第28話 この気持ちはなんだろう

 え? 今エリックって言った? え? あ、あれかな? もしかしてエリックに似た仕草になってて、思わず呼び間違えたのかな?

 と脳みそゆるふわのエリーゼは都合よく解釈して、何とか再起動する。

 

「ハインツ様、間違ってるわよ。いやぁね、いくらなんでもエリックと間違うのは失礼でしょう?」

「いや、それはもういいから。悩んでいるなら話せよ。エリックとしても、エリーゼとしても、どっちの悩みでも聞くからさ」

「……え? ……え? き、気がついてたの?」

「ああ」

「……」


 時が止まった。ハインツの顔は、普通に心配してくれているもので、そこに拒絶や怒りはない。それはいいとして、すでに知られている?

 ではエリーゼがエリックとばれないよう心掛けていたとか、わざと違いを強調したり、声音を変えたりしているのも、わかっていて見ていた?

 恥ずかしすぎる!! どうして、すぐに言ってくれなかったのか。もちろんそんな恥知らずなこと口には出せないが思わずにはいられない。


「い、いつから……」

「あー、まあ、いつでもいいだろ。本当はお前から言ってくれるまで待っていようと思っていたんだがな。でもなんか悩んでんだろ? エリックに関することでも聞けるから、話せよってことだ」

「……」


 いや、優しすぎない? バレていてそれを受け入れてくれるどころか、さらにエリーゼの気持ちを尊重してくれた上で、悩みがあるならと踏み込んできてくれるとか、優しさがすぎる。

 エリーゼはハインツがいいやつだと知っている。だけど知っている以上に、こんなにも優しくされて、何故か困ったような気持ちにすらなってしまう。


 だってすでにこんなにも好きなのに、こんな風にされて、もうどうしたらいいのか、わからなくなってしまう。

 胸が熱い。昂った感情が、その正体もわからないままエリーゼの瞳からあふれた。


「っ……う、あ、ありがとう」

「な、泣くほど悩んでたのか?」

「ち、違うわ。その、嬉しくて。ありがとう、ハインツ様。私、エリックのことでハインツ様を騙してるんだって、今更気が付いたから、言ったら嫌われちゃうと思って……」

「あんだけノリノリだったのに今更だな。でもまあ、気にすんな」

「ハインツ様……」


 そう言われると再度恥ずかしくなってくる。全力で他人のふりをして、設定までつくりこんで、そしてハインツが鈍いから全然気づかないなーなどとなめていた。それが、鈍いどころか、泳がされていた。自分が恥ずかしい。

 だけどそれさえ受け入れて軽く微笑むだけで流そうとしてくれている。嬉しい。もはや感情がめちゃくちゃだ。


 ハインツが、こんなにもエリーゼを思い、すべてを受け入れてくれていた。

 その事実が全身に回り、ふわふわして体が浮き上がってしまいそうだ。


 ハインツを見上げる。少し照れたようにしながらも、優しく微笑みを向けてくれる。何度も見ていたはずのハインツなのに、見たことがないような気さえして、ドキドキとその笑顔だけで心臓が痛くなる。


「つか、もう様付けもなくていいぞ? 二人なんだから、猫をかぶる必要なんてないんだ」

「ね、猫って。もう。言っておくけど、別に、エリーゼとしての私が全部嘘みたいな、そういう訳じゃないんだからね」

「わかってる。エリックであって、お前はエリーゼだ。それはそれとして、じゃあ、他に悩みはないのか? 大丈夫なのか?」

「え、ええ。それは大丈夫。うん。元気になったから」


 ハインツに嫌われてこれっきりになる恐れはなくなったのだ。ならとりあえずは問題ない。

 正直に言うと、新たに芽生えたこの不可思議な感情をエリーゼは持て余していた。ハインツとずっと一緒にいられたら、どんなにいいだろう。そうは思うけど、まだ状況がはっきりしただけだ。

 ならハインツはきっと、エリーゼを異性として意識してないだろう。ましてエリーゼのように浮ついた心なんてないだろう。


 それでも、お見合い結婚には十分かもしれないけれど、できれば同じように思ってほしい。我儘でもそれがエリーゼの気持ちだ。

 だから今はこのままで、まだハインツに話すような時期じゃない。もっとハインツと仲良くなれてからでいい。それまではこの胸の高鳴りはエリーゼだけの秘密だ。


「そうか。ならいいんだが。あー、あと、な。さっき、婚約者でもないのに、みたいないちゃもんを付けられていただろう?」

「え、うん。そうね。あ、と言うか、結構強めに批判しちゃったけれど、大丈夫だった? ハインツ様も迷惑していたと思うけど」

「それは大丈夫だ。ただ、な。あんな風に、エリーゼと一緒にいるのにいちゃもんを付けられるのは面白くないよな」

「まあ、はい。ついイラッとしてしまったことは反省しています」


 頭をかいて表情を隠すように言われたので、声音はともかくやっぱりまずかったかと思い、怒られる前に先に反省アピールをすると、ハインツは慌てたように手をおろした。その表情はどこか気まずそうだ。


「ああいや、怒ったり注意してるわけじゃない。そうじゃなくて……婚約するか?」

「えっ!?」


 こんやく? え、こんやくって、婚約以外に何の単語があったっけ? 願望のせいで婚約としか解釈できない! と目を白黒させるエリーゼに、ハインツは赤らめた頬を人差し指でかきながら視線を上に泳がせる。


