第41話 最初の贈り物
思いを伝えあい、そして何故か最後は取っ組み合いの鬼ごっこをした日からしばらくして。正式に婚約者であり純粋に思いあう恋人であることを自覚してから初めてのデートの日である。
「うーん」
「こちらはいかがですか?」
「うーん。でもなぁ」
「いい加減にしてください。何時間悩まれるつもりですか」
「何時間は大げさ……え、もう一時間もたってるの? え? もう出るまで30分もないじゃない!」
「ですから急いでいるのです」
昨日までも悩んでいたのだが、予定していた服を今日見ると、すごくいい天気なのでもう少し明るい色味がいいのでは? と言う気になって見直していたら予想以上に時間を食ってしまった。
その後、仕方ないので昨日選んでおいた衣服で身支度を整えたエリーゼは急いで出発をした。
そして待ち合わせ場所にたどり着く際に馬車の窓から外を見ていると、先に着て待っていたハインツと目が合った。微笑んで小さく手を振ってくれるハインツにドキドキしながら手を振り返し、馬車が止まったのを待って降りる。
先に降りた侍女について降りようとして、前にハインツが来て手を差し伸べてくれた。
「おはよう、エリーゼ。さ、おいで」
「お、おはようございます、ハインツ様」
馬車を停車させている間に移動してきたのだろうけど、動きがスマートすぎる。この色男め。と意味なく心の中でののしりながら手を取り降りる。
きゅっと握られる些細な動きでドキドキしてしまう。婚約者だけではなく、恋人でもあるのだ。恋人になって初手繫ぎ。と余計なことを考えてますます緊張してぎこちなくなるエリーゼに、ハインツはにっこり笑顔を向ける。
「今日は俺の買い物に付き合ってもらって悪いな」
「そ、それは全然、構わないわ」
ハインツが買いたいものがあると言うことで、それに付き合う形になっている。
エリーゼとしては今回の街中へのデートは助かった。何故ならまた二人きりになろうものならどうなってしまうのか、まだまだ心の準備ができていないからだ。
前回はあのテンションのまま、ベールをとらないと言い張った状態で別れてしまっている。なので人目がない場所ではもしかすると本気でハインツが無理にベールを脱がそうとしてくる可能性がある。
別に、冷静になればベールを取るのも、キスも駄目ではないのだ。ただ心の準備をしてゆっくり丁寧に物事を運んでほしいだけだ。だから改めて、ベールを取って顔が見たいと言うならやぶさかではない。
ではないけれど、やっぱりあの勢いでキスされたのは許せない。あんな初めてのキスはやっぱりないだろう。思い出すだけで恥ずかしいし、一回ちゃんと謝ってほしい。
まだ胸の中がぐるぐるする。ハインツと離れていれば冷静で、前回の態度を謝ろうとか、もう少し殊勝な態度をとるべきだったとか、女の子らしくいたいとか、そう言う風に考えていられたのに。
ハインツを前にすると、全然冷静ではいられない。あの時の感覚が、感情が、全てよみがえってきて熱い。
「エリーゼ? おい、手足の動きがおかしいぞ?」
「き、緊張して」
「それはまあ、俺もだが。いくらなんでも、ぎこちなさすぎないか?」
「う、うるさい。ハインツ様のせいよ。前回あんなことしておいて」
「それは、まあそうなんだが」
話している内容や口調はいつも通りだが、外で一応人目もあるのでハインツの表情は取り繕われた貴族的な笑みを張り付けられている。器用なものだ。
そう言うところはちょっと憎らしくもあるのだけど、頼もしくも思ってしまうのは惚れた弱みなのだろうか。
「あの、それで、どこに行くの?」
「ああ。ちょっとな」
「内緒? もしかして、剣を買ってくれるとか?」
気恥ずかしさを誤魔化すようにそう話題をかえると、意味ありげな物言いにエリーゼは目を輝かせる。もしそうなら許してしまうかもしれない。
「……あのな、何で最初の贈り物がそれになるんだよ」
「えー? 最初の贈り物は弓だったじゃない。嬉しかったけど?」
「あー……あれはまあ、婚約もしてなかったからいいんだよ。とにかく、まあ……お前に贈り物をするってのは正解だ」
「え、そ、そうなの……ぇへへ」
呆れた声音でそう言われたけれど、弓からの流れでそうかと思っただけだ。ハインツから恋人としてプレゼントをしてもらえるなら、それだけで嬉しい。剣でなくたって、なんならそこらで拾った綺麗な石だっていい。
「じゃあ、お店に着くまでの楽しみにしておくわ」
「おう。そうしろ」
ハインツを顔を見合わせて笑顔になる。それだけでなんとなく幸せな気持ちになる。
ハインツと一緒にいると、ドキドキして苦しくて、でも楽しくて嬉しい。隣にいるだけで何もしてないのに、こんなに温かい気持ちになる。
恋って楽しいなぁ。恋って素敵だなぁ。とエリーゼは思った。
ハインツと一緒に過ごす時間はエリックの時からいつだって楽しくて夢中になれた。だけどエリーゼとして恋人となって過ごす時間は、前よりもっと嬉しくなれる。変わらないはずのいろんなもの全部が、今までよりわくわくさせるような、世界がもっとカラフルになったような気持ちだ。
そんなふわふわした状態のエリーゼはご機嫌でハインツに連れられ、馬車の停車場から目的のお店へ向かった。
そして中に入って奥に通され、応接間のソファに座って店員が出てからようやくハインツに顔を寄せて話しかける。
「ねぇ、ハインツ様。ここ宝石店よね?」
「ああ」
「私、宝飾品も嫌いじゃないけど、そんないきなり高価なものをいただくのには抵抗があるのだけど」
