第18話 将来
三回目のデートが終わってからすぐに、ハインツから手紙が届いた。当日に出したようだ。
内容は、次回のデートについて。弓具について競技用の専用のものを買うのはどうか、と言うものだった。
今回借りたのもそうだったけれど、狩りにつかう殺傷度の高いものではなく、競技用しかうたせてもらえなさそうだ。正直に言えば不満はあるが、しかし無理強いしても仕方ない。
的当てだけでも十分楽しいし、自分専用のもので真剣にはげめると言うならいいかもしれない。
それに競技用としてならこうしてエリーゼとして堂々とできるのなら、それはそれとしてありだ。剣術はエリックとしてしかできなくて、もちろん楽しかったけど、剣が好きだなんてエリーゼは口に出すこともできなかった。そう思えばあえて競技に全振りするのも悪くないだろう。
「アンナ、返事をお願い」
「はい。かしこまりました。では用意いたしますね」
アンナが書き出せるよう席について準備をする。部屋に備え付けの壁向きの机だ。口頭で伝えきってから別室で書いてもらうなんて面倒くさいので、いつもこうしてその場で書いてもらっている。
どんな内容にするかまだ決めかねていたので、考えをまとめるのもかねて立ち上がり、まずは冒頭の挨拶を言いながら何気なくアンナの背後にたつ。
美しい文字でスラスラと記載されていく。顔をあげたあんなに無言で先を促されたので、とりあえず本題である競技用の弓にはOKをだす。
「えっと、次は弓が競技用なのは了解したし、楽しみにしてるって書いてくれる?」
「はい」
アンリのペンが動き出す。エリーゼが適当に言った言葉を、貴族言葉として綺麗に遠回りな感じの言い回しにして書いてくれる。
「次は希望日を適当に書いておいて」
「はい」
エリーゼの予定に関してはアンリの方が詳しい位なので任せる。そして、これだけで終わらせるのはそっけなさすぎるし、一枚で終わるのは失意と言う風潮もあるのでもう少し膨らませたいところだ。
「うーん。あと、この間もハインツの家で、次回もハインツのお誘いなんだけど、順番で言うと本当はこっちがお礼の番なのよね。どうすればいいと思う?」
「昼食はこちらが用意していましたし、それでいいのでは?」
「うーん。でも別に、ハインツの反応も普通だったし。多分弓も買ってくれる流れになりそうじゃない?」
「そうですね」
もちろん普通にエリーゼが買ってもいい。お金は普通に自由にできる範囲でそれなりにある。だがハインツから誘ってきているし、おそらくそうはならないだろう。
「では無理に逢瀬の間にお礼とは考えずに、刺繍をしたハンカチなど用意すればいいのではないですか? ハンカチは何枚あってもいいでしょうし。定番で相手の家紋を入れておけばいいでしょう」
「あー、でも刺繍苦手だし。それに家紋入れた刺繍のハンカチって、かなり親しい間柄でつくるものでしょう?」
「お見合いして、何度会っていると思ってるんですか? そのくらいいいでしょう」
「うーん」
一応、恋人に限ったアイテムではない。遠縁や血のつながりが無くてもそれなりに親交のある間柄ならありだ。だがエリーゼはしたことがないし、同じ年頃の男女となるとやはりそう言う関係だと詮索されやすい物にはなる。
が確かに、お見合い相手なので対外的にはそう言う相手なので、おかしくはない。無難ともいえる。破談になったからと言って捨てなきゃとなるような重さでもない。
「……じゃあ、しようかな。あ、希望日、余裕持たせておいてね」
「もとより、最短でも10日後になりますから、余裕でしょう?」
「え、いや。家紋って複雑だし、長いこと刺繍なんてしていないし、失敗したりしないよう練習することも考えると、一か月はほしい……駄目?」
「大丈夫です。久しぶりに私が教えて差し上げますから」
「……はい」
スパルタが決定してしまったし、おそらくしばらく遊びの時間はない。まだ来ていないが、またエリックとしてハインツと遊びに行こうと思っていたのに。
がっくりきたエリーゼだが、しかし以前ハインツは、エリックに対していずれ狩りにと言ってくれていた。もしそうならどちらにしよ時間がかかるので、エリックとしてそう連絡しておけば不自然さもないだろう。
「あと私も手紙を書くから、それも出してきてくれる?」
「ああ、エリック様分ですね。かまいませんけど、いつもどなたと文通されているんですか?」
「え? べ、別に、普通に街での友達だけど?」
焦りを隠してとぼけるエリーゼに、アンリは特に相手を探っているつもりはないのか、不思議がることはなく相槌をうつ。
「それはわかっています。ですけど、例えば男性なら、あまり好ましいことではありませんよね。いくら相手が同性と考えているとしたって、こうも頻繁にやり取りされるのはさすがにどうでしょう。まさか、そのお相手が気になっていらっしゃると言うことはありませんよね?」
「ないって」
そう言う心配をされているのか、と安心しながら軽く笑いながら否定する。アンリは笑わずに真面目な顔で頷いた。
