第12話 エリックの弓練習
「あとこれ、手袋。大きさは合うか?」
「え、手袋って? そんなのつけたらやりにくいからいいよ」
用意をしていると急に差し出された手袋をスルーしようとするエリーゼだったが、ハインツは眉を仕掛けて手元に押し付けてくる。
「いいよ、じゃねぇ。基本つけるんだよ。実際の矢を使うってことを考えろ」
「ハインツ、もつけてるの?」
「なれたらいいんだ。初心者なんだから逆らうな。教えねーぞ」
「う、わ、わかったよ」
森ではつけていなかったが、そう言うことならしかたない。しぶしぶ装着する。
思った以上にぴったりフィットしたので動かす分には問題ないが、しかし当然指先の感覚は鈍る。
指先をこすり合わせてできる限り馴染ませる。そうして準備をしてから、いつでもフォローできるようハインツをすぐ背後に、実際に3度弓を射ってみせたエリーゼ。振り向くとハインツはうん、といい笑顔で頷いてくれた。
「いいぞ。様になってるじゃないか。しっかり体幹を鍛えているようだな」
「体幹なんて基本すぎ。馬鹿にしてるのか?」
「パッと見細っこいからな。普通に接している分にはわからん」
「ハインツは何度も手合わせしてるんだから十分わかってるだろ」
どれだけ鍛えても見た目にわからない、と言うのは仕方ない。と言うかそれは意識しているのだ。衣類で隠せないほど体を鍛えるのさすがにできない。
見えないよう季節関係なく長袖詰襟で手袋を外さないとは言っても、どうしても夏は薄手になる。他のご令嬢のようにレース状の袖なんてものはきないが、それでも見て何も変化がないと言うわけにはいかない。
なので腕そのものではなく、体幹に近い側を重点的に鍛えている。それに加えて、そもそも女性の方が筋肉が太くなりにくい。なので男性としてはそう見えないほどひょろい。その自覚はあるし、いい気分ではないが、別に細っこいと言われて怒るほどでもない。
エリーゼは剣や弓を楽しむために男装しているのであって、別に本気で男になりたいと思ったことはない。男だったら楽なのに、と考えたことはあっても、男の方が大変そうだ、と思うこともあるので、現状で満足している。
「わかってても印象まではかわらんからな。飛距離はそこそこ出ているから問題ないし、じゃあ次は、当てられるようにだな。と言っても、これは感覚が大きいからなぁ」
「全く見当違いに飛んでる訳じゃないし、ちょっと自分で練習してみていい?」
「おう。いいぞ。危ないから見ててやるよ」
「大丈夫だって、と言いたいけど、まだまだ初心者なのは本当だしね。頼りにしてます」
「おう。そうやって素直にしてりゃあ可愛いもんだ」
「可愛いって言うなよ」
エリーゼ状態ならともかく、エリック状態で言われても全然嬉しくはない。むしろ男装していても隠し切れない女性らしさが出てきてばれそうなのかとハラハラしてしまうからやめてほしい。
とエリーゼは唇を尖らせているが、実際には少年的可愛さでしか言われていないので全くの杞憂である。
にやつくハインツは無視して、追加の弓矢を準備してから続けて射っていく。
胸をはり弓を引く。弦を引き絞るのはかたく、気を抜くとすぐに指から離れてしまいそうだ。
それをこらえ、支える左手を基準にして照準を算する。今の3回で、2度修正している。打ちだした瞬間のブレが大きく、まだ的には数メートル単位で離れている。
まずはぶれずにうつ。ぎりぎりと引き絞ったことで上半身全体が力の余波で震えてしまいそうなのを、体に芯を入れるようにして耐え、そっと右手を離す。
びゅん、と風きり音がなり、左手にくる衝撃ままに弓を揺らす。無理に左手で弓の位置を固定すると体を痛めるそうなので、これであっているのだ。しかしまた左に大きくぶれた。
練習場に他に人がいないからいいが、隣の的に当たってしまっている。左手の力を抜くのが早いのだ。もう少し維持する。
「っ」
もう一度。しかし今度は遅すぎた。逃げきれなかった衝撃が左手にしびれとなって襲う。大きく乱れた軌道は半分も届かない距離でバウンドして落ちた。
「おい、気を付けろよ。練習用とはいっても、一応尖ってるんだから」
練習用は金属刃ではない。木製で、普通に触っても絶対に刺さらないゆるいカーブだ。それでも勢いよく飛ばせば、薄い的には十分に刺さるもので、手元で暴発して足にでもあたれば最悪骨折だってあり得るし、顔に当たれば大怪我の可能性もある。いい加減にできるものではない。
「わかってる」
今の腕の感覚を忘れないうちに、視線は向けずに短くハインツに返して、次を装填する。引く。練習ではもっと長時間引いていたが、実際に撃つために集中するとなると、すでに疲労がでてきてじんわりと汗が浮かんできた。
だがこれは今、一番筋肉が思い通りに動いている証だ。今が一番、調子がいい。
「!」
びゅすっ、風切音にほんの少し遅れるように重なって、的を貫いた鈍い音がした。
ぎりぎりの、右端を貫いた抜けば円の端が欠けているだろうほどぎりぎり。だけどどんなにぎりぎりでも、あたりはあたりだ。
「っしゃあぁっ! 見た!? ハインツ見たよな!?」
