアルに感触や音が分かってしまう。


「……」

「ふっ。今度は嫌とは言わないんだな」

「て、手は別に、嫌なんて一度も言ってないじゃない」


 手の甲にキスをする挨拶は文化としてあるはあるが、形骸化していて実際に唇をつけることはない。手前で音を鳴らすだけだ。だからこうしてちゃんと手にキスをされるのは当然初めてだ。

 まるで物語の騎士のように格好よくてどきっとしてしまう。とエリーゼは胸を高鳴らせながら、ハインツの言葉を待つ。


 また、可愛くないことを言ってしまった。わかっているのに、だけどそれでも、ハインツは微笑んでくれる。


「じゃあ……」


 ハインツは手はつないだままおろし、また顔を寄せてきた。エリーゼはそっと目を閉じた。


「んっ!?」


 心臓がうるさいままとても長い時間待った気がしながら、だけど待ち望んだ感触は鼻先にやってきた。

 目を開けると、ハインツとの距離はとても近い。ベールを押し込むような状態で、鼻にハインツはキスをしていた。ハインツの高い鼻がベール越しに目に迫っている。


「な、な? なんで!?」


 戸惑いながら尋ねるエリーゼに、ハインツはゆっくりと口づけをやめて鼻先がぶつかるほどの位置に戻って、まるで悪戯っ子のように笑う。


「なんで? 何がだ?」

「な、なにがって。何で鼻になんかしたのよっ」

「したいからだ。駄目だったか?」

「だ、駄目じゃないけど。だからそう……あー、もう、なんなの、だから」


 駄目じゃない、とエリーゼが答えるなりまたハインツは顔をよせ、今度は明確に角度が違うのでそのまま見ていると、ハインツはエリーゼの額に口づけを落とした。

 別に、唇じゃないから何とも思わない、わけがない。めちゃくちゃドキドキする。でも、もうすでにエリーゼはそれ以上にないドキドキを体験しているのだ。


 それをもう一度期待すると、どうしたって肩透かしにも感じるし、重ねてされるキスに混乱すらしてしまう。


「何なのって? わからないか? 俺はもう言っただろ?」

「え? なに、どういう……えぇ」


 ハインツはまた顔をよせ、今度は頬にした。ハインツの鼻から上が見える分、表情がうかがえてさっき以上にドギマギしてしまう。

 そうして頭が湯であがりそうになりながらも、エリーゼは気が付く。ハインツが自分に、ベールを脱がしてと催促させようとしてこんな回りくどいことをしていることを。


 なるほど。ベールを脱がせて、と言うのはキスをねだると言うことだ。言葉にしてねだらせるために、わざと焦らす。理屈はわかる。でもひどくないか?

 エリーゼが素直になれなくて照れくさくてさっきから反発する態度すらとっているのが分かっているのに。せめてもう少し時間をかけて心を開かせてくれればいいのに、強引に今日中にこんな力技で? いや絶対にひどい。


 そう思うけれど、それ以上にハインツが好きだと言う思いが上回ってしまう。


「ぅ……は、ハインツ様……あ」


 だけどそんなすぐ言えるわけもないし、がっついていると思われるのも嫌で、やっぱり言葉をとめてしまうエリーゼに、今度は反対の頬にキスをされてしまう。


「あと瞼だから、二回しか残ってないぞ」

「な、なにその回数制限。う、は、早い。早すぎ」


 抗議をしたいのに、矢継ぎ早に左瞼にキスをされてしまう。まだ全然心の準備ができていない。


「は、ハインツ様!」

「おう、なんだ?」


 にやつくハインツの顔に、エリーゼは頭突きでもしてやろうか、と言う気持ちになってはっと思いついた。今、エリーゼがハインツに責め立てられ、キスしたくて我慢できなくなるよう追い詰められている。

 まるで一方的だ。しかしこれは、逆転可能ではないか? 余裕ぶっているハインツだって、エリーゼと同じように相手のことが大々々好きなのだ。

 つまり、エリーゼからハインツに対してベールのまま頬にキスしていけば、ハインツが先に我慢できなくなって口に出してお願いすると言う恥ずかしい思いをしなくても、ベールをめくってくれるのでは?


「……」

「おーい? ……ん。最後な」


 右瞼へのキスを受けながらエリーゼはきつく目をつぶって自分で自分に力いっぱい突っ込んだ。

 いやそんな自分からキスする方が明らかに恥ずかしくて無理だ。自分からおねだりするのでさえはしたないのに、ハインツに自分からなんて、そんなハードルを逆にあげられるわけがない。


「エリーゼ。まだ、心の準備ができないか? 今日はやめるか?」

「……ばか。もう、……はぁ」


 一つ大きく深呼吸をする。もちろんそんなのでどうにもならないくらい、体全てが激しい反応をしていてずっと運動でもしているみたいに落ち着かない。

 だけどそれでも、いまこのまま、ハインツとさよならできるほど、エリーゼの気持ちは弱くない。


「ハインツ様」

「おう」


 目を開ける。正面から優しく見守るように見てくれるハインツ。その目を、まるで吸い込まれるように少し近づいて、息をはいて止まって、そのまま口を開く。


「私の、……ベールを、脱がして。早く。焦らさないで」

「……」


 ハインツはさっきの軽い返事が嘘みたいに、重々しく頷くだけの無言の回答で、そっとエリーゼのベールを脱がせて両肩を抱いてキスをした。


 こうして後から思い出したらやっぱりハインツの思い通りになってしまって面白くない、と文句を言いながらもにやけてしまう展開になってしまったエリーゼだったが、そのおかげでまた少しベールを脱ぐことになれていった。


 こんなことを繰り返し、無事結婚式では何事もなかったかのように振る舞うことができるようになるのだが、それはまた別のお話である。









 後日談「ベールを脱がして。早く。お願い」おしまい。

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ベールを脱がせないで 川木 @kspan

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