第34話 サラの荒療治

 エリーゼがハインツに顔をみせよう、と決めてから、エリーゼの動きは早かった。そう、迷わずサラに連絡し、顔を見せる練習をすることにしたのだ。


「私はいいけど、まだ見せてなかったのね。あれから二か月近くたっているのに、結局何の進展もしていないなんて」

「な、なにもってことはないわよ。サラが提案してくれたことは色々やったんだから」


 やることはやったぞ! と言う気持ちと、あと一緒になって色々考えてくれたのを無駄にしたわけではないぞ! と言う気持ちでそう抵抗するが、サラは呆れた表情のままだ。


「でもほぼすべて失敗だったんでしょう?」

「し、失敗と言うか。そもそも私がハインツ様の反応をみてもよくわからないと言うか……」

「そのあたりは、作戦をたてている段階で気が付いてほしかったわね」


 そう言ってカップを傾けるサラは、二度目のエリーゼの自室なのもあってくつろいだものだ。


「で?」

「ん?」

「いや、ん、じゃなくて。顔を人に見せる練習で呼んだのでしょう? 早くしないの?」

「あ、そうだったわね」


 あまりに着けているのになれすぎていて忘れていた。サラに促されて、ベールに手をかける。


「……」

「……もしかして、まだ恥ずかしいの? 前回、最後は普通にしていたじゃない」

「う。あの時は感覚がマヒしていて。でも、冷静に考えると、自分で脱いで見せるのはちょっと……」

「いやらしい言い方をしないでよ。顔を見せるだけじゃない」


 呆れたように言いながらも、サラは向かいの席からじっとエリーゼを見たまま動かない。

 前回騙されたのもあるので、できるなら顔をそらしてほしいくらいのだけど。とはいえ、いつまでもそんな甘えたことを言ってられないのもわかってはいるのだ。


「……、あの、ベール、あげてみてくれない?」

「あら? この間は嫌がっていたじゃない」

「そうだけど、どうせ見られるなら、見られていて、私もちゃんと目を開けた状態で、ベールを取ること自体にもなれなきゃいけないと思って」


 思いつきだが、よく考えたらハインツに顔を見せると言うことは、ハインツの前でベールを取ると言うことだ。サラの前でもこれほど抵抗があるなら、ハインツの前で自分の手で、と言うのはハードルが高すぎる。

 ならどんなにエリーゼが恥ずかしくて固まっても、相手が勝手に動いてめくってくれる方が手っ取り早い。そしてそれを阻止しないことになれた方がいい。


 そう提案すると、サラはなるほどねぇと頷いてくれた。


「なるほど、意外とヘタレのあなたにはよい意見だと思うわ」

「そ、そう言う言い方はしないでほしいのだけど。とにかくそう言うことなの」

「いいわよ。面白そうだもの。ふふ」


 サラはにんまりとどこか悪戯っぽく笑うと、ゆっくり立ち上がり、エリーゼの隣に立つ。口元を隠した扇をぱちりと閉じて、ゆっくりとおろす。


「ふふ」


 そして下からそよそよとベールをそよがせる様に仰いだ。もちろん、そんなくらいで裏返るわけがない。突然の風にも翻らないようにあつらえられているのだ。

 わざとじらして、微妙に嫌な感じの間をつくるサラ。早くしてほしいが、急かすのも思う壺な気がして黙って睨み付ける。


「……」

「ふふ。冗談じゃない。じゃあ、行くわよ」


 今度こそ扇子を卓上に置いたサラは、そっと両手で丁寧にベールをつまんだ。

 ごくり、と思わずつばを飲み込んで体は緊張してしまう。じらすようにゆっくりとベールの裾が持ち上がっていく。それを見るのは何とも言えない、恐怖にも似た感情が湧き上がってくる。


「っ」


 自分の意志とは関係なく、ベールがめくられる。それをじっと見ていると、自分が無力な存在になった気持ちになる。この心細いような気持ちはなんなのか、エリーゼ自身にもわからない。


