第42話 腕輪

 そして机の上に腕輪だけを並べてもらい選んでいった。最終的にはシンプルでどんな服装にも合う無難なものになったが、特に女性の場合は服装に合わせて手袋も変えるため、ずっとつけるには特徴的なものは不適格なので仕方ない。


 シンプルで細めのバングルで、円ではなく輪切りにすると台形になる形だ。表面には細かな模様があり、裏の手首側にお互いの名前を彫ってもらうタイプだ。

 正直に言うと名前を彫るのは直球過ぎて気恥ずかしいエリーゼだったが、ハインツがのりのりだったし、これはこれで恋人らしいので渋々のふりをして了承した。


 そして座りっぱなしだったとはいえあれこれ試着したりたくさん見比べたりして脳みそを使った分疲れもあるので、とりあえず近場の喫茶店に入って個室を借りた。

 席に着き、飲み物を飲みながらハインツは機嫌よさげに表情を明るくした。


「次回会う時には出来上がっているはずだから渡すな」

「うん。お願い。料金だけど、その時に言ってね。私に言うのが嫌なら、侍女に言ってくれてもいいけど」


 あまり金額を直接聞かれるのは嫌と言うのもあるだろうと思い、エリーゼはそう配慮した。高価な宝石をたくさん使っているわけでもないし、おそらくエリーゼの個人財産だけでも大丈夫だろう。


「……お前ほんとに、少年だっただけで、男心全然わかってねぇな」

「えー?」

「こういうもんくらい、出させろ」

「いやでも、私だってハインツに贈りたいんだもん」


 エリーゼは別に男になりたかったわけでもないし、男心を意識したことはない。なので男心が分からないと言われても、でしょうね。としか思わない。

 それより、プレゼントしたいと言う男心を理解しろと言うなら、それこそエリーゼもプレゼントしたいと言う気持ちも理解してほしいものだ。 


 そんなエリーゼのジト目に、ハインツは頭を搔きながら応える。


「気持ちは嬉しいが、だったら別のものくれよ。そうそう。前のハンカチとか、嬉しかったなー」

「えー……あれでいいならするけどさぁ」


 露骨にリクエストされたが、悪い気はしない。刺繍は積極的にやりたいほど好きなわけではないが、嫌いと言うほどでもない。そこまで喜んでくれたなら普通に嬉しいしやる気もでる。


「前と同じハインツ様の家紋でいいの? 好きな模様とかでもいいけど」

「そうだな。それもいいが、まだ数もらってないしな。しばらくは家紋だな。それから肌着にも頼む」

「……わ、わかったわ」


 乗り気になった気持ちが一気に下がるが、仕方ないことなので頷きはした。したがエリーゼは憂鬱な気持ちになった。

 今まで考えていなかったが、公の場での男性の正装には必ず家族が家紋を刺繍したシャツを上着の下に着用するのが習わしだ。

 だからハンカチへの刺繍もそれに類似して、親しい間柄でと言うのが一般的なのだ。しかし今後の関係を考えれば、ハインツが身に着ける衣類全てに刺繍しなければならないのだ。

 とりあえず一枚あれば急場はしのげるし、急ぎではないとはいえ、強制的にやらなければならないノルマがそれだけ大量にあるのだと思うと、非常にやる気が出ない。


「ん? おい、その嫌そうな顔どうした。そんなに手間なのか? 刺繍と言っても上着の下の肌着で基本は見えないし、小さいものを3着も入れてくれれば十分だが、嫌ならとりあえず1着でもいいぞ」

「え、ほんとに? 最終的には公式用だけじゃなくて、普段の肌着はもちろん、下着や靴下、上着の裏地にまで家紋以外にも名前とかいろいろつけさせられるんじゃ?」

「は? そこまでしてるやついないだろ、普通。いや、したいならとめないが、どれだけ俺のこと好きなんだよ」

「え、そうなの? えー、あー。じゃあ。いいか。3着ね。後で渡しておいて」


 両親がそれが当たり前なので、手っきりそれが貴族のスタンダードだと思い込んでいたエリーゼは不思議そうにハインツに言われて理解した。あ、あれただ両親が仲が良すぎるだけだったのか、と。

 あの気の強い母は父にもいつも強気な態度で、ほんとに私のことが大好きなんだから仕方ないわね。みたいな態度なのだけど、母も相応だったらしい。

 そこまでしなくていいのは助かったが、両親が過剰にラブラブカップルだったのだと知らされて微妙な気分だ。


「あ、ああ。いや、3着はあくまで面倒なら、であって、できれば最終的には季節もあるし、10着くらいはして欲しいんだが」

「んー。まあ急ぎではないし、そのくらいなら。私だって、ハインツ様に他の人の刺繍を着てほしいわけじゃないしね。ゆっくりしてもとりあえず次回には一着は渡せると思うわ。一度にたくさん渡されても困るから、とりあえず今の季節物分だけお願い」