「おう、見た見た」
「もっかいするから!」
両手で思いっきりガッツポーズをしてハインツを振り向いて的を指さすエリーゼに、ハインツは感心したような苦笑するような表情で頷いた。
エリーゼはそんなハインツの反応をそもそもろくに見もせずに、夢中になってまた弓を射だした。
感覚を忘れないよう、夢中になって、もうハインツなんて目に入らないように無心に。
そんなエリーゼに苦笑しながらハインツは合間をみて弓矢の補充など補助をしてくれて、それに気づかないエリーゼは指先を弦で擦って擦り切れるまで続けた。
「残念だけどここまでか。でも楽しかった! ハインツ、今日はありがとう!」
「おう。それはいいから、手、出せよ。怪我してるだろ?」
「あ、うん。悪いね」
ハインツがすでに準備してくれていたらしくい処置箱を手にそう言うので、片付けの前に手を出し、手袋をはずす。差し出した自分の手を見ると、思ったより擦り剥けていて、痛いからやめよう。と思ったもののそれ以上に痛くなってきた。
「っ、しみるー」
「しかたないだろ。我慢しろ」
「わかってるけど、痛いんだから声くらいでるでしょ」
手をとられることに全く抵抗がないとは言わないが、今はエリックだし、片手での治療は難しい。あまり跡が残っても困るので仕方ない。
エリーゼの時ならいざ知らず、エリックの時は男だと割り切っているので手を取られても問題ない。
「?」
「え、な、なにさ」
しかし治療を終えてからも持ち上げてまじまじと見られては別だ。思わず手を払うようにして自分の胸もとに引き寄せると言う女性的そぶりをしてしまい、慌てて両手を後ろに回して隠すようにしながらも胸を張る。
「いや……別に。前から思っていたが、改めて、女みたいな手だと思っただけだよ」
「うるさいな。ほっといてよ」
女にしたら固くてごつくて、男にしたら細くて柔らかい。どちらとも言えない手。中途半端だ。コンプレックスと言うわけではないが、好きではない手だ。
「そう怒ることもないと思うけどな。綺麗な手ってことだし、悪いことじゃあねぇんだから」
「……女みたいな手、って言い方がすでに悪意あるよね。まあ、弓を教えてくれているんだから、褒め言葉として流してあげるけど」
怒っているわけではない。ただ反応に困るだけだ。エリーゼは誤魔化すように笑って見せる。
それから片づけをして、改めてお礼を言ってこの日は別れた。
○
「エリーゼ様、お手紙になんとあったのでしょうか? もし予定が決まられたのであれば、教えていただきたく存じます」
「あ、はいはい。決まりましたー。今週末だって」
「かしこまりました。それにしても、エリーゼ様が出された候補日の中で一番直近の日になりますね」
「そうね」
自室でハインツから届いた手紙を受け取り、読み終わったのを見計らった専属侍女、アンナの問いかけに答える。エリーゼの予定を把握するのもアンナの役目なので当然のことだ。
しかし何やら、アンナはいつになくにこやかだ。それなりに長い付き合いではっきり物を言うアンナは必要以上に愛想笑いをしないので珍しい。
「なに、アンナ。機嫌がよさそうだけど何かいいことあったの?」
「はい。エリーゼ様のお見合いがうまくいかれて、将来の展望が明るいようで嬉しいです」
「……いや、まあ、お見合いがうまくいってないわけではないけれど、将来の展望とかはその、ない、かな?」
「? お断りされるつもりと言うことですか? 少なくともお相手はエリーゼ様に積極的なようですし、もしその気がないなら早めにお断りされた方がよいのではないでしょうか」
「あ、まあそれはそうなのだけど」
「少なくとも私の目には、エリーゼ様も逢瀬を楽しまれて、気の合われる相手で満更でもないように見えておりましたけれど」
「あー……」
アンナの言う通り、普通に楽しんでいるし、次回も楽しみだ。それを隠してもいないので、そう受け取られても仕方ないだろう。
だけどアンナに誤解されてしまうと、全力でくっつける方向にアシストされてしまう。善意で何も言わずとも忖度してくれる有能侍女なのだ。それは困る。
母のフローラにすべて筒抜けになってしまうけれど、別に悪いことをしていない。少なくとも母の要望に沿っているのだから、話してしまおう。
と決めてエリーゼはアンナをちょいちょいと近くに呼び寄せ、元々部屋に二人きりなので意味はないけれど、先ほどよりはずっと小声でことの流れを話す。
「知ってると思うけれど、私このお見合いの初対面でちょっと変な態度をしてしまったの」
「はい。姑息なことをされたと伺っております」
「……お母様がそう言ったのはわかるけれど、そのまま言わないでよ」
アンナとは付き合いが長く信頼しているが、その分フローラからの信頼も厚く、定期的にエリーゼのことについて話したりもしているのは知っているけれど、そう言う言い方はどうだろう。
恨めしくジト目になるエリーゼに、アンナは平気な顔で、それでどうされましたか、と促す。
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