第35話 エリーゼとエリック

 と言うわけで、次回エリーゼとしてハインツとデートする時には、ベールを外して口づけをして、とねだらなければならないこと決まった。

 正直に言うと、決めたはいいもののまだ覚悟のきまらないエリーゼは、そのまま先にエリックとしてハインツと会うことになった。


 エリックとして出かけるの事態が久しぶりで、今日はハインツを意識しなくていいんだ! 同性として前みたいに思いっきり遊ぶぞ! と言う気持ちでいた。

 ハインツと会うまでは。


「お、おはよう、ございます……」

「おはよう。どうしたんだ? エリック?」

「う……」


 目があった瞬間、軽く手をあげてにっこり笑ってくれるその笑顔。表情も雰囲気も、全て素敵だ。どきっと心臓が高鳴って、全然エリックではいられない。

 声が小さくなって、ハインツ様、と言いそうになるのをこらえるエリーゼに、ハインツは不思議そうに首を傾げた。


 その際に顔を寄せられ、自分がベールを付けていないことを自覚して、当たり前のことに恥ずかしくなってしまう。


 違う違う違う! 今はエリック。僕はエリック。ハインツとは友達。同性。

 と自分で自分に言い聞かせながら、エリーゼは胸に手を当てて大きく呼吸する。


「ふぅー」

「おい、どうした?」

「う、うん。ごめん。その、ちょっと、ハインツを意識しちゃて。ごめん、すぐ、ちゃんとエリックになるから」

「お、おお。まあ、ゆっくりでいいぞ」

「うん」


 ゆっくりと呼吸をして、まだ少しハインツの存在自体を大きく感じてはしまうけれど、さっきよりはましだ。少なくとも心臓がうるさくて苦しい位なのはなくなった。

 今は普通に、ドキドキッくらいだ。


「ごめん、お待たせ。じゃ、遊ぼっか」

「おう!」


 そしてにかっと笑って応えたハインツに、また心臓が高鳴ってしまった。もうだめかもしれない。

 エリーゼはほのかに頬を染めたまま、予定通りハインツと一緒に街に繰り出した。


 他の知り合いに会った時には、体調が悪いのかと心配されたりもしたけれど、言動には問題なかったのでセーフと思いたい。

 そして無事に食事を終えて、弓矢の補充をしてから弓の練習を見てもらえることになった。


 食事中は少し、向き会っている形なのでちょいちょい照れてしまったエリックだったが、弓となれば話は別だ。

 練習を始めてしまえばそれにすぐに夢中になれた。


「やった! 見た!? ハインツ!」


 そして目標の10射連続命中して、ようやく集中を解いてハインツを振り向いたときには、完全にハインツへのときめきを忘れていた。


「おう。見た。すげーじゃん」

「うっ。うん!」

 

 でも駄目だった。普通に、満面の笑顔で褒めてくれたハインツを見ると、ときめきが再燃した。無邪気に褒めてくれた感じにきゅうと心臓が掴まれた気さえした。


 そんな感じで、全然いつも通りではいられなかった。夕方になって、そろそろ片づけださなければならない時間になって、エリーゼはあまりに平静を装うことすらできなかった自分にがっかりした。


「ハインツ……今日はごめんな。全然、いつも通りじゃなくて、エリーゼをひきずっちゃった。僕、ちゃんとエリックとして遊んで、エリックとしてハインツに会いたかったのに」


 俯いて顔を見れないまま、そうしょんぼり謝罪するエリーゼに、ハインツは苦笑してぽん、と肩を叩いた。

 そんな些細な、男同士なら何でもないことで動揺して肩を思わず揺らしてしまった。


 だけどハインツはそれに動じず、むしろスキンシップ激しく、頭を撫でてきた。こんなのはエリックとしてもほぼなかったのに。照れくさくて俯いた顔をあげられない。

 エリックなのに、頭を撫でられる大きなハインツの手が、強くて、たくましくて、ドキドキが高まってしまう。


「気にすんな」

「え、え? ごめん、なに?」


 あんまり心臓がうるさいから、しばしの沈黙ののちにハインツが声をかけてくれたのが全然聞こえなかった。慌てて聞き返し、反射的に顔をあげる。

 にぃっと、優しく語り掛けるような笑みのハインツ。隠せないくらい、顔が端まで赤くなっている。だけどそれを見てハインツはさらに笑った。


「ははっ。気にすんなって! どんなお前でもお前なんだから」


 胸が締め付けられた。どうしてそんなに、欲しい言葉ばかりくれるのだろう。

 ハインツは対エリーゼ専用で心を読んでいるのか。それとも、女とわかれば誰にでもそんな風に言っているのか。

 そう思いたくないのに、そう思ってしまう。だって、あんまり嬉しいから。ハインツの全部が嬉しいから、これを他の人にしてほしくなくて、ハインツの特別でありたくて、ハインツの気持ちを知りたくて、何だか、泣けてきそうだ。