「お! そうか。それはうん。ありがたいな。じゃあ用意させておく」


 やや慌てた様子で訂正したハインツは、エリーゼがのんびりと肯定するのに安心したように笑顔で頷いた。

 さすがにエリーゼだって本当に生涯3着でいいとは思っていない。10着だって、一年着られるとはいえ何年も着れば痛むのだから、数年ごとに新しくするだろうとわかっている。さすがにそこまで心配されるのは心外だ。


「ハインツ様、心配しすぎ。私だって、ちゃんと奥さんするつもりなんだからね」

「お、おう。大丈夫だ。わかってる。その、おれもちゃんとするから」

「……う、うん」


 言ってから、ちゃんと奥さんするってなんだ。と自分で恥ずかしくなったエリーゼだったが、ハインツも照れ気味なのでよしとする。

 カップを空にして気持ちを切り替えてから目を合わせる。


「……」


 まだお互いに少し照れがあって、見つめあった状態ではにかみあってしまった。そしてその行動そのものが、いかにも恋人っぽくて、余計照れくさくなってしまった。


「んんっ。あー、それでだな、先に付き合ってもらったからな。今からでよければ、希望があるならそこに行こうか?」

「んー。そう、ね。じゃあ前に行ったカードとかいろいろできるお店は?」

「いいけど、そんなんでいいのか? それこそ、剣でも見に行きたいと言うかと思ったが」

「それはまぁ、見たいけど。でも実際に買ってもそれほど使う機会があるわけではないし。ハインツ様と楽しめる方がいいかなって」


 欲しいことは欲しいので、もらったら大喜びするけれど、実際使い道があるかと言われるとない。練習で使うには危ないし、それになれていないからきっと重くてつかいにくい。実践するならそれに慣れていく必要もあるが、狩りはもちろん戦闘での実践なんて予定は皆無だ。

 チャンバラごっこは好きだし、怪我をするくらい日常茶飯事だが、流血を伴う殺傷行為は普通に怖い。


 手に入れたところで飾って毎日手入れしてにやにやするくらいしかない。いずれは欲しいが、急ぐわけではない。むしろじっくり時間をかけて悩みたい。

 と言うことでここはハインツと普通に遊びたい。意識しすぎてちょっとぎくしゃくしているのもあるし、あえて以前と同じことをすることで落ち着きたいのだ。


「そうか。まあそれほどと言うか、使う機会は一生ないがな」

「わ、わかってるけどあえて念押しする必要ないでしょ」

「俺でも基本ないからな。振れるように練習で一応使うが、戦争でも起こらない限り対人ではつかわないしな」

「ね。それはともかく、いいでしょ? カードで」

「おう。そうだな。前回は勝ちを譲ってやったしな」

「やだ、ハインツ様記憶なくしたの?」


 軽口をたたきながら店を移動する。お店とお店の間は馬車の停車場の位置関係上、歩いた方が早いので徒歩移動だ。

 あまりぞろぞろ連れて歩くのは、貴族が利用する場所でも目立つので控えてもらい、ハインツにエスコートされる形で行くことにする。


「しかし、こうして街中を歩いていると、やっぱり少しだけ違う感じだな」

「そう、ね。確かに、恋人のハインツ様と街を歩くのは、少し違う気分だわ。でも、今くらいはそれも悪くないかもね」


 今は緊張してしまうけれど、いずれなれてハインツと恋人として隣にいるのが当たり前になれば、以前友人だった時のように気負わずにいられるのかもしれない。

 だったら、こんなに疲れるくらいにドギマギするのも今だけなら、それを楽しみたい。ハインツと一緒にいることで感じるすべてを大事にしたい。

 さすがに今の言葉につまるほどは困るけど、それはきっと今日たくさん話をしていればなれるだろう。


「今くらいってなんだよ。俺はお前とずっと一緒にいる気なんだが?」

「え? いえ、そうではなくて……ずっと一緒にいれば、以前のように気安くもなるかなって」

「ああ、そうか……ああ、そうだな、うん」


 声音だけむっとして、そのあと気まずそうにうなずくハインツだけど、外なので表情がずっと変わらないのでちょっと気持ち悪いな、とエリーゼは思って少しだけ早く足を動かした。


 そうしてお店についたので前回と同様に個室に移動して席に着いた。

 以前したのと同じもので一通り遊び、新作だと言う別の異国のボードゲームも紹介してもらってああだこうだと試行錯誤しながら遊んだ。


 そうして夢中になっていると恋人なんてことは忘れてはしゃげるのだけど、ふいに手が触れたり、思ったより近くで見つめあったりすると気まずくて、数秒無言になってしまったりした。


 だけどそれも何度も繰り返すと、その気まずさもお互い一緒に味わっているのだと思うと、何とも言えない気持ちになってしまう。

 何も言えない、何もできない、ただ馬鹿みたいに思考停止してしまう。そんな状態なのに何故か心地よさすらあって、今、ハインツとすぐ傍に居るだけではなくて、思いも寄り添っているのだと感じられた。


