第29話  親の心、子知らなさすぎ

「う……うーん」


 目が覚めた。本当に一睡もできなかったエリーゼは、朝食の後、シャワーを浴びて再度ベッドに入り、そのまま爆睡したのだ。


「ようやく起きたようね」

「!? お、お母様!?」


 心地の良いまどろみに寝返りをうちながら再度目を閉じるも、目の前から発せられた声に掛布団を吹き飛ばす勢いで起き上がった。

 エリーゼの部屋なのは間違いないのに、窓辺の丸テーブルに普通に母が座ってお茶を飲んでいた。さすがに寝ている時はベールを付けていないし、自室だとつけていない時の方が多いため手元にもない。

 慌てて顔を隠すように両手でおおって膝にうずくまるようにする。


「あなた、何をしているのよ。顔ならこの前も見たじゃない」

「ふ、不意打ちは恥ずかしいのっ」

「もう。そんなので、カールハインツ君にはちゃんと顔を見せられるのかしら」

「う……と言うか、お母様こそ何をしていらっしゃるのですか。こんなところで」


 ハインツに顔を見せるなんて、エリックとしてならともかくエリーゼとしてはまだ考えられない。分が悪いので話題を変える半分、本当に疑問なの半分で尋ねる。

 いくら親子とはいえ、寝ている私室に勝手に入ってくるなんてさすがに礼を欠いている。エリーゼだって常に親に敬意を払っているとは言えないかもしれないが、これはない。


 膝に鼻先を付ける状態で指の隙間からじっと見るエリーゼに、フローラはくすり、と扇子を広げないまま微笑む。どうやら今はプライベートモードらしい。

 周りをみると、いつもは室内で待機している侍女も誰もいない。人払いもとっくに済んでいるらしい。

 勝手に部屋に入ってきて、居間でするような淑女練習場を勝手に開かれても困るのでそれはいいけれど、相変わらずマイペースな人だ。


「一晩眠れなかったなんて、あなたにそんな可愛らしいところがあるなんて知らなかったわ」

「な、なんですか。私をからかいに来たのですか?」

「それはあるわね」

「出てってよぉ」

「他にも用事はあるわよ」


 せめてからかいを否定してほしいものだ。くすりと微笑んだフローラはゆったりとした動きで席を立ち、エリーゼのすぐ膝の横に腰を下ろした。

 ベッドが一瞬揺れて、膝が手の甲にあたって口元がおさえられ、うぷっと思わず声がもれた。ちらっとフローラを見るとにやにやしている。

 仕方ないので、開き直って手をおろすことにする。恥ずかしいけれど、母親であるのは事実なので開き直れば平気だ。


「で、用とはなんですか」

「婚約を進めるのは構わないけれど、やっぱり大事なことを確認しないわけにはいかないじゃない? だけど人がいるところでは聞けないからよ。母の気遣いに感謝してもよろしくてよ?」

「な、なんですか、大事なことって」

「あなた、カールハインツ君と関係を進めるのはいいけれど、エリックの時のことはちゃんと話はついているのよね?」

「……え? え、エリックとは、何のことでしょう」

「いやだわ、この子ったら。この私が、娘のしていることを把握していないわけないでしょう? 護衛を付けているのはわかっているでしょう? 街で会う人もちゃんと付き合って問題ない人物か調査しているわよ」

「……え? ぜ、全部知っているってこと!?」

「さすがに可哀想だから、私しか知らないわよ。護衛は特定だけで、調べるのは別の子だしね」

「……」


 ずっと自由にさせてもらっていたと思っていた。それが全て把握されていたなんて! いや自由と言うか、好き勝手していたのは事実で、見られていただけと言えばそうなのだけど。知られていないと思ったからよりのびのびしていた節はあるので、普通に恥ずかしい。

 再度両手で顔を隠して俯くエリーゼに、フローラはくすくす笑って頭を撫でてきた。


「安心しなさい。相手の確認くらいで、会話なんかはわからないわよ。もちろん何をしていたか、何を飲み食いしていたかは全てわかっているけど。あとはチャンバラごっこの戦歴くらいね」

