第7話 次の約束

「父に以前お願いしたことがあるのですが、断られてしまいまして。よければ色々と教えていただけると嬉しいです」


 そして次回に狩り、と言うことになれば回数も稼げて、さらにエリーゼのやりたいこともできると言う、言うことのない展開だ。

 そう直球でお願いすると、ハインツは微笑みなおして口を開く。


「教える分には構いませんが、絶対に実行はしないでください。もし万が一それで怪我でもされましても、責任はとれませんから」

「自分でしたことに対して、カールハインツ様に責任を求めるような無責任なことは致しません。それに、そのように脅かしますけれど、弓と言っても最初は当然刃のないものや型の練習をするのではないでしょうか? でしたらそう簡単に怪我なんてしないと思うのですけれど」

「……手を、出していただいても?」


 自己責任だから大丈夫、と言ったつもりなのだけど、何故かハインツは表情をまたかたくしている。

 何か地雷を踏んでしまっただろうか。弓を馬鹿にしたり軽んじたつもりはなく、あくまで初期練習にそれほど危険はないだろうと言うだけなのだけど。


「? はい、構いませんけれど」


 エリーゼはハインツの申し出にびくつきながらも、気取られないよう堂々と手を出す。ハインツはあくまで貴族としての表情の殺している範囲内だ。

 微妙な違いが判るのはハインツの素の表情が分かっているからなので、エリーゼが勘づくのはおかしいのだ。


 そんなエリーゼが出したテーブル上に広げられた手に、ハインツは並べるように自分の手のひらを出した。


「私の手と比べてください、ご令嬢の手は柔らかいのですから、ただ弓を握るだけでも……? エリーゼ嬢は、何か体を動かすご趣味がおありで?」

「えっ」


 思わず広げていた手を握りこむ。貴族女性として手袋は必須だが、春を過ぎれば蒸れを防ぐために薄手でレースなど多少透けている部分もあるものだ。

 普通に接している状態ならわからないだろうが、こうして並べてまじまじと見てしまえば、エリーゼの手が通常の手に比べて固く豆があることがわかってしまった可能性がある。


「え、ええまあ、踊りを少し」


 母親の趣味でもあるので、幼少期から踊り自体は厳しく教えられている。エリーゼも嫌いではないので、嘘ではない。今でも社交ダンスなどは人並み以上である自負はある。


「踊り、ですか」

「お、おほほほ。見苦しいものを見せてしまいましたわね。踊りの中には同時に器具を持ち鳴らしたり、棒術のように飾りをふったりすることもございますからいくつか豆もできたりするのです。白魚とはかけ離れた手を見せてしまいまし申し訳ありませんわ」

「そのようなものが……。いえ、こちらこそ、ぶしつけなことをして申し訳ありません。ですが謝られるようなことではありません。努力家のよい手ですよ」

「それはどうも」


 不思議そうにされたので事実をそれっぽく付け加えると、ハインツは納得したようでフォローをしてくれた。

 話の流れ上そう言ったものの、特にエリーゼは自分の手にコンプレックスはないし、むしろそれこそここまでの修行の証であり気に入っている。フォローされても、そうでしょう。としか思わないし反応に困るので軽くスルーする。


「で、弓について教えていただきたいのですが」

「……あなたが見た目より活発な方なのはわかりました。ですが、それをお教えすることはできません」

「えぇぇ。あ、いえ、そんなご無体な。と言うか先ほど、教えるのは構わないと仰ったではありませんか」

「確実に実行されるとわかっていれば話は別です」


 素の声でえぇと言ってしまったので慌てて修正して追いすがると、ハインツは幸いエリーゼの声音に気が付かなかったようで普通にそう断った。

 断られたのは残念だが、素の声でも気づかれなさそうなのは朗報だ。よく考えれば、あれだけ長い付き合いだしハインツはエリックが男だと心から信じているのだ。ならポッと出の女がちょっと似た声をしているからって、同一人物だなんて簡単に気が付くものではないだろう。

 人間、そんなことはあり得ないと思えばそんな発想はなかなかでてこないものだ。もしかして余裕では? とエリーゼはにんまり微笑んだ。


「そうですか。非常に残念ですが、そう固辞されては無理強いはできませんので諦めます」

「それがよろしいかと。しかし、そこまで興味を持たれたのであれば、よろしければ、次回の狩りを見学に来られますか? もちろん弓も罠も、危険なものに触らせることはできませんが、すぐに食べられるものなら調理くらいならしていただいても構いませんよ?」

「本当ですか!? いいですね! あ、もちろんそれは解体もやらせていただけると言うことですよね?」

「……かまいませんよ」

「さすがハインツ様! 話がわかるじゃないですか。いやー、あ、普通の調理ナイフよりしっかりしたものがいいですよね。用意しておきますね。調理の練習もしますけど、来週以降ならいつでも大丈夫です」

「……はい。ナイフなど必要なものはこちらで用意しておきますね」


 何か不自然な空白が発言前にある気はするけれど、とてもスムーズに話がすすんだ。ハインツが引いている気はしていたが、狩りをする約束さえすれば、これで二回目。あと一回だ。

