第20話 お礼
「ん。美味しいですっ」
珈琲ゼリーを口に入れて目を輝かせて称賛するエリーゼに、ハインツはうんうんと嬉しそうに頷いて珈琲を飲んだ。
真黒な珈琲はエリーゼの分もきているが、それもなんだかおいしそうに見えてくる。
「珈琲も美味しいですか?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ……ぅ」
いそいそとカップを持ち上げ、ベールの中に迎え入れてそっと口をつけ、その何とも言えない苦みと酸味に顔をゆがめた。ベールをつけていなかったら完全に貴族令嬢としてアウトな顔をさらしているところだった。
「……結構なお手前で」
「ぷっ」
「……何がおかしいんですか」
「いえいえ、なにも。んんっ。すみません。喉の調子が少し悪いようで」
誤魔化そうとしているハインツだが、あからさまに噴き出していたのはわかっている。エリーゼは頬を膨らませて、勢く店員を振り向いた。
呼び鈴を押したり手をあげるまでもなく、すっと近寄ってきた店員に甘い飲み物、と注文する。すぐにミルクたっぷりで果物の風味がする美味しい飲み物が出てきた。
「ん! これは美味しいです」
「よかったですね」
「初めからこういうのをおすすめしてください。いじわるする男の人はモテませんよ」
「あいにくと、必要を感じないもので」
はー、嫌味か。そんなことしなくてもモテますよ、と。全く、この男のそう言うところ、エリーゼは好きではないな。と思いながら珈琲ゼリーを再度口にいれる。
美味しい。苦みがむしろ甘さをひきたてるのだと実感させる。この美味しさを教えてくれたのだから、チャラにしてあげることにして、エリーゼはそうそう、と忘れないうちにお礼を渡してしまうことにする。
「そうそう。今日もですけれど、前回も大変お世話になりましたので、お礼の品を用意しておりますの。受け取ってくださいますか?」
「それはまた、お気遣いありがとうございます。ですがそのようにされずとも良いのですよ。私も楽しい時間を過ごさせていただきましたから」
ハインツは意外そうに片眉をあげてから、ふっと息を吐くように微笑んだ。その自然体な姿にエリーゼもつられて微笑みながら、そっと控えさせていた侍女からハンカチを受け取る。包ませていた布をテーブルの上で丁寧に脱がす。
出てきたハンカチはシンプルで、真ん中に来るよう折りたたまれたハインツさん家の家紋は、我ながらまあまあの出来、と自画自賛できる程度の見れるものだ。
「どうぞ、お納めください」
「これは、エリーゼ様が?」
受け取りながらハインツは目を見開いて普通に失礼が過ぎる顔をしている。何を疑ってくれているのだ。むっとしながらも鷹揚にエリーゼは頷く。
「もちろんです」
「それは、その、ありがとうございます。その、意外に刺繍がとてもお上手で、あ、いえ、別に馬鹿にするつもりはないのですが」
「ハインツ様、確かに私は男性的な趣味を持っていますけど、それとは別に、私だって刺繍位できます」
確かにエリーゼは、ハインツに変わり者部分ばかり見せたかもしれない。だけど別に、はしたないところや男装しているところを見せたわけではない。ちょっと趣味が男性的なだけで、そんなに驚いたりするのは失礼だろう。
「その、申し訳ない」
「ああ、いえ、そんな本気で謝らなくてもいいのですけど。実際、得意なわけではありませんし。これも久しぶりの刺繍でしたし」
一度目を閉じたハインツは胸に手を当てて謝罪しだしたので、慌てて制する。そこまで求めてのことではなく、ハインツがまるで友人のようにするから、エリーゼもつい友人のように怒って見せてしまっただけだ。本気の謝罪を求めたのではない。
「つい億劫で腕もさび付いていたのも事実です。私もいつか好きになった人や子供の為に刺繍をしたいと思うくらいはするので、ちょうどいい練習にもなったといいますか、あ、いえ、練習と言うのは言葉の綾でして」
フォローのつもりがここまでは逆に言いすぎだ。そんなついで感覚ではなく、ちゃんとお礼の気持ちで針をさしているのだ。
「落ち着いてください。悪くとってはいませんから」
慌てるエリーゼに、ハインツは綺麗な笑みを浮かべて手をおろして、そう言うとゆっくりした動きでカップに口を付けた。
その落ち着けるかのような動きと、また距離をとったかのような貴族的微笑みに、ハインツの感情を読み取りかねる。
何故声音までまた硬くなったのか。ハインツに気を許されているのか、そうではないのか。
「このハンカチ、大事にします」
「あ、はい」
エリーゼの緊張をほぐすように、刺繍を撫でながらハインツはまた少しだけ雰囲気を柔らかくしてハンカチを胸ポケットにいれた。
反射的に頷いてから、刺繍を喜ばれた事実にちょっと恥ずかしくなる。一度プレゼントするくらいは特別な関係でなくてもあるはずだけど、エリーゼにとっては初めてのことだ。嬉しいけど、むずがゆい。
「ふふ、なんだか少し、恥ずかしいですね。一応私が最初に殿方に差し上げる刺繍なんですから、光栄に思ってくださいね」
だから誤魔化すようにそうふざけて言う。これで怒っていないアピールにもなるし、雰囲気もよくなるだろう。折角のお出かけなのだから、少しだって険悪な感じにはなりたくない。
「そ、その、ありがとうございます。大事にします」
ハインツにもその思いが伝わったのか、どこかぎこちなく笑った。
こうして念願の弓を手に入れたエリーゼは、帰るなり地下の練習場に的を用意してもらうことにした。
○
「なあ、エリック」
「なに? 変な顔して」
今日はエリックとしてハインツと出かけている。なんと、念願の狩りである!
