第15話 これから

「あと、前回はうたせるつもりがなかったので用意していませんでしたが、手袋を用意しました。つけてみてください」

「ありがとうございます」


 練習は素手なのですっかり忘れていた。素手の方が感覚が伝わるのでそうしたいくらいだが、うまくなるまでは男性でも手袋をつける以上仕方ない。

 それにどちらにせよ、淑女用の薄手の手袋はつけていたのだ。むしろ持ってないなら駄目、とは言わずに用意してくれただけ感謝しなければならない。

 ハインツに背を向けて、手袋を付け替えた。



「ではどうぞ」

「はい!」


 すべての準備を整えて、エリーゼは呼吸を整えてから弓を構えた。

 前回のエリックとしての練習以来、実際には射っていなかった。だけどただがむしゃらに練習するだけではなく、一度した成功を刻み込むように繰り返す練習は全く別物だ。


 もう数えきれないくらい、頭の中ではまっすぐ射貫いてきた。だから今日だって、絶対にうまくいく。

 ぎりぎりと弓をひきしぼり、狙いをつけ、放つ。久しぶりとは思えないほどスムーズに体は動き、エリーゼは気負うことなく一射目を発射した。


「! あたった!」

「よし! いいですよ。よく修練されましたね」


 イメージ通り、とまでは行かなかった。頭の中ではど真ん中だったからだ。だがしっかりと的にはあたった。真ん中ではないが、端までいかない中ごろで、当たったと言いまわってもい位置だ。

 ガッツポーズをしそうになるのを両手を握りしめてこらえ、

ハインツを振り向くとにっと笑ってぽんと肩の横を叩いて褒めてくれた。


「ぅ、はい!」

「じゃあ次はもっと中心に近づけるのが目標ですね。冷静に、もう一度お願いします」

「はい!」


 一瞬、エリックの時のような気持になって、うん! と言いそうになってしまったのを慌てて修正する。普段よりやや薄くしているとはいえ、ハインツに顔が見えないようしっかりと被ってハインツの上から目線では鼻から下からしか見えないようにしていると言うのに、ベールに慣れすぎてつけていても一瞬勘違いしてしまった。

 自分はエリーゼお嬢様、エリーゼお嬢様、ともはや手遅れのような自己暗示を自分にかけてから、エリーゼは再度弓を構える。


「! っ」


 ほんの少し斜め上右、と思ったのに、二度目の弓矢は今度は的のぎりぎり端をかすめるように過ぎてしまった。ほんの少しの修正のつもりが、通り過ぎてしまった。

 姿勢は的に向いたまま、ハインツをちらりと見る。


「大丈夫です。少しずつ修正しましょう」

「はいっ」


 何度も繰り返す。今度はふり幅が小さすぎた。もう少し。まだ届かない。今度は通り過ぎた。

 自分のこらえ性のなさに舌打ちしたくなる気持ちをこらえ、もう一度微修正を繰り返す。


 腕が震え、大きく外れてしまったところで弓をおろした。気付かないうちに汗が滴っていた。


「はぁ……っ」

「エリーゼ様、どうぞ」


 さり気なくハンカチが差し出されたことに、思わずびくっとしてしまう。集中していて、すっかり状況を忘れて的と自分の感覚しか見えていなかった。


「あ、ありがとうございます」


 びくびくしたと思われたくないので、何気ないふりをして受け取る。弓を控えていた者に渡し、そっとベールを少しだけ持ち上げて前に出してはって中に空間をつくり、汗をぬぐう。

 もちろん、顎くらいは見えてしまうかもしれないので、恥ずかしくないようハインツの反対側を向いている。察した使用人たちも避けてくれたので問題ない。前にいるのはエリーゼの連れの中でも気心の知れているアンナだけだ。


「拭けましたか? ベールをはずされてもいいんですよ? 私しかいないのですから」

「わっ! ちょ、ちょっと、覗き込まないでください! 破廉恥ですよ!」


 とすっかり安心していたのに、信じられないことにハインツが横からひょいと顔をだしてきた。慌ててベールをおろすが、そんなエリーゼに怒られているハインツは何故かきょとんとしている。


「破廉恥って。人聞きの悪いことを言わないでください。何も

衣類を言っているわけではないではないですか。ベールですよ? 顔を見ることの何がいけないのですか」


 他の貴族女性も、もちろんあなたの母親も友人もしていることではないですか。と呆れた雰囲気すら出して言われたけれど、そういう問題ではない。

 他の誰かがしているなど、全くエリーゼには関係ない。例えば年中夏より暑い国ではいつも半裸のような格好で過ごしているとして、その国に行けば誰もがなにも恥ずかしがることなく半裸になれるかと言うと、そんなわけがない。


 またエリックの時は平気だが、それもエリーゼにとってドレスを着たお嬢様モードの時と、エリックの時は全く違う精神状態なのだ。入浴の際に脱ぐのは恥ずかしくないのと同じことで、エリックの時だけ平気なだけだ。