「石より剣がいいってか?」
「馬鹿にしないでくれる? こう見えて私、結構色々集めてるんだから」
エリーゼは普段アクセサリーを身に着けないが、今日だってちゃんとそれなりのネックレスをつけている。
とはいえ、装飾品を身に着けること自体はあまり好きではないので、ほぼ同じものを使いまわしている。なのでそうは見られないが、数だけはそれなりに持っている方だったりする。
エリーゼは剣ももちろん好きだが、キラキラしたものだって好きなのだ。なのでコレクションするのだけはそれなりに好きだったりする。金額やデザイナーにこだわりはないので、総額ではそう高価ではないけれど、宝石に興味がないのだと思われるのは心外だ。
だがそれはそれとして、恋人になってすぐに宝石類をねだるのは別問題だ。そう言う目的だとか、すぐ貢がせようとするとか、そう言う風に人に思われたくない。
なのにいきなり宝石なんて。女は宝石さえ与えておけば喜ぶとでも思っているのだろうか。間違いとは言わないが、付き合っていきなり高価すぎるものは普通に引く。
「そうか。なら、揃いのものを贈ったら、ずっと身に着けてくれるか?」
「え? お、お揃い?」
「ああ。……そう言うのは、あんまり好きじゃないか?」
ハインツはそこで少しだけ微笑を消して、伺うように眉尻を落とした困り顔になる。そんなのは、話が別だ。
ハインツの今日初めての素の表情なのもあり、体温があがってきたエリーゼは口元がにやついてしまうのを堪えながら顔をそらす。
「そ、そう言うことなら、やぶさかではないけど。でも半分は私に出させてよ」
「いや、それはちょっと違うだろ」
「違わない」
「いや、俺がお前に、俺のものだって証を付けてほしいだけなんだから」
ハインツはそう真面目な、ちょっと怒ったようにすら見える顔でそうエリーゼの左手を握って言ったけれど、いや馬鹿なのか。
丁寧に説明しなくたって、そんなのはエリーゼもわかっている。関係の証明のなによりもわかりやすく雄弁なものだってわかっているのだ。だから今了承したのだ。そしてだからこそ、エリーゼも払いたいのだ。
どうしてハインツはそこがわからないのか。エリーゼはハインツがはっきり言ってくれることが嬉しくもあり、でも恥ずかしさもあって拗ねるように唇を尖らせる。
「……だから、私だって、そう言う証をハインツ様に着けてほしいって思ってるってことなの。わからない?」
「お、おう……」
エリーゼの返事にハインツはわかっているのかいないのかわからないような相槌をうって、完全に貴族らしさ0のにやけ顔になってエリーゼの手を離して頬を掻いた。
そんな表情も嫌いではない、どころかむしろエリーゼだからそんなだらしない顔をしているのかと思うけど可愛いくらいだけど。でもすぐに店の人も来るのだ。いつまでもそんな顔でいて、人に見せたくない。
「ちょっと、外なんだからにやにやしないで。もうすぐ店員さんも来るわよ」
「んん。わかってる。まあ、金額は後でな。とりあえず先に決めて俺が払う。いいな?」
「ん。わかったわ」
こう言ったお店はその場で現金で払うものではない。少なくとも使用人に清算させるものなのだ。店員の前でお金がどうだと言う話をするのはよろしくない。後日、金額を二人の時に清算させればいい。
エリーゼが素直に頷き、話が落ち着いたところで扉がノックされ、店員が入ってきた。
そしてどうやら事前にハインツがある程度話をつけていたらしく、迷わずに見やすいように卓上に並べていく。
持ってきてくれた宝石類は、腕輪、首飾り、指輪の三種類でまだまだ箱が控えてはいるが、これが今のところハインツの第一希望なのだろうか。
「まず形状な。可能な限り家でもずっと身に着けてほしいから、その場合どれがいいかわからなくてな。指輪は無難だが、手の感覚に干渉するから慣れるまで嫌がる可能性もあるからな。耳飾りは見えにくいからやめておいたが、欲しいなら次回別で贈るから今回は諦めろ」
「大丈夫。変な甘やかしはいらないから。でも、そうね。腕輪がいいかも知れないわ。これなら手袋のつけ外しでも外さずにいられるし」
「そうかそれもあったな。さすがに着替えとか入浴とか、常識的な時は外すものかと思ったが、つけてくれるならそれに越したことはない」
「え、ええ」
普通に本気で四六時中つけてほしいし、着替えとか物理的な時はともかく、入浴時もつけてほしいし自分もそのつもりだったエリーゼは相槌をうちながら話を流す。
「とりあえず、首飾りはつけると自分の視覚にずっと入らないし、肌で感じるものでもないからないかな。指輪もいいけど……どうせなら、一番大事な指輪はとっておきたい、かな」
指輪はこの国で最も古来から婚姻の証として扱われている。貴金属の宝飾品の価格が低下していき、庶民も使うようになってからは敷居はさがり、婚約者以前の関係でもお揃いでつける姿も珍しいものではなくなっているし、特定の指以外は普通にオシャレでつけても問題なくなっている。
だけどエリーゼは今までつけてこなかった。指輪もコレクションとして、一目で気に入ったので買ったものがあるが、自分でつけるより初めての指輪は特別なものがいいかな。と言う軽い気持ちでとっておいたのだ。
軽い気持ちが積み重なり今はとても重くなっているのだが、エリーゼにその自覚はない。
「そうか。じゃあやっぱり腕輪だな」
ハインツは特にそれを察することはなく、普通に頷いた。
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