と言っても、弓の素人には違いないので、危ないことはさせてもらえないが、それでもエリーゼの時より気を使わなくていいし、ちゃんと練習もさせてもらえる予定だ。
エリーゼはるんるん気分でハインツと待ち合わせていた場所にむかった。今回は狩場で現地集合だ。
ハインツは馬車で迎えに、と言ってくれたが、よく考えるとそれだとエリーゼについてくる護衛達が困ることになってしまうし、そのせいでハインツにエリックの正体がばれても困る。
なので現地集合として、馬車は一緒に家から乗り、降りてからは距離を取ってもらっている。これでバレない。完璧である。
「もしかして体調悪い? いくら凶暴な動物がいないって言っても、獣だって必死なんだから、万全じゃない状態で挑むのはやめたほうが……あ、そうだ! 今日は僕が全部代わりに射ってあげるよ!」
「やめろ。違う」
「あ、そう。じゃあなに? 真剣な顔して。お見合いは問題ないんでしょー? また悩み事ですかー? 悩み多き年ごろですねー」
真顔で否定された。とてもいいアイデアだと思ったエリーゼは頬を膨らませてから、ハインツの肩をついてからかうように声をかける。
「誰の……いや、とにかく、俺は元気だ」
「僕も元気だよ!」
「……ふっ。なんだよそれ。しかたねぇな。やるぞ! よく見て勉強しろ」
「よっ! 待ってました!」
調子が出てきたようなので、手を叩いてはやし立てて弓を持たせる。
「先生、今日の獲物はなんですか?」
「鳥だ」
「えー、また。つまんないから、猪とかにしようよ」
「つまるつまんねぇじゃねぇんだよ。そんなもん急に狙えるか。下準備ってもんがいるんだから。つべこべ言わずについてこい。お前は初めての狩りだろうが」
「そ、そうだね!」
つい、また? と言ってしまったが、あれはエリーゼで今はエリックだったのだ。ハインツはアホなので気付いていなかったようだが、危ないところだった、とエリーゼは額の汗をぬぐいながら従順にハインツに従うことにした。
そしてハインツが狩りをするのをよくよく観察する。実際に弓を射るようになってから見ると、ハインツの弓を引いてから放つまでの時間の短さが目に付く。
それでいて的外れではなく、最低でも掠るくらいはするのだ。引き続けることがないから、ハインツは前回狩りが終わっても汗だくになっていなかったのだ。
こうして見ているだけでも改めて勉強になる、とエリーゼはじっくりハインツを観察した。
自分で言い出したくせに、時折ハインツは視線が気になるのかちらちらエリーゼを見るのだが、にっと笑ってやると半笑いを返して前に視線を戻した。
手付き、表情、眼球、筋肉の動き。いろんな方向からじっくり見ると、色々と見えてくることがあるが、総合すると、ハインツやっぱスゲーな。と言う感想になった。
「また一発! 凄い!」
「ふふん、まあな」
そしてそれが凄いほど、尊敬するとともに少し落ち込んできた。
これだけの腕前を弓で持つために、どれだけ練習していたのか。つまりハインツは、剣は弓の次にしていたものなのだ。二番目のものに、剣一筋のエリーゼが勝ってどれほど自慢になるだろう。
あくまで一つの目安でしかなかったのかもしれない。なのにもう、剣を二の次で弓を始めようとしているなんて、エリーゼは調子にのっていたのかもしれない。
「ハインツに勝って自惚れてたけど、弓がこれだけできるなら剣一筋の僕が勝ったって、大したことなかったよね……」
思わずしょんぼりしてしまう。そんなエリーゼに、ハインツは獲物を回収してから、皮の手袋ごしに手の甲で二の腕あたりを叩いた。
「ばぁか、まじで自惚れんなよ。俺は子供のころから、ずっと剣はしてたんだ。専門の教師をつけてずっと主に学んでいたんだぞ。それに半分以上我流のお前が勝ったんだ。十分すげぇよ」
「そうなの? でも、弓の方が得意みたいだし。二番目に得意なものに勝っても……」
「弓の腕が落ちてないのは、剣より一人での修練で持続しやすいからだ。剣はどうしても体力や剣筋を維持しても、対人の勘は鈍るからな。それに、単にお前が予想以上の動きをしてきただけだ。それにお前だって……いや、なんでもない」
気分のいい褒め言葉に気持ちが前向きになってきたところで急に梯子を外された。いや、もっと欲しいんですが?
エリーゼは何故か急に言葉を濁して目をそらしたハインツの背中をぱんぱんとたたく。
「え、なになに。そんな気になる引きある? 褒め言葉が続くんだろ? ここはヨイショしてくれるとこでしょ?」
「よく考えたらお前をよいしょしても仕方ないしな」
「仕方なくないって! 僕が喜ぶって!」
「それが仕方ないんだが。ほれ、持ってろ」
「うわ。うわぁ。血抜きしにいくんだよね?」
エリーゼの時は持たせられなかったほかほかの獲物に、びくっとしながらもテンションがあがるエリーゼ。前回学んだ解体を実践する時だ!
「向こうに見えるから、もう一羽仕留めながらいくぞ。解体させてやるから喜べ」
「ヒュゥ! さっすがハインツ!」
その後二羽になった獲物は解体し、しかし貴族として準備万端だった前回とは違い、今回は二人だけなのでワイルドに焼くだけの簡単調理だがそれはそれで非常に満足できる昼食となった。
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