第38話 練習をした方が、いいかな?

 逢瀬の後、すっかり忘れた自分にがっかりしたエリーゼはサラに再度協力を要請した。散々、まさかほんとにおばあちゃんになっちゃうんじゃ? とか馬鹿にされたがちゃんと協力はしてくれることになった。

 不意打ちでベールを脱がされたり、じっと至近距離で見つめられたり、泊まってもらって好き放題してもらったりして特訓を終了した。


 そしてついに、三度目の正直となるエリーゼとしてのデートが始まった。


「それにしても、今日はエリーゼの部屋に来るとはな。なんつーか、ちょっと落ち着かないな」


 そう、エリーゼは気が付いたのだ。よく考えたら、外でベール外せる訳なくない? と。

 それに他にいろんなことがあるのもよくない。すぐに話題をそらせられる。他に何もなく、あえて部屋に呼ぶなら何かあるんだろう、と思わせて自分を追い込むことで、今日こそハインツに言うのだ。


 そう意気込んで招待したエリーゼだったが、自室にハインツがいると言うだけで緊張してきていた。


「きょ、きょうは、その……だ、大事なお話があって呼びました!」


 最初から直接的なことを言うのは無理だ。と言うこともわかったので、サラの提案もあり、まず宣言する。そしてハインツに待ってもらうことで言わざるを得ない状況に自分を追い込むことには成功をした。


「お、おう? なんだ、改まって。この間から言いかけてた、何か困りごとか?」


 エリーゼ様子に鬼気迫るものを感じたのか、ハインツは表情をかたくして丸テーブル越しに肘をついて身を乗り出した。


「え、ええ。まあ困っていると言うより、悩んでいる、と言う感じなのだけど。その……エリーゼとして、あなたに顔を見せていないじゃない? 顔を見せられないままじゃあ、いずれ必要になった時に困るでしょ?」

「必要……」


 顔を見せる必要なシーンを考えているのだろう、エリーゼの言葉にハインツは神妙な顔のまま右手で鼻から下をおおった。

 確かに今のところベールをとらなくても楽しく過ごしているのだから、ぴんと来ていないのかもしれない。なにせハインツは鈍いので、エリーゼとの口づけなんて想像もしてないだろう。


「ほ、ほら、いずれ結婚するなら? その、式で、ベールをああげなきゃいけないでしょ? その、そうなったら、ハインツ様どころか、みんなの前で顔を出さなきゃいけないから」

「あ、ああ。なるほどな。それはエリーゼにとっては一大事だな」

「そうなの!」


 まずそこを理解してくれた。そこですでに嬉しい。顔を見せるなんて大したことないんだから、その時になったらできるって。などと言われたら説明からしなければならない。

 確かにエリックとして顔をみせているので、ハインツからしたら不思議なのかもしれないが、少なくともエリーゼは大真面目なのだ。そこをわかってもらえていた。それだけでまたハインツへの好感度があがってしまった。


「そ、それでね、だから……」


 ハインツの表情はエリーゼにのまれたのか真剣なままだ。その熱い眼差しに耐えられなくて、膝の上で両手を握っているのを見るように俯く。

 恥ずかしい。知られたくない。嫌われたくない。避けられたくない。でもそれ以上に、ハインツに好かれたい。今までより仲良くなりたい。


 カラカラの喉に唾を強引にとおし、息を吸って、手が痛いくらいに握りこみこんで自分の感情を誤魔化して声をしぼりだす。


「れ、練習したほうが、いいかなって……」


 ベールをあげて、キスをして。なんて直接的にはさすがに言えない。サラもそこは、あからさますぎると言っていた。それでもこれで、きっと意図は伝わるだろう。

 だからこれで、ハインツがベールをあげるだけで終わらせたなら、それはそこまででいい、今は口づけはしないと言う意思表示だ。そして逆にキスをしてきたなら、そう言うことだ。


