第36話  ハインツ視点 エリーゼを落とす簡単な方法?

 エリーゼと結婚することに決めたハインツは、嫌がられない程度に強引に距離を詰めていくことにした。

 なにせエリックとしての性格は熟知しているのだ。ガチで引いているな、とか、これはそう気にしてないな、とか、深く考えてないな、とか、だいたいわかる。と言うかそもそもエリックは全体的に楽天的で引きずらないのだ。なので気楽なものだ。


 手始めにお互いに名前をエリックの時と同じようにして、話し方も敬語をやめることにした。


「俺のことはハインツでいい。親しい友人はみんなそう呼ぶからな」

「ん。は、ハインツ様」

「様もなくていい。エリーゼ、と呼んでも?」

「ハインツ……様。やっぱりその、急に距離を詰めすぎな気がします。その、呼ぶのは自由にしてもらって構いませんが、様はつけさせてください」

「わかったよ、エリーゼ。でも敬語に戻ってるよ?」

「う。わ、わかってるから。まだ慣れてないのだから、意地悪を言わないで」


 ……いや、可愛いか。いつもはなんの抵抗もなく呼んでいたのにどうしてエリーゼになると途端にそんなに遠慮がちなのか。

 しかも意地悪言わないでって、そんな可愛い反応があるだろうか。ベールをかぶっていて表情は見えないのだが、すでにエリックで様々な表情を見ているので、普通にどんな顔をしているか透けて見えてしまう。思わず返事にどもってしまった。

 その後は普通にカードゲームをして、お互いにエリーゼとハインツで会話をするのになれていった。


 初回からいい感じで終わったので、ここからさらにどんどんいこう。と思っていたのだが、タイミングが悪く第二王子の婚約式がありなかなか会うことができないまましばらくたった。


 婚約式の儀式が終わり、交流時間になり一通りの挨拶を終えてからようやくエリーゼに声をかけることができた。

 久しぶりのエリーゼは変わっていなくて、姿を見ただけでほっとしてしまった。やっぱり、いい。エリーゼと毎日会えるようになることが、今から楽しみだ。


「エリーゼ様、今度なのですが」

「カールハインツ様、お久しぶりですわね」


 そう思いながら、今からでも少しは何かしかけられないかと模索している内に声をかけられた。

 その声を聴いた瞬間内心では、げぇっと声をあげた。声をかけてきたヘッダは、兄の義理の妹であり、ハインツが未成年時の兄の結婚式で初めて知り合った。親戚にはなるし、兄が結婚した以上、基本的に他の兄弟が結婚することはない。だからこそ仮として公でエスコートをしたことはある。

 しかしそれは相手もわかっているはずなのに、まさかハインツに本気なるなんて。向こうの家も乗り気ではなく、距離を置くようにしてくれていたので油断していた。


 場所が場所なので、多くの人目がある。あまり彼女に恥をかかせても、兄に悪い。あくまで穏便に静かにお引き取り願いたい。

 だと言うのに本人が声を大きくするのだから困ってしまう。ましてエリーゼを馬鹿にしてくるのだ。幸い、本人は変人扱いされることにはなれているのか、怒り出すこともなく冷静に場所移動を提案してくれた。


 移動中に少しは頭も冷えたのか一度はエリーゼに謝罪したヘッダだが、エリーゼもいるし長引かせたくない。さっさと諦めてほしくていつもより突き放すようにすると、興奮してハインツに手をあげてきた。