「まあ、お見合いした俺とお前が、今後も遊ぼうと思ったらそのくらいの大義名分があった方が楽だってことだ」

「こ、婚約!?」


 本当に婚約だった!? ハインツと婚約。婚約。ハインツの言い方は軽いが、婚約してしまえば9割は結婚する。破棄することも違法ではないし、幼い頃に家の都合でされた場合などは家の都合や本人の意思で破棄されることもそこまで珍しくはないが、成人してから行われた婚約は破棄などほぼない。

 つまり、大義名分が、などとどんな言い回しをしたところで、結婚するようなものだ。


「わ、私と、結婚なんて本気で言ってるの? 私、全然淑女らしいところハインツ様に見せてないし、むしろ結婚相手としてありえないところしか見せてないと思うんだけど」

「あー、まあ、とりあえずだお前が嫌なら、後から破棄してもいいしな」

「そうじゃなくて、ハインツ様は……」


 エリーゼを結婚相手として見られるのか。ただの友人じゃなくて、家族になる覚悟があってそんなことを提案しているのか。そうじゃないなら、さすがに怒っても許される場面だ。

 エリーゼはハインツの側に手をついて、前かがみになって唾を飲み込んだ。


 真剣に詰め寄りたい。けれどそうしたら引かれそうだし、それに、エリーゼをどう思ってるのか、なんて直球過ぎて聞くのが躊躇われて、エリーゼは言葉を濁した。

 だけどそんなエリーゼにハインツはそっと、二人の間に置かれたエリーゼの右手に、左手をかさねて正面から顔を見つめ返す。


「俺は別に、お前と結婚してもいいと思っている」

「っ」

「お前はどうだ? お前と俺なら、結婚して、きっと毎日楽しいと思うぞ」


 固い声だ。全然、恋も愛も匂わせてくれない、ただ緊張しているだけで甘さもない、事務的なプロポーズだ。

 それでも、嬉しい。ハインツを、本当にエリーゼのものにできるのだ。もう誰かにとられることなんてなくて、ずっと一緒にいて沢山遊んで、毎日楽しく過ごせるんだ。

 そう思うとすごく嬉しくて、笑顔で、うん! 結婚したい! と言いたくなる。


 だけどそれじゃあ駄目だ。それはエリックの答えだ。だってエリーゼは、もうハインツを今までの友達以上に思っているのだから。

 結婚は嬉しいけど、できるならハインツにも、エリーゼを友達以上に思ってほしい。だから今できる答えはこうだ。


「わ、私も……ハインツ様と結婚しても、いいって、思ってるわ。ハインツ様ともっとたくさん、遊びたいしね」

「そ、そうか!」


 例え恋愛感情ではなくても、結婚を申し込んで断られたらととても緊張したのだろう。エリーゼの返事に、ハインツは満面の笑顔になって、ぎゅっとエリーゼの手を握りこんできた。

 その力強さは頼もしくエリーゼを離さないと言わんばかりでときめくし、そしてその笑顔は可愛らしくすら見えて、もうエリーゼは駄目かもしれない。


「じゃあ、これからもよろしくな、エリーゼ!」

「う、うん! こちらこそ!」


 なんとかハインツのテンションに合わせて力強く答えるが、ベールが無かったらとっくに顔を隠さずにはいられないほど真っ赤になっているエリーゼだった。


 そして和解?をした後はずっと部屋にこもっている訳にはいかないので、周りをそろりとうかがってから外に出た。

 まだ婚約はしていないが、エスコートだけなら問題ないので、またハインツの肘をつかむ形だ。


 だけど、今日の朝までとエリーゼの心境は全然違うのだ。照れくさいながらも普通にできていたのが遠い日の様だ。

 カチコチになっているエリーゼに、だけど意外なことにハインツも笑ったりからかったりすることなく、同じように固くなっていた。


 モテ男のハインツだが、意外と異性に対する経験はエリーゼとかわらないのだろうか。そう思うと少しだけ肩の力は抜けたが、それでも直に婚約者になるのだと思うとどうしようもなく、ベールをしているとわかっていても顔をあげることのできないまま別れた。


「あの、お父様、お母様。お話があるのですけど」


 帰り道、馬車の中で善は急げと話を切り出す。真剣なエリーゼの声音に、父は首を傾げ、母はセンスで顔を隠して何故か軽く睨み顔になった。


「どうしたんだい、エリーゼ。ずいぶん改まって」

「それはあなたが他所の令嬢と問題を起こしていたのと関係があるのかしら?」

「だ、大事な話なのですから茶々を入れないでください」


 ぐえぇ。大した騒ぎではないし、外では人目もなかったのに母の耳にはいっているなんて。これだから、あんなにわかりやすいのに社交できて地味に顔がひろい母は! 理不尽だ!

 と理不尽な文句を思いながらも強気に勢いで突っぱねようとするエリーゼ。


「家に帰るまで我慢してあげようと思いましたが、そう言う態度ならこちらも考えがありますわよ」

「っ、カールハインツ様と、婚約したいと思います! あ、相手も同じように思ってくれています」

「本当かい! それはめでたいねぇ」

「……本当かしら?」


 素直に表情をゆるめてくれる父と正反対すぎる母の反応に、自分の信用のなさを実感してちょっと私生活を反省したくなったエリーゼだった。


 一応最終的には納得して、婚約するよう勧めてもらえることにはなったし、揉めたのもライバルを追い払ったと説明したら納得してもらえたので良いことにする。


 そしてその夜、初めての感情に興奮したエリーゼはハインツのことを考えて眠れないまま朝を迎えるのだった。

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