 すでにこの言葉で、エリーゼの思いは伝わっている。ハインツの反応を見るのが怖くて、顔があげられない。


「れ、練習って……そ、そんな簡単にいいのか?」

「かっ、簡単だったら、こんなに、汗かいてない!」

「お、わ、悪い。別に、お前が今、一生懸命にしゃべってんのはわかってる。うん。軽々しくは言ってないよな。ただ、結婚はするにしても、練習まで俺でしていいのかっつーか」


 全身震えそうなくらいで、変な汗がでてきていて、声だって上ずっているし、もうあっぷあっぷなのだ。それ自体が格好悪くて恥ずかしい姿なのに、それを見せずに言えないことを言っているのだ。

 だからエリーゼが嘘だったり軽いノリで言っているわけではないことは一目でわかるのだ。なのにそんな確認をするなんて、侮辱だ。


「馬鹿! ハインツ様じゃなきゃ嫌だから言ってるのがわからないの!?」


 俺でいいのか、なんて馬鹿すぎることを言うから、カチンときて思わずそう怒鳴って、顔をあげてしまった。


「っ」

「! え、あ……」

「……み、見るなよ」


 ハインツは、言われた側だ。何も失うものはなくて、嫌ならただ却下すればいいだけだ。

 だけどハインツは、真っ赤になっていた。あれだけモテる男アピールして、実際嘘ではないはずなのに。エリーゼのお願いに耳まで赤くなっていた。


 思わずその見たことがない表情に見入ってしまうと、ようやく自分の顔に気が付いたのか、ハインツはそう恥ずかしそうに言って片手で自分の左耳を覆った。


「っ……、ご、ごめんなさい」

「いや、別に、謝らなくてもいいんだが」


 慌てて顔をさげた。

 心臓が破裂しそうにうるさい。今の表情。エリーゼの提案に対して、あんなに赤くなって。そんなの、他の可能性なんかないではないか。エリーゼが望んでいた通り、いやそれ以上に、ハインツもまたエリーゼを特別に、異性として思ってくれていたのだ。

 それが嬉しくて、そして同時に、今のハインツの照れ顔が可愛くて、さっきまでと別の意味でも好きになってしまう。


 いつも格好良くて十分好きなのに、こんな時照れて可愛くなるとか、反則なのでは? そう意味もなく審判に抗議したくなる。

 しかし恋には審判もルールもない。部屋には二人っきりであり、こんなに好きなハインツに遠回しにキスの催促をしている状態なのを改めて実感して、ますます体温があがってしまう。もう頭皮まで赤くなっている気さえする。


「ぁ……ぁの」

「待て。俺に言わせろ……おい、エリーゼ。顔をあげろ」


 この空気をなんとかしたくてとりあえず発声したところ、ハインツが制止してそうかための声で言った。

 恥ずかしい。ベールをしていても顔をあげるのが恥ずかしい。だけどそれでも、さっきほどの抵抗はない。だって、ハインツは絶対嫌な顔をしていないとわかっているのだから。


「……」


 顔をあげる。ベール越しに見るハインツは真剣な顔で、赤い顔なのに、照れるでも隠すでもなく堂々としている。そんな態度に、またしても胸がきゅうと締め付けられほどときめいてしまう。


「エリーゼ」

「は、はいっ」

「その、俺も、お前じゃなきゃだから嫌だ。お前がいい。その……先に言わせて悪かったな」

「う、ううん。別に、そんなのは、全然……」


 エリーゼがいい。エリーゼじゃなきゃ嫌。エリーゼがハインツに言ったことそのままだ。だけどだからこそ、嬉しい。全く同じ気持ちだったのだ。

 いつからなのかわからない。だけど今思ってくれているのは間違いないのだ。


 夢みたいに嬉しくって、ふわふわして、このまま浮き上がってしまいそうな気分だ。エリーゼは顔は何とか上げているけど、両手を開いたり閉じたり、膝を強くこすったりしてしまう。