 女性なので大したことはない、と言いたいが、正面から胸を遠慮なくたたかれるとさすがに揺れるし話しにくい。


 これ以上言って、泣き出しでもされたらさすがに対処に困る。どうしたものか、と思っていると、横から顔を出されるようにして声がかけられる。


「ヘッダ様、落ち着いてください。そのようにされたら、いくら殿方と言えど、ハインツ様も苦しいかと」


 落ち着いたものだ。これが無関係な者の声なら、きっとヘッダも落ち着いただろう。だが、ヘッダにとってエリーゼは恋敵なのだ。冷静に聞けるわけがない。


「! あ、あなたにそのようなこと言われたくありませんわ! 関係ない方は黙っていてくださいな!」


 案の定、ヘッダはますます強く両拳をハインツにたたきつけた。息が詰まりそうで思わず一歩下がってしまった。

 本当にハインツが好きなのか疑問になるほどの力だ。いや、エリックと違い何もしていないご令嬢なのだから普通ならこんな力はでないはずだ。力の制御が外れるほどハインツを思っているということなのだろう。迷惑すぎるが。


「関係ないわけがないでしょう!」


 だがそう苦しむハインツの後ろから、エリーゼが手を当ててヘッダごと押し返して叫んだのだ。


「いい加減にして下さい! 自分の気持ちをわかって、と自分のことばかりではありませんか! あなたが断られるのも、お見合いだって、様々な事情があってのことです! 思い通りにならないからと癇癪をおこすのは違うでしょう!」


 まるで吠えるようなその迫力に、ヘッダはびくりとして後退した。さすがエリック。と感心するが、ヘッダはそれで火が付いたのか、むしろ強く、それはさすがにご令嬢が見せては駄目だろう。と思うくらいの怒り顔になって怒鳴り返そうと空気を吸い込んだ。


「うっ、うるさいわね! あなたに」

「関係はあります! ハインツ様は今、私のものなんですから!」


 だけどそれすらたたき折るように、エリーゼはそう怒鳴りながらハインツの腕に抱き着いた。


「……」


 その勢いとセリフに、一瞬静かになる。ヘッダですら、あっけにとられた顔になった。

 誰がどう聞いても、お見合いしただけの相手に言うには過剰な言葉でいっそ告白だ。それに、この体勢も。仮に婚約者にしても人前でするには相当の仲でないと気まずい。と言うか、意外と柔らかい。なんだこれ。いいのか。


 と言うか、今のを言うということは、すでにエリーゼはハインツをそう特別に思っていると言うことなのか?

 腕の感触もあって、体温が上がってくるのを抑えられない。とりあえず体勢だけでも今はやめてほしい。後で二人きりならじっくり味わいたいが、さすがにヘッダの前で遠目には他にも人はいる。おかしな醜聞は避けたい。


「え、エリーゼ様……」

「と、とにかく、ハインツ様を責めるのはおやめください! 気分がすぐれないので失礼いたします!」


 とりあえず名前を呼んだが、どう指摘しようかと悩んでいると、今の姿勢の大胆さにようやく気が付いたらしく、慌ててハインツから離れるとそう言ってすぐさま踵を返して走る直前くらいのスピードで立ち去った。


「……く、くくっ」


 そのあまりの勢いにあっけにとられるのも一瞬で、大胆で行動力があるのに後先考えなくて、初心であわてんぼうで、その可愛さに思わず笑ってしまう。

 もう全く、仕方のないやつだ、とハインツは内心であきらめた。


 今までもずっと、可愛いとは思っていた。それでもエリックとしての長い付き合いが、ハインツにこれは恋ではないと思い込ませていた。可愛いし、好きだが、それ以上だと言う思いを認めるには抵抗しかなかった。

 だけどこうまでされて、もはや認めるしかない。可愛い。人としてとか、弟分としてとか、そんな範囲を超越して可愛すぎた。

 エリックとしてではなく、エリーゼを好きになっているのだと、認めるしかない。


「し、失礼。ふふ。ヘッダ様、そう言うことですので、申し訳ありませんが、私のことは諦めてください」

「な、なんですの。あんな、子供みたいな方ではありませんか。あんな方の方が、私より魅力的だと仰るのですか?」


 そうだ。貴族女子と言ったって、エスコートで触れ合うし、人目さえなければやりすぎて下品でない程度、胸元をわざと近くしたりなどの女性的アピールも普通に行われている。ましてこの騒ぎの勢いで軽くあたっただけで、あんなに動揺して逃げ出すなんて、まるきり子供だ。