「では女性ですか? だとしたら、お相手はあなたを異性として意識しているのかもしれません。なのにこうして連絡をとって期待を持たせるのも残酷な話です」
「いや、男性だからそれは大丈夫」
「そうですか……では、この手紙のやり取りができるのはあくまで婚約が決まるまで、と言うのはもちろん理解されていると思います、たとえ友情であったとして、そのように頻繁に手紙のやり取りをしている相手が急に連絡をたてば、どのように思うでしょうね」
「……」
「手紙が悪いわけではありません。ですが、この頻度では怪しまれてもしかたないことです。最近始められたことですし、はしゃいでおられるのはわかりますが、少しずつ、減らしていくのがいいでしょう」
「……はい」
言っていることは、間違っていない。エリーゼだってわかっている。エリックが存在できるのは今だけだ。手紙のやり取りが許されたって、結婚すれば年に一度がいいところだろう。今みたいに頻繁に、まして会うなんてできるはずがないのだ。
それはわかっていても考えるだけで憂鬱になってしまう。だからできるだけ考えたくない。とにかくハインツのことは、そうなったらなった時に考えればいい。
そうエリーゼは表面だけ素直に反省しているふりをしながら、ハインツへのエリックとしての手紙の内容を考えていた。
○
「入るわよ」
「お母様。またからかいに来られたのですか?」
「今しか見られない珍しい姿だもの」
刺繍の練習を始めてすぐにも、フローラはこうしてわざわざエリーゼの様子を見にやってきた。しかし二日と空けずにまた見に来るなんて。
エリーゼの自室での練習なので、わざわざ来なければ見えるものではない。やっているのが伝わっているのはわかっているけど、わざわざ見て面白いものではない。
なのにこうして訪ねてきて、向かいの席に着きお茶の用意までしている。
「今しかって、前にも刺繍の練習はしてましたよ」
「その練習の先に、edc殿方の家紋を縫うのだもの。前とは違うわ。それに、ベールをつけないあなたの顔も久しぶりだしね」
「……恥ずかしいけど、気にしないようにしていたのに。やめてくださいよ」
「なぁによ。家族なんだからいいじゃないの」
そう言うフローラは、あえて扇子は開かないまま行儀悪く机に肘をついてにやりと笑って見せた。
今はプライベートの砕けた時間だと示すわかりやすい態度に、エリーゼは肩をすくめながら頷く。
「そうですけど、ずっと見せてなかったのですから、改めて見られると恥ずかしいのです。お母様の基準で言うなら、浴場を共にするようなものです」
「それだって、父親か、同性の友人程度で抵抗があるならともかく、私はあなたの母親なのだからおかしなことはないでしょうが。全く、あなたは本当に、おかしな子ね」
そう言うフローラは呆れたようにも笑っていて、昔から変わらない、仕方ないなといつだって許してくれたそんな顔をしていた。
エリーゼが街に出て、ベールを脱ぐどころではないことをしていることも、知ってはいるのだ。そのうえで自由にしてくれている母に、感謝している。
わかっててそれを突っ込まないのも、いつもお小言ばかり言うのも、全部母の優しさだとわかっている。だからエリーゼは母親が好きだ。だからいつか母の言う様に結婚して家を繋いでいくことだって抵抗はない。
そう思っているけど、それを素直に態度に出せるほど、エリーゼの心はまだ大人になり切っていなかった。
「変わっているのは自覚してますけど、そんなこと言ったら、お母様だって十分おかしな人ではないですか」
「ふふ。生意気なことばかり言っていると、愛しのカールハインツ君に嫌われるわよ」
「いっ、へ、変なこと言わないでください」
「はいはい。黙るわ。だから手元から目を離さないの」
愛しの、などと言われて指先を刺してしまったエリーゼの恨めし気な目にすら、フローラは余裕気に微笑ましそうに微笑んでそう言った。
いやそこは、むしろ針を持っている相手をからかう自分を反省してほしい。と思うエリーゼだった。
そうしてからかわれながらも、何とか渡しても恥ずかしくない出来栄えのお礼の品ができた。興がのったのでついでに家族の分もつくろうとしたのだが、結局父親の分だけで飽きてしまった。
だけど父親は昔練習した課題作をあげたのと同じように喜んでくれたので、エリーゼもまんざらではなく嬉しくなった。
そして改めて、家族が好きだし、もっとこの家を盛り上げられるような人と結婚したいな、と思った。
ハインツを一方的に振り回したせいか、まだしばらく付き合ってもらう、みたいに言われたけれど、弓を習得する頃にはハインツも飽きるだろうから、そうなったら今度は真面目にお見合いしないとな。とエリーゼは少しだけ前向きに将来のことを考える気持ちになっていた。
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