 そんな落ち着かないエリーゼにもハインツは優しく微笑みをむける。


「ああ、ありがとう。それにしても、なんだ。お前がそんな気持ちでいてくれたとは思っていなかったから、驚いた」

「そ、それは、私もよ。いつから私のこと、その、す、好きでいてくれたの?」

「あ、ああ……」


 ふわふわした気持ちのまま、はにかんだハインツに全身の緊張がとけてふやけそうになりながら、黙ってしまうのも気まずいのでそう問いかけた。

 ハインツがそう思っていたとは全く気が付かなかったし、気になるところだ。ないとは思うけど、エリックの時から、とかだったらなんか嫌だし。

 それにいつからかによって、どんなエリーゼを好んでいてくれるのかわかれば、もっとハインツに好かれる自分になれる。


 そう割と気軽な気持ちで聞いたのだけど、ハインツは何故か一瞬面食らったように瞬きをしてから目をそらして言葉を濁した。

 その反応に、一瞬で心は急転直下。慌てて沈黙をかき消すように声を出す。


「え? あ、あれ? え? 私変なこと言った? あれ、す、好きって言い方、おかしかった、かな?」


 え? 結婚式の練習をするのに、エリーゼじゃなきゃ駄目。エリーゼがいい。って、恋愛感情で好きと言うこと以外解釈ないのでは? え? まだ勇み足だった? え?


 混乱して両手をばたばた動かして、足までゆすってしまい動揺が隠せないエリーゼに、慌ててハインツが両掌を向けて制す。


「お、落ち着けよ、エリーゼ。即答に迷っただけだ」

「う、うん。あの、うん」


 即答に迷う? いつから好きかの問いかけに迷うって、つまり好きか迷っている? え、どっちだ?

 と、先ず体を動かすのはやめたがいまだ混乱の中にいるエリーゼに、ハインツは頭をかいてから机に手をついた。


「か、勘違いするなよ。わかった。ちゃんと、誤解のないように言ってやる」

「う、うん? うん。はい。どうぞ?」


 どちらともとれる発言に、とりあえず今から説明してくれるようなので促す。

 その軽い態度にハインツは一度ため息のように、深く息を吐いてから、再度顔をあげてじっと正面からエリーゼを見る。


「よく聞け。俺は、カールハインツ・ハンマーシュミットは、エリーゼ・エーレンフロイントが好きだ」


 まっすぐな目で射貫きながら、固い声でそうハインツは言った。

 あえてフルネームを口にする、その真剣さの意味が分からないわけではない。エリックやエリーゼ、同性や異性、そう言ったややこしいことを全部とばして、今ここにいるエリーゼに伝えようとしてくれているのだ。


「恋愛感情があるし、愛している。結婚して幸せにしてやりたい。お前と一緒なら幸せになれると思っている。気が付いたら好きだったし、いつからかはわからん。どうだ。他に質問はあるか?」

「あ、あ……」


 先ほど一瞬で下がった体温が再びあがり、もうエリーゼの体はめちゃくちゃだ。全身変に汗が出てきている。

 心臓は爆発しそうだし死にそうだ。もしかしてこれは遠回しな暗殺では? と言うくらい苦しい。


 無理。ハインツが格好良すぎて無理。こんな直球で好きって言ってくれるなんて想像していなかった。いくら二人きりとはいえ、貴族的表現一切なく、直球どころかデッドボールだ。全身にぶつけられてボロボロにされた気持ちだ。


「……おい、恥ずかしいから、なんか反応してほしいんだが?」

「う……」


 わかっている。エリーゼが鈍くてさっきのやり取りでもまだすぐ不安になってしまったから、ここまではっきり言ってくれたのだ。

 だから殺意とかもちろんないし、エリーゼを思って言ってくれているのだ。それにこれは告白なのだ。ならちゃんと同じ温度で、エリーゼも返事をしなければならない。


「わ、わた………ゎたしも……」

「聞こえないぞ」


 ハインツはにやにやしながら、小声になったエリーゼに追及してくる。絶対聞こえたくせに。

 だけどハインツ自身は聞き間違いも思い間違いもないようはっきり言ったのだから、その権利はある。


 エリーゼはすーはーと大きく深呼吸をして、ぐっとハインツを睨み付けるように全身に力をこめて深く息を吸った。


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