 でも、そこが可愛いのだ。あんなに無防備で全然わかってなくて、勢いばかりがよくてその癖恥ずかしがりや。そこが、たまらなく可愛いのだ。


「はい。近いうちに婚約したいと思っております」

「……私の方が、ずっと前から思っていました」


 わざとにっこりと、貴族としてではなく普通に微笑む。エリーゼを思うと、いつだって笑顔になれる。

 それにヘッダはハインツをにらみながら言った。だが少なくとも先ほどまでのような、敵意にも似たほどの熱量はその瞳にはなかった。


「申し訳ありません、ヘッダ様。どうやら私、女性の趣味が変わっているようです」

「……もういいですわ。すでに他の女性に心を奪われている方なんて、いりませんわ。ましてそんなに趣味が悪いなんて。選ばれる方が恥ずかしいですもの」


 そう言ってヘッダは、ごきげんよう、と綺麗な礼をして去っていった。ひどい言われようだが、その顔を見れば単なる捨て台詞であることはわかる。

 さて、それでは可愛いお子様を迎えに行かねばならない。


 もっとゆっくり、エリーゼがハインツに惚れてからと思ったけれど、今回みたいなことがあるならおかしな横やりが入る前に婚約する方がいいかもしれない。

 少なくとも今日のエリーゼの反応を見れば、断られることはないだろう。

 どんな可愛い反応をしてくれるのか、想像しただけで頬が緩んだ。


 エリーゼは手近な休憩室を探すとすぐに見つかった。あの状態なら人目を避けるだろうと思っていた。最悪、茂みなどに隠れている可能性もあるかと危惧したが、さすがにそこはご令嬢だったのでよかった。


 返事がエリーゼの声だったので中にはいり、何故か中腰のエリーゼにとりあえずほっとする。

 凹んでいたり、動揺のあまりおかしなことになっていたらと思っていたが、今のところまだ冷静そうだ。

 近寄りながら声をかけると謝罪された。確かに、婚約していない状態での発言ではないし、物扱いもよほどの関係でないと失礼だ。

 だけどハインツは、エリーゼとならよほどの関係になりたいし、独占だってされたっていい。むしろ嬉しいくらいだ。

 むしろハインツこそ、エリーゼを巻き込んでしまった。今まで声をかけてくるご令嬢を煩わしく思っても面倒なので適当に外面よく対応してきたつけなので、エリーゼには迷惑をかけたくなかった。

 謝罪しながらベッドに腰かけたエリーゼの隣に座る。


 場所が場所で、椅子だと少し離れていると思ったのだが、同じベッドに座ると相手の動きが伝わってくる。少しドキリとしながらも、顔をあげたエリーゼにしっかり謝罪する。


「ごめんな。今度お詫びするよ」

「あ、うん……あと、急に、だ、抱き着いたみたいな形になったのも、ごめんなさい」


 おかしなことを謝られて、動揺してしまいそうになる。抱き着いてごめんなさいって、どんな謝罪だ。それもあの状況で、ハインツの為に怒ってくれていたのに。それで怒る男はいないだろう。まして、好きな相手なのだから。


「別に謝ることないだろ。可愛い子に抱き着かれて怒る男なんていねーよ」


 ……うん、まあ。

 思わず口から素直な言葉がでてしまったハインツは照れてしまうが、幸いエリーゼはすぐに顔を伏せたので、ハインツの反応は見なかっただろう。

 口説こうとか落とそうと思って言うのはいいが、普通に言ったので少し気恥ずかしい。


「……」


 だがセリフそのものに照れているようで、沈黙が流れる。

 しかし不思議と、気まずくはない。エリーゼが顔を伏せていてるのをいいことに、ベール越しにじっと見つめる。


 さっきのハインツはエリーゼの物と言う発言もだし、今の反応も、ハインツに対してまんざらでもない反応だ。それに、