第27話 え? なんて?

 今、自分は何を言ったのか。ハインツは自分のもの? 

 そんなわけがない。ヘッダが先に言い出したとはいえ、まだ婚約者でもないのに言い過ぎだ。口を出すまでならともかく、そんなことを言う権利はさすがにない。


 なのにどうしてそんなことを言ってしまったのか。それは、エリーゼが内心ではそう思っているからに他ならないではないか。

 かーっと体温が上がっていくのを自覚する。


「と、とにかく、ハインツ様を責めるのはおやめください! 気分がすぐれないので失礼いたします!」


 恥ずかしすぎて自分の感情すらむちゃくちゃになっていくのを感じて、たまらずエリーゼはその場を離脱することにした。

 ハインツに半ば抱き着いた姿勢だったのから、軽く突き飛ばす勢いで離れ、素早く通路に戻り人目がないのを確認して駆け出し、解放されている休憩室の一室に飛びこんだ。


「っあー!」


 扉をしめて振り向いた勢いで、気分が悪くなった人の為のベッドに飛び乗ってシーツに顔を押し付けながら言葉にならない声をあげる。


 何を言ってるんだ本当に! なんであんなことを言ってしまったんだ! ハインツがエリーゼのものだなんて、そんなことありえないのに!


「……」


 確かに、エリーゼはハインツのことを好ましいと思っている。もっとできるだけ長く一緒に遊びたい。できるならずっと一緒に過ごしたい。

 そう思っている。だけど今のはまるで、結婚したがっているみたいではないか!


 そんなつもりはない。全然ない。ないはずなのに、あんなふうに言ってしまうなんて。


「……うぅ」


 恥ずかしい。結婚したいわけでもないのにあんな風に、ヘッダに対抗するみたいに言ってしまったのは、独占欲にかられたからしか考えられない。

 こんなにハインツに執着しているなんて、思っていなかった。大事な友人なだけだと思っていた。あんなふうに、言い寄る女性を追い払うのに自分の立場を主張するみたいな言い方、今回は本人も迷惑していたとはいえ、そうでなければ友達なのにまるで婚約者に近いみたいなアピールするのは迷惑でしかないのに。


「……はぁ」


 一通り悶えてシーツを乱してから起き上がる。それにしても、確かにヘッダの疑問も一理ある。

 どうしてハインツはエリーゼによくしてくれるのか。友情を感じれているのだとして、よく考えたらお見合いは断ってから改めて友人関係になればいいだけで、今の状態はどっちつかずだ。


「申し訳ありません。人を探しているのですが、失礼してもよろしいでしょうか?」


 と、コンコンと扉がノックされ、外から声をかけられた。ハインツの声だ! 思わず、入ってます、と答えてしまいそうになったが、ここで拒否して他に探しに行かせるのはかわいそうだ。


「は、はい。どうぞ」


 とりあえずシーツを整えながら応える。すぐに入室してきたハインツは、中腰のエリーゼを見てほっとしたように表情を崩した。

 さっきヘッダと対面した時にはない柔らかな顔に、自分のしでかしたことを思い出して心臓がうるさくなった。


「エリーゼ様、ご無事で何よりです」

「ご、ご心配をおかけしたなら申し訳ありません。その、勢いで、失礼なことをして申し訳ございませんでした。けしてハインツ様を物扱いしたつもりではなくてですね」


 ご無事で、はさすがに大げさな物言いだけど、突然去ったエリーゼが悪いので素直に謝る。

 本当に、物扱いのつもりはなくて、ただ勢いと言うか、ハインツへの思いが感極まったと言うか。あー、でもそんなこと言ったらまた変な意味になってしまう。


 ぐるぐるお目目になって混乱してきたエリーゼは、ベールをしているにも関わらず両手で顔を覆って隠してその場でまたベッドに腰かけた。


「エリーゼ、気にするな。俺も気にしてないからさ」

「う、うん……ヘッダ様は、どうしたの?」

「ちゃんと断って置いてきたよ。悪かったな。巻き込んで。ちゃんと断ってはいるんだが、どうも思い込みが激しい子で」


 ハインツはそう言いながら、エリーゼから少し距離を開けて隣に座った。距離をあけたとはいえ、柔らかいベッドの上なので一人分あけてもまだその衝撃が伝わってきて少し体は揺れた。

 恐る恐る手をおろして、ハインツを向く。ハインツはにこっと笑う。


「むしろ、ああいう風に言ってくれて助かったよ。失礼なことばっかり言われて嫌だったろう? ごめんな。今度お詫びするよ」

「あ、うん……あと、急に、だ、抱き着いたみたいな形になったのも、ごめんなさい」

「別に謝ることないだろ。可愛い子に抱き着かれて怒る男なんていねーよ」


 か、可愛い!?

 そんなことを、家族以外から初めて言われたものだから、軽い調子でいつもの顔のハインツなのに、エリーゼは心臓がバクバクとさっき以上にうるさくなってしまって誤魔化すように心の中で悪態をつく。


 は、ハインツの癖に! これだから、モテる男は!