「あああ、もうそれ全部でしょおぉ」

「なによ。別に邪魔したりしていないでしょう。あれだけ好きにさせてもらって文句があるの?」

「うぅ……ないけど、それならそうで言ってほしかった。ばれてないと思って派手にしてたし、恥ずかしい」


 ちらりと睨むと、フローラは手をおろしてくすっと笑って小さな子供を見るような顔になる。


「むしろ、把握されていないと思っている方が問題だと思うのだけど。仮にも貴族でご令嬢のあなたを、そんなに放置するわけないでしょう。事件に巻き込まれるとか、おかしな男にたぶらかされるとか、いくらだって心配事はあるのだから」

「う……」


 呆れた顔ではなく、優しい顔だけに胸に来る言葉だった。何にも考えておりませんでした。


「実際、困ったことは何もなかったでしょう? 問題が起こる前にすべて対処していたからよ。会う人も親しくしてくれる人もみんないい人で、楽しく過ごせたでしょう?」

「うう。はい。とっても楽しく過ごしておりました」

「私のお蔭よ」

「ありがとうございます……」


 言われてみたらその通りかもしれないけど、だから護衛はわかっていた。それでもすぐ目につかない範囲に怪しくない感じ

でついてくれていたので、ほぼ気にせず、人数もよく把握していないままだった。

 だからすっかり忘れる時すらあったし、普通にみんないい人ばかりで危機感もなかった。それすらフローラの配慮だった。有り難すぎて自分の子供さが恥ずかしい。


「……恥ずかしい。私、本当に子供だったのね」

「成人したばかりではそんなものよ。あなたが母親になって徐々に成長すればいいわ」

「お母様……」

「で、カールハインツ君は知っているのよね?」

「それは、はい……途中からバレてました。私は昨日それを知ったのですけど」

「途中から? 案外鈍いのね」

「え? バレる前提だったのですか? そんな、もし広まったら貴族としての面子といいますか」

「実際にしている子が何をいっているのかしら。あなたと仲がいいのならと信じました。それに、言ったところで信じる人がいるわけないでしょう? どこの世界に、貴族令嬢を男装させて野に放つ家があると言うのよ」

「えぇぇ……」


 放っている家の奥様が言っていいことではないと思うのだけど。と言うことは、少なくともフローラにとってはあえてハインツを選んでお見合いさせたと言うことだ。その心はどういうことだろう。

 フローラはにんまりと、悪戯っぽく微笑むとドン引きエリーゼの頭を撫でてくる。


「あの、お母様、それではあえてハインツ様を選んだと言うことですか? 私はあんなに悩んでいたのに、ひどいです」

「あら。あなたが猫をかぶらず気があう相手で、事実結婚したいとまで思わせる人を選んだ母に随分な物言いね。感謝するつもりはないのかしら?」

「う……ありがとうございます。でもその、結構博打だったと思います。結婚を選ばず、友情も破たんする可能性もあったと思います」

「どうせバレるなり、あなたが他の人とでも結婚すれば今の関係はなくなるのよ。なら、早いうちに決着する方がいいでしょう。親ごころです。とにかくお互いに全部わかって結婚したいなら話は分かりました。縁談をすすめるわね」

「……はい、お願いします」

「ふふ。いい子ね。でも本当に決まるかは五分五分だったもの。本当に、うまくいってよかったわ」

「お母様……」


 からかってくるとか、厳しいとか、そう言う文句をつい思ってしまうけれど、でもフローラが心からエリーゼを愛してくれるのはわかっていた。だけど改めてそれが伝わってきて、何だか目元がじんわりしてしまうエリーゼ。