「それじゃあ、エリーゼ、またな」

「うん。また」


 だから時間になって別れ際になった頃もまだ、全く以前と同じではなくてドキドキしてしまうけど、それでもその全部が楽しくて幸せだなって思えるようになっていた。

 まだあと何回かはこうなってしまうのかもしれないけど、それでもきっとそれも、いつかい思い出になるんだろうと思った。


 そして人気の少ないひらけた場所で馬車を呼び寄せ、平和に別れようとしたその時だ。


「あ、そうそう、エリーゼ」

「え、な、なに?」


 馬車に乗り込むエリーゼを追いかけ、三歩駆け寄るようにして急に距離を詰めてきたハインツ。思わずときめき避け思想になってしまうけれど、それも受け止める心境になっているエリーゼはなんとかこらえた。

 手をのばさなくても上げただけでぶつかりそうな距離で、にっと笑ったハインツはさっと右手をあげ


「えっ? なに?」


 嫌な予感がしたエリーゼは思わず上体をひねりながら左足を引いて頭を下げて避けた。


「ちっ」


 ハインツが舌打ちするのが眼に入り、反射的に右足に力を込めて後ろに飛び退る。追いかけるように前に踏み込んだハインツを見て、今度は左足に力を込めてハインツの右手の外へ向かって飛び込む。そして右手でハインツの右ひじを押し込むようにして背中側にまわる。

 しかしハインツもわかっていたのか左手でエリーゼの右手首をつかみ、右ひざを曲げながら軸にして、左足でエリーゼを追いかけるようにしてエリーゼを横から軽く抱きしめる。


「わっ!? な、なにするの!?」

「あ。いや、つい。さすがにここまでする気はなかったんだが」


 軽くとはいえエリーゼとしては経験のないほどの接触だ。少なくともハインツからはない。その突然の抱擁に思わず全身が固まり抵抗できなくなり、その勢いでぎゅっと抱きしめられ、声をあげた。

 そのエリーゼの反応に、ハインツもはっとしたように離れた。その顔は気まずそうだが、いや、そもそもなぜ仕掛けてきたのか。


「な、なに、そもそも、なにしようとしたの?」

「いや、普通にベールをちらっと脱がそうかと」

「え!? な、なんで!? 変態!」

「いやなんでだよ。この間言っただろ? 脱がそうとするって」

「え、えぇ。あれ有効なの? しかもこんな、外で。正気? 信じられない。変態すぎ」


 確かにそんな会話をしたけれど、でもあれはお互いに勢いで言ってしまったものであって、それを言ったらエリーゼだって一生ベール脱がないと言ってしまっているけど、それは全然本気ではない。それはハインツもわかっていたと思っていたのに。

 あきれ顔になってしまうエリーゼに、離した勢いで大股一歩くらい離れたハインツは頭をかく。


「お前、顔見せるのはそんな大層なことじゃないからな。誰もこっち見てないし、この状況ですら顔見せられないなら式なんて無理だろ。その為の練習兼ねてだろ?」

「え、本気でこんなこと続けるつもりなの? 二人きりの時に練習していくのじゃ駄目なの?」

「駄目じゃあないが、それだと時間もかかるし、何より……とにかく、今日は諦めるが、次回はめくるからな」

「じょ、冗談はやめてよ、もう。とにかく今日は帰るからね!」

「ああ、また連絡する」


 確かにいつできるかわからない状況なのは否定できない。分が悪いのでなんとか切り上げるが、ハインツは全く悪びれずに軽く手を振った。

 侍女の手を借りて乗り込み、窓からそれを見ながらエリーゼは睨み付けるが、さすがに窓とベールのダブル越しでは全く伝わらない。

 せめてもの抵抗にわかりやすく顔をそらしてハインツを見るのをやめ、エリーゼはくいっとベールを下に引く。


「……はあ」


 そうしてずれてもいないことを確認してからため息をついた。

 ハインツになら見られても嫌ではないし、いずれは人前で脱げるのを目標として練習したい気持ちはある。あるけれど、そんなに急がれるとびびってしまう。

 一般的に見てエリーゼが悪いのはわかっているけど、もう少しくらい猶予をくれてもいいのに。と思ってしまうのは甘えだろうか。


「うー……」

「エリーゼ様? そんなにお嫌なら、私から抗議しておきましょうか? いくらベールとはいえ、仮にも淑女の衣類を気安く脱がそうとするのは問題ですから可能ですよ?」


 頭をかかえたエリーゼに、一緒に乗っている侍女のアンナがそう提案してくれた。

 ずっと一緒にいるからこそ、ベールを脱ぐのが恥ずかしいと言う変人と言われてもおかしくないエリーゼの気持ちをわかってくれて、そう理解をしめてくれるのだ。とてもありがたい。


「……とりあえず、だけど」

「はい」

「次回は、私の部屋で会うことにしておいて」

「……かしこまりました」


 ありがたいけど、うん。そうではないのだ。

 エリーゼは顔を俯いて隠しながらそう言い、呆れ声のアンリの返事にその姿勢のまま家まで帰った。


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