「……」

「……はい、よく我慢できました」


 なんとか我慢できた。だけど羞恥で顔は端まで赤くなり、半分涙目になっている。じっとサラを睨み付ける。

 サラが悪いわけではなくむしろ頼んだわけだけど、にやにやとエリーゼを見ているサラの表情はからかいしかないので、つい睨んでしまうのだ。だが効果はない。


「ふふふ」

「な、何で笑うの?」

「いえ、可愛らしいのだもの。ねぇ、顔を見られるより、ベールを脱がされる練習をした方がいいのではなくて? 件のハインツ様にも同じように睨み付けるつもり?」

「そ、それはその……否定はできないけど。でもサラがにやにや笑っているから」

「こんな状況、笑わない方が無理だわ」

「う……」

「とりあえず、このまましばらくベールをとって、慣れたころにまたつけ外ししましょうか」

「……はい、じゃあそれでお願いします」


 こんなにも恥ずかしく、何もしてなくても疲れた。だけどそれでもサラは善意で言ってくれているのだ。それも実際にエリーゼの為になることなのだから、受け入れるしか選択肢はない。


 従順に頷いたエリーゼに、サラは満足げに頷いて、そのままベールをエリーゼの後頭部にひっかけて固定すると席に戻った。そして向かいから頬杖をついてにっこりほほ笑む。

 距離もできたことで、すこし落ち着いてくる。サラ自身にはすでに顔を見せているし、冷静になればさすがに顔をそらすほどの羞恥ではない。まだ平静ではいられないけれど。


「私も、こうしてあなたの顔を見るのになれてきたわ。あなたもそのうち、ベールを外しても少しは表情を取り繕う練習もした方がいいわよ。ハインツ様にはともかく、公の場ではさすがに恥ずかしいでしょう?」

「公の場? そんなところでベールを脱ぐつもりはないわよ」

「何言ってるのよ。普段は脱がなくても、絶対にベールを脱ぐ瞬間があるじゃない」

「?」

「式。普通の人もベールをつけて、あえて脱ぐ瞬間があるでしょう?」

「あ……」


 下がった体温がまた上がってくる。貴族の結婚式は基本的には同じ形式だ。宗教的伝統に乗っ取ったもので、かつて月の女神が太陽神に嫁入りした逸話を元になっており、女はベールをつけて影をまとって入場し、太陽神と誓いを交わすことでベールをはずし、光をまとうことになっている。

 いくら普段からベールを付けているエリーゼとはいえ、ベールの上からベールを重ねて、なんちゃって光をまとう。などと言うおちゃらけが許されるわけがない。


 つまり、最低でも二家族、そして普通なら他の親族や付き合いのある家からも大勢、なんなら顔をあわせたこともない人までいる中でベールを脱がなければならないのだ。

 ハインツをそんなたくさんの人の前でく、口づけをして、そして、顔をさらすのだ。


 は、恥ずかしい!! と言うか当たり前だけどハインツといずれキスをするのだ。それもまた、今のへなちょこ恋愛レベルのエリーゼには受け止められないほどの熱量になってしまう。


「あ、ああ……そ、そんなの死んじゃう」

「えぇ……じゃああれよね、口づけの練習もしたらいいんじゃないかしら」

「く、れ、練習するようなことじゃないでしょ!?」

「普通ならそうだけど。あなたの場合はいるんじゃないかしら」

「う……でも、そんな」

「まあそう難しく考えなくても、普通に口づけたいからすればいいんじゃないかしら。だって、好きなんでしょう? したくなるものなのじゃなくて?」

「そ、そんなこと」


 考えるだけで頭が沸騰しそうだ。だけど、もしハインツがしようと言ったら? 顔をよせて来たら? それは、まんざらでもないと言うか、むしろうれしいと言うか。でも心臓が考えただけでばくばくするし、やばい。死にそう。

 とエリーゼが混乱しながら、耳まで真っ赤になるのを見て、サラはほほほ、と声を出して笑い出す。


「ほほほほ。ほんとにあなた、恋をした途端に変わったわね。可愛いわよ」

「い、いじめないでよ」

「いじめてないわ。友情よ」


 そしてサラはにんまりと、本心から友情なのだとしても友情に思えないような意地の悪い笑みを浮かべた。

 以前から人をからかうところはあったけれど、ハインツの相談をしてからサラは絶好調だ。そうなるだろうと思ってはいても、他に選択肢のなかったエリーゼなので仕方ないけれど、他に貴族女性の友人のいない自分が憎い。