 とののしりながら、ハインツと目をあわせられなくて顔を伏せる。さっきのも合わせて、体が熱くなってきてしまった。


 だけど……正直に言うと、嬉しい。適当な慰めかもしれないけれど、可愛いとか、全く思ってないことは言わないはずだ。可愛いと思われてる。顔を隠して、趣味ばかり見せて、貴族女性として、淑女らしさなんてみじんも見せなかった。異性として意識してもらおうとか、何も、何一つしなかった。

 なのにそんなエリーゼに、可愛いと言ってくれる。そんなの、嬉しく思わない人がいるだろうか。


 心臓がうるさい。ハインツともっと遊んでいたくて、取られたくなかった。それは単なる子供の我儘のはずだったのに。


 たった今この瞬間に、別の意味をもちだしてしまう。

 同性の友達ではなく、異性として扱われることを喜んでしまう。もっと、そう思ってほしい。そしてそう扱うのは、特別に扱うのは、エリーゼだけにしてほしい。ハインツをずっと独り占めしたい。


 馬鹿みたいだ。ずっと友達だって思っていたのに。同性のようにすら思っていたのに。

 ほんの少し優しくされて、女の子扱いされて、それでこんな風に思うなんて自分でも馬鹿すぎるって思う。思うのに、とめられない。


「……」


 もしかして先ほどのヘッダの問いかけへの答え、ハインツは結婚をする気がある、と言うことなのだろうか? ……え。ハインツの女の趣味悪すぎないか? いやまあお見合いなのでハインツの趣味は関係ないとしても、ありな範囲内の女性像ではないと思うのだけど。

 特にわざと悪くしたつもりはなく、素を見せただけではあるが、素のエリーゼはほぼエリックみたいなものなのだから、女性らしさは皆無と言ってもいいだろう。そんな女を結婚相手として見るのは無理がある。


 がまあそんなのはハインツなりに理由があるのだとしよう。だとして、エリーゼとしてどうだろうか。このまま結婚、あり得るのか。


「あっ」


 ハインツとずっと一緒にいられるのは、魅力的だ。そう溶けてしまいそうな頭で思ってから、だけどすぐに気づいて、泣きそうになった。

 思わず声まで出てしまった。だって、結婚なんて絶対にできないのだから。


 エリーゼはエリックなのだ。いくら鈍いハインツでも、顔を見せてもばれないわけがない。と言うかそこまでしてばれなかったら逆にショックだ。エリックの顔覚えてなさすぎ。


「……」


 さーっと、血の気が引いていく。今まで何も考えていなかった。たった一度のことなのだから、エリーゼはすぐ赤の他人に戻って会わなくなるのだからと、何も考えず他人のふりをした。

 当たり前だけど、それはハインツをだましているのだ。ここまでずっと嘘をついてきたのだ。

 それを知ってまで、受け入れてくれるはずがない。そんな心の広い人間がどこにいるのか。どうして、お見合い相手がハインツだとわかってすぐに言わなかったのだ。


 本当に友人だと思って誠実でいようとしたなら、そうするべきだったのだ。

 それを言ってドン引きされたところで、言いふらすような性格ではないことは誰よりエリーゼが知っていたのに。そこならまだいくらでも後戻りができたのに。

 そこから嘘に嘘をかさねて、もはや何が本当なのか自分でもあやふやになってしまうくらいではないか。


「エリーゼ様? どうかされましたか?」


 どうして嘘をついたのか。友達でいたいからなんてのは、嘘っぱちだ。本当は言って拒絶され、友達でなくなるのがいやだったから。自分が傷つくのが怖かったから。ただそれだけでしかない。

 なさけない。自分勝手でどうしようもない。勝手に嘘をついて、自分の嘘に勝手にショックを受けて、何のつもりなのだ。それこそ、何様のつもりだ。


 今更でも本当のことを言うべきなのかもしれない。だけどそうなれば、結婚どころか、エリーゼとしてもエリックとしても友人ではいられない。全てが終わってしまうのだ。

 そしてそれは、ハインツにとってもだ。ハインツがこの関係をどう思っているのかはわからない。


 だけど少なくともエリックのことは友人と思ってくれているのだ。ならエリーゼが嘘をついたのだから、せめてハインツにエリックを残さなければならない。

 エリーゼはちゃんと消えて、エリックとしてもさり気なく消える。そして思い出になって、ハインツが変に気にしたりしなくていいようなそんな関係になる。


 それが唯一、ハインツが何も気にしなくていい、一番綺麗な形だ。ハインツのことを思うからこそ、もうこのまま貫き通すしかない。


「いえ、なんでもないわ。少し思い出したことがあって、ボーっとしていただけよ」

「そう、なのか? ならいいけど。何か、悩んでいるようにも見えたが」


 一瞬わかりやすく落ち込んでしまったので、ハインツの疑問ももっともだ。それを吹き飛ばすように気丈に、むしろ元気に返事をする。さっきのは目の錯覚だと勘違いしてもらえるように。

 大丈夫。ハインツと別れるのは、今つらいと思っているだけで、元々その予定ではあったのだ。それが少し自覚的に、早めようと言うだけなのだから。


「うん。大丈夫。何もないわ。一瞬、ちょっと悩んだけど、でもこれは私が自分で解決しないといけないことだから」

「そうか。……もし、話したくなったらいつでも言ってくれよ? 俺とお前の仲じゃないか、な? エリック」

「ありがとう、ハインツ……ん?」

「ん?」


 え? なんて?

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