 狩りで熟成肉を仕込めば、自然と三回目も会えるだろう。それでこのおかしな関係も終わりだ。


 エリーゼは勝利を確信して、ハインツとのこの後の会話も終始狩りについて聞けばいいので楽しんで過ごすことができた。

 具体的な練習方法などは教えてはくれなかったが、狩りの緊張感や獲物の挙動、狙うタイミングなど、すぐに身になるものではないが聞いているだけでも面白かった。


「それではカールハインツ様、本日は楽しいお時間をありがとうございました」

「こちらこそ、エリーゼ様と過ごせて光栄でございます」


 ハインツも段々乗ってきたのか、普通に楽し気に話してくれたので、これは大成功と言っていいだろう。

 お互い笑顔で第一回目のデートは幕を閉じた。









「で、どうだったのかしら? 愛しの彼との逢瀬は?」

「サラ、私、あなたのそう言うわざと嫌がる言い方をするところ、嫌いよ」


 翌日、約束通り友人のサラのところへやってきた。サラの家はそこそこ近いが、貴族令嬢として支度して馬車で行くので億劫さはそれほど変わらない。

 しかし来てしまえば普段なら普通に楽しいところ、今日は挨拶もそこそこにニマニマとからかわれてしまい、エリーゼのご機嫌は急降下した。


 普段ならまだもう少しかぶっている猫をさらに半分外して、エリーゼはごくごくと用意してもらったカップを飲みほした。

 サラがしてくれるおもてなしは、いつも彼女の趣味全開だ。だがそれがいい。自分の好きな物だけ用意されたって、そんなのは自分の家ですればいい。親しく、ある程度相手の好き嫌いを把握しているからこそできるもてなしは受けていて心地いい。


「ん。これが噂のミルクティ?」

「そうよ。美味しいでしょう? いくつか種類があるのだけど、これが一番好きなのよ。花の香りがするでしょう?」


 サラが用意してくれたのは、最近この国に入ってきた新しい茶葉の飲み物だ。ミルクを入れて飲むのが、新鮮なものでなくてはいけないし、富裕層しかできないのだと貴族の間でも流行っている。

 流行廃りにあまり興味のないエリーゼの耳にも入ってくるくらいなので、相当なのだろう。サラも例にもれずはまっているようで、喜々として説明しながら、5種類を次々カップに用意させた。


「どうかしら? 香りを比べてみて、どれが一番エリィの好み?」

「一度に出されるの比べにくいのだけど……」


 仕方ないので言われるまま、一つずつ持ち上げて顔を近づける。

 茶葉によって香りが違うのは以前からだが、そのどれとも違う。それにミルクの香りが混ざることで、どれも優しい丸い香りだ。


「そうね。サラが出してくれたこれかしら」

「! そうよね。一番可愛い香りよね。さすがエリィね」

「サラのセンスがいいだけでしょ。あ、このクッキーもらうわね」


 クッキーもいただく。美味しい。お茶にも合う。エリーゼがさくさくと、貴族令嬢らしさを捨てて普通に食べるのを見て、サラはにこにこと微笑みながら、すっと扇子をだして構える。


「喜んでくれて嬉しいわ。そ、れ、で? 昨日はどうだったのかしら?」

「……別に、どうってことはないわ。普通に、向こうの家の庭でお茶をしただけよ」

「次のお約束は?」

「……できたけど」

「不満そうね。自分を殺して楽しくないお茶会で、次回も全然興味のないドレス選びとかなのかしら?」

「そんなことはないわよ。実は狩りに連れて行ってくれることになったの」


 扇子を構えてもからかう気満々なのでその不満が声にも出てしまったけれど、それでハインツの悪評になってしまうのは違う。

 ここまで来てしまったなら仕方ないので腹をくくることにしたエリーゼは正直に話すことにした。さすがに男装のことは言っていないが、趣味でこっそり剣術の練習などをしていることや、街に遊びに言ったりしていることは言っている。なので今回の狩りに行くくらいは今更だ。


「狩りに? ふぅん。あんなの行ったところで楽しくないし、普通は男女で別行動して、殿方が狩りをしている間に女性同士で涼をとりながら屋外でお茶会するのが基本なのだけど、そう言うと言うことは二人きりで、狩りそのものに同行すると言うこと?」

「そうよ」

「以前にもそんなそぶりをしていたけれど、まさか本当に狩りに興味があったなんて。あなたって本当に、淑女らしくないわね」


 半分面白そうに、半分呆れたような声音で、扇子を振りながらそう言われた。否定はしないけれど、少なくともサラには言われたくない。サラだって誰彼構わずさらっと毒舌したり、孤立を恐れず発言するし、別にそれが正義感や義務感などでもなくただの面白がりだったり、淑女の鏡からはほど遠い。


「なによ。変わり者なのはお互いさまでしょう?」

「私は少し素直で、少し自分のことが好きで、少し人をからかうのが好きなだけよ。あなたみたいに、趣味趣向が変わってる訳じゃないわ」

「変わっているのは否定しないけど、少しじゃなくてめちゃくちゃ素直だと思うわ」


 そう言うところがあるから友人なのだけど、それはそれとして自覚はして。とエリーゼはジト目菜乃を伝えるため、ぴっと扇子をそろえて指し示すようにふるった。


「でも狩り、ね。そんな提案をすると言うことは、あのきも、もとい、過剰な猫かぶりはやめたのね」

「あの声音につっこむのはやめて。と言うか、キモイって言おうとした?」

「じゃあ声音以外は、素で話したってことなの? 逆にものすごーく違和感だと思うのだけど、カールハインツ様って器が大きいのねぇ」

「そうそう。そうなのよ。細かいことは気にしない、いい人なのよ」

「あら? あらー?」

「あ、いや、だからそう言うのではないのだけど」


 結局、時間になるまでねちねちと突っ込まれた。人として好ましく、いい友人だと思っているエリックとしての感情が下手に混ざってしまっているので、余計に怪しいのはわかっていても、冷たくしすぎるのも違うので否定しきれないエリーゼだった。

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