 いないことはないが、当たり障りないことしか言い合わない人しかないので、実質いないようなものだ。


「で、でも、私から口づけをねだるなんて、ちょっと、大胆すぎると言うか。はしたなくない?」

「まあお淑やかではないかもしれないけれど、別に悪いことではないでしょう? 好きならいいじゃない」

「す、好きだけど。だから相手が私を好きか知りたいのであって」

「だから、これではっきりするじゃない」


 サラの言葉はフラットだ。だからきっと、結婚する前に口づけなんて、と言うエリーゼの感覚の方がかたくて、アンナが言ったように全然口づけくらいありなのだろう。

 だけどじゃあそうなんだ、大丈夫だね! と簡単に価値観が変わるわけがない。エリーゼにとっては重大なことで、そんな簡単にしていいものではないのだ。


「うー、そうかもだけど、でもはっきりした結果が違ったら、こっちが思っていることは伝わるわけだし」


 侍女、アンナの意見もあって、顔を見せて気持ちを伝えようとは決めていた。具体的にいつではないし、言い方も方法も未定だが、その気はあったのだ。


 だが口づけ込みとなると、それを断られた時のダメージがただの告白の比ではない。ただエリーゼがハインツを好きなだけではなく、結婚前でも口づけたいと思うくらい好きなのが分かってしまう。それが恥ずかしくてたまらない。相手が同じ気持ちならまだいいだろう。

 だけどそうではなかったら? 恥ずかしいだけではなく、そこまでとなるとさすがに気まずくて、ハインツも今まで通りでいられないかもしれないではないか。


 気持ちを伝えるとは言っても、恋愛感情も込みで見ている、くらいのやんわりした感じのつもりだったのに。サラの提案するやり方は捨て身すぎる。

 確かにお互いの勘違いやすれ違い、うやむやで終わる。なんて危惧はなく一回ではっきりするだろうけども。


「伝わって、何が問題があるの?」

「……距離を置かれたら、寂しいわ」

「ふぷ。だ、大丈夫よ。それに、じゃあわからないまま、曖昧なままでいるの? 曖昧で、なあなあで、どっちつかずででも仲だけはいい性別を超えた関係の、今のままで結婚していくの?」

「……それは、嫌」


 ハインツが好きだ。それはもう、誤魔化したりできない。だから一生このままなんて、絶対嫌。ハインツと同じように思いあいたい。

 だってこのまま、本当にハインツが自分だけといるならいい。だけど恋をしていないなら、結婚をしても他に誰かを愛する可能性があると言うことではないか。

 そんなのは絶対に嫌だ。なら、怖くても、恐ろしくても、今しかないかもしれない。今なら、絶対に無理なら、まだぎりぎり、無理やりで悪評が残るのを我慢すれば別れられなくもないのだから。


 まだ婚約届を出しただけで、外への公表は少ない。まだ親族位だ。なら取り返しはきかないけど、ハインツをはなしてあげることはできる。


「じゃあ、少なくともエリィにはそれくらいしか選択肢はないんじゃないかしら?」


 サラの追い打ちに、エリーゼは唇を内側に噛んでから、ゆっくりとそれを突き出した。サラの言う通りだ。結局何も思いつかないし、思いついてもそれを実践できないなら同じだ。


「……わかった。わかったわよ。言われたとおりにすればいいんでしょ。……でも、その、すぐできるとは言ってないから」

「んふっ。いいわよ。それまで何度でも練習相手になってあげる」


 でも私がおばあちゃんになるまでにお願いね、と指を振って言うサラに、そんなにかかるわけないでしょ。とその手を取って答えた。

 一応予防線をはったが、それでもできるだけ早くしよう。と心に決めて、そして口づけをねだるその事実に、改めて真っ赤になりながら、エリーゼはそう心に決めた。

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