 ドレスを着て、心から自分が女性であると自覚している状態はベールも手袋もずっと欠かさずに身に着けてきたのだ。それでも手袋は汚れて交換したりなど、一時的に外すことはあった。

 だがベールは本当に一度も、誰にも見られない個室以外で外したことはない。ましてそれを、男性の前で見せるだなんて考えるだけで恥ずかしさで飛び上がりそうなくらいだ。


「か、顔を見ることが問題なのではありません。隠しているものを見ようとすることが問題なのです! ハインツ様、あなたにだって、隠したいことの一つや二つあるでしょう? それを無理に見ようとされて不快に感じないと言うのですか?」

「それは、確かにその通りですね。失礼いたしました。しかし、破廉恥はないでしょう」


 真面目に怒って叱りつけるエリーゼに、ハインツは顎に手を当ててからそう謝罪したが、どう見ても反省しているような態度ではなく軽すぎる。あまつさえ、まだ文句を言ってくれる。

 エリーゼはめくられないよう一歩引いて両手でしっかりベールの端をつかんで、しっかりと顎をひいて目が見えないようにしながらハインツにしっかり言い聞かせるように続ける。


「他の誰がよくても、私にとってはそうなのです。誰にも見せたことがない顔を見せるのは、とても恥ずかしく感じるのです。見せられるのは、本当に大切な方にだけです」


 だからこんなところでベールなんてあげられるわけがない。だいたい確かにベールは特殊だが、本人が隠しているなら手だろうが耳だろうが、無理に見ようとするのは紳士的とはとても言えないだろう。ハインツは本当に顔だけで困る。

 羞恥も危機も去って気持ちに余裕も戻ってきたエリーゼは、全くハインツは女心が分からないいつまでも悪ガキなんだから仕方ないなぁ、と超絶上から目線で許してあげた。


 言われたハインツは、何故か驚いたように、貴族らしくないぽかんとした口も半開きの顔を数秒見せて、慌てて口元を隠して顔をそらした。


「それは、失礼しました。その、そのようにお考えだとは思いもよらず。単に、伝統と利便性の為につけておられるのだとばかり」

「最初はそうでしたけれど、今ではベールは私の一部のようなものですから。私にはいいですけれど、今後、他の方にはやめた方がいいかと」

「……他の方、ですか?」

「はい、本日でお約束の三回目ですし」


 本音を言えば、三回以上でも構わないとは思っているが、今回しっかりめにお説教をしてしまったし、さすがにもう嫌がるだろう。

 一応一番最初に出した手紙に、最低三回はお会いしたい、チャンスをください、的なことをかいておいてのこのデートなので、おそらくハインツも回数は意識していただろう。だからこそ、最後だと思って弓も好きに練習させてくれているのだろう。

 他のお見合い相手が弓を教えてくれる可能性は低い。だから自分の三回くらいと好きにさせてくれているのだろう。女心はわからないが、本当にいいやつだ。


 だからエリーゼから、もういいんだよ。ちゃんと今回で終わりの三回目だってわかってるからね。と言い出してあげた。

 昨日までは言い出さずになぁなぁで回数を重ねたいと思っていたが、ハインツが真摯に練習に付き合ってくれているのでエリーゼはちゃんと友情を思い出して解放してあげることにしたのだ。


 なのに何故か、ハインツはおかしな顔をした。貴族ではありえないが、かといって街でも見ないような、驚きだけではなく、悲しんでいるような、怒っているような、何とも言いがたい表情をしている。


 その顔を読み解きたくてじっと見るも、数秒でハインツは我に返ったのか貴族然としたほのかな微笑み顔になって口を開いた。


「エリーゼ様、勝手なこと仰いますね」

「え?」

「あなたから始められたのに、あなたからこれが最後だと言う。勝手だと思いませんか? 私の何が気に食わないと仰るのですか?」


 その言葉の強さに驚きつつ、エリーゼは目をそらしながら言い訳と言う名の説明をする。


「え、あの、私はただ、私の都合にカールハインツ様に付き合っていただくのもそろそろ申し訳ないな、と言うだけでして。私はまだハインツ様といたいですけど、カールハインツ様が嫌なら、気を使わなくていいですよ、と言いたかっただけなのですけど」

「……はぁ。では、あなたが希望した通り、私は付き合ったのです。今度は私が満足するまであなたに付き合ってもらいたい。いいですか?」


 ハインツは何故かため息をつくように一度俯いてから、にっこりと、感情の読めない貴族笑顔全開になってそう言った。

 内容は普通に望むところなのだけど、しかしどうにも不穏さがちらついている気がした。

 したが、断れる流れでもない。エリーゼはハインツを警戒して一歩さらに引きながらも頷いた。


「はい。それではこれからもよろしくお願いします」

「はい。ではいつまでも立ち話もなんですし、一度休憩しましょうか」


 にっこりとした微笑のまま、いつの間にか練習場の横に用意されたテーブルセットにエスコートされた。

 それから休憩をはさみつつも弓の練習をして、この日のデートは終わった。

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