 だけどそれはエリーゼで、今はエリックだ。だからこらえて、にっと笑った。


「ありがとう! ハインツ!」


 大好き、の気持ちはまだ、エリーゼの時まで胸にしまって、そう気持ちを伝えた。


「お、おお」


 その勢いに驚いたのか、ハインツは一瞬目をそらしたが、すぐにまた笑って、今度は両手でエリーゼの髪をかき交ぜるように混ぜた。


「や、やめろよぉ」

「ははは! なら抵抗してみろ!」


 笑うハインツにつられて、今度こそエリーゼも満面の笑顔で笑ってしまって、抵抗でハインツをくすぐったりした。また昔みたいに笑いあえたのが嬉しくて、だけどその距離が嬉しくてドキドキして、何だか変な感じだった。








「あ、あの、ハインツ様」

「ん? どうしたエリーゼ。この間もだが、何か言いたげだな? なんか困ったことでもあったか?」

「ん、えっと……」


 エリーゼとして会ったら、ベールを取ってもらってキスをねだる。そう決まっているのに、言い出せないまま終わって、今回が二回目だ。なのに今日も、言えないままだ。


「な、なんでもないわ……」

「いや、明らかに嘘だろ? 困ってるなら相談しろって。前にも言っただろ? それとも、俺はそんなに頼りないか?」

「そ、そんなことない」


 最初からだ。最初からハインツは頼りがいのある兄貴分だった。剣の振り方から教えてくれた。どんなにお願いしたって、嫌な顔せずに付き合ってくれた。嫌だなんて一度も言わなかったし、素振りも見せなかった。

 いつも気のいい顔をしてくれた。剣だけじゃない。人間関係で、ちょっとしたことでもめそうになった時だって間に入ってくれたり、困った時いつだって助けてくれた。ハインツほど頼りになる人を知らない。


 だから、だからこそ困っているのだ。こんなに頼りになって男らしくて潔くて素敵な人だから大好きで、だから嫌われたくないし、そもそもキスをすると考えただけでエリーゼの頭はパンクしそうになるのだ。

 キスをねだるなんて、それを言おうと口を開けただけで止まってしまう。


「ないけど、今は、その。内緒! それより、良かったら今度は剣、みてくれる? 今は無理だけど、今度エリックの時に」

「それはいいけどよ」

「よかった。言っておくけど私、剣だって練習をかかしてないからね。今も、腕は落ちてないわ」

「お。勝負か? 言っておくが、あれから俺も体を動かしているし、あの時ほど鈍ってはいねぇぞ?」


 少し納得いかないような顔をしていたハインツだったが、エリーゼが威勢よくそう言うとのってくれた。口の端をつりあげるハインツに、エリーゼも笑って応える。


「ふふ。二度目だって負けないから。私の弓だって、そのうち追い越しちゃうんだから」

「はー。さすがにそれはねぇな。と言うか、せめてお茶をもうちょい美味く入れられるようになってから言えよ」

「う。きょ、今日は完璧だから」


 ハインツにお茶をいれてあげるのも、何度か挑戦しているのだけど、いまいち侍女がいれるのと同じにならないのだ。それはつまりハインツにも劣っていると言うことだ。

 どのくらい沸騰している段階で注ぎ、温め、むらすか。その微妙な調整が意外と難しいと気づいたのはすぐだが、なかなかうまくいかない。

 弓の方がよっぽど進展が眼に見える分、いまいちできているのか自分でもわからない。


 それでもお茶をいれることは、やめた。とは今のところ一度も思わない。

 単に負けたくない、ハインツに参ったと言わせたい以上に、純粋にハインツに美味しいと思ってもらいたいと感じるのだ。


 そんな自分がいることに、驚くような不思議なような、それ以上に嬉しいような、そんな気がした。悪くはない気持ちだ。


「はい! できたわ。今度こそ、きっと、美味しいと、思うわ?」

「……」


 カップに注いだお茶をそっとハインツの前に移動させる。ハインツは微笑んだまま黙ってそれを引き寄せ、ゆっくりと緊張するエリーゼを見て笑いながら口をつけた。


「……うむ」

「……もう! 早く言ってよ。もー!」


 もったいぶって目を閉じて、意味ありげに頷いたりしているハインツがもどかしく肩をたたいて促すエリーゼ。


「ははははっ。落ち着け落ち着け。んんっ」


 ハインツはそれを吹き飛ばすように笑ってから、また重々しい顔になってわざとらしく咳ばらいをした。


「うむっ……美味いよ。だいぶ成長したな。これなら普通に、休みの日に飲みたいくらいだ」

「! やった! えへへ、私も飲むね」


 ハインツの言葉に飛び上がってしまいそうなくらい嬉しかったが、本当にそうすると子供っぽすぎるので我慢して自分の分のカップを傾けた。


「ん……んー? まだちょっと苦くない?」

「そうか? 俺はそのくらいでいいが。エリーゼはおこちゃまの舌だからなぁ」

「そ、そんなことないけど。でも、ハインツ様が好きなら、この味覚えておくわね」

「ん、おう。そうしてくれ」


 にっと笑ったハインツに、またときめいて、将来結婚したらお休みの日にこのお茶を淹れるのだなとか、そんなことを考えてしまう。

 そうして今回も幸せな気持ちになって、ベールのことは途中からすっかり忘れて過ごしてしまうのだった。


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