 そんなエリーゼにフローラはくしゃくしゃと髪を混ぜるようにして頭を撫でてから、そっと両手を頬にずらしてそのまま頬を揉みだす。


「むも、あええくああい」

「ふふふ」


 フローラは手を離してそっとエリーゼの髪をなおす。その優しい手付きに、自作自演なのに優しさを感じてしまって目を細めてしまう。


「だけど結婚すると決めたのはいいけど、どうなのかしら? 子供を産む覚悟とかちゃんとできてのことよね? 昨日バレていると知ってすぐ決めたと言うことだけど、まさか友達だからいっか、と決めたわけではないでしょう?」

「こ、子供って……友達だからではないですけど、気が早すぎます……」


 まだエリーゼとして顔すら見せていないし、手を触れるだけでもドキドキしてしまうのに、なんてことを言うのか。成人していてもまだ子供と言ったばかりなのに。

 かーっと体温が上がって赤くなってしまうエリーゼに、フローラは手をおろして片手で口元を隠して、んふ、と含み笑いをする。


「んふふふ。まー、可愛いこと」

「か、からかわないでください」

「いいじゃない。からかっているけれど、大事なことだわ。家の為でも、恋をした相手と一緒になれるならそれに越したことはないでしょう」

「だから、せめてからかっているのは否定してよ……」

「恋、を否定しないのね。ふふふ。素敵じゃない。初恋でしょう?」

「う……まだ、はっきりと決まったわけじゃありません。ただ、ハインツ様といると前はただ楽しいだけだったのに、なんだかドキドキして、女の子扱いされたくて、私だけのものでいてほしいってだけです」


 苦し紛れにそう答えるエリーゼに、フローラは呆れたように息をつくと、ベッドに手をついてエリーゼに顔を寄せてごつんと軽く頭突きをした。


「それ以上何がないと恋と決められないのよ。お馬鹿にもほどがあるでしょう?」

「……わ、わかってますけどぉ。薄々わかってますけども! でも、こんな気持ち初めてで、恋って、認めるだけで死んじゃいそうなんですもの……」

「くふっ、ふ、ふふふ。ごめんなさい、ふふふ。もう、可愛いわねぇ」


 フローラは笑いながら状態をさらに倒し、エリーゼの膝にもたれるようにして顔を伏せる。さすがにそこまでの反応は、いくらプライベートモードの母でもめったに見ない。怒りより呆れてしまう。


「笑わないでください」

「まあまあ、じゃあゆっくり考えなさい。あ、それを考えて昨夜は眠れなかったのかしら?」

「まあそうですけど……」

「ぷ」

「また笑う」


 顔を再度あげてからもまた噴き出そうとするフローラは、ついている手がプルプル震えている。そんなに?


「ふ、ふふ。で、まだ結論は出てないの? そんなんじゃあ、今夜も眠れないのかしら? ふふふ」


 まだ答えは出ていない。ほぼ出ているけれど、まだ、気持ちの整理がつかない。もやもやして、踏ん切りがつかない。

 だけどエリーゼはこんな時の対処法をわかっている。夜中にはできないけれど、今は昼間で、睡眠も十分で気力体力は絶好調だ。ならやることは一つだ。


「……いえ、でもまだもやもやするので、ちょっと剣ふってきます」

「え、いいけれど、あなた、恋をしても変わらないのねぇ」


 笑いが止まったフローラは、普通に呆れたようにそう言った。恋をして変わるくらいなら、初めから剣を好きになんてなっていない。そんなの、ダンス狂いのフローラが一番分かっているだろう。

 エリーゼは黙ってベッドからでた。お気楽に、物好きねぇ。などといいながら席に戻ってまた残りのお茶を飲むフローラはエリーゼが部屋を出るまでのんびりしていた。どっちの部屋なのだかわからなくなる。





 なお、後日エリーゼは、じゃあ母は初対面のお見合い時にエリーゼが驚いたり他人のふりをするのもわかっていたのでは? あんなに怒らなくても良かったのでは? と思った。

 しかしそれを尋ねると、は? 他人のふりだけにあんな無様を晒したの? いくらでも方法はあるでしょう? とむしろ怒られた。

 おまけに外面の作り方がなってないと一日しごかれた。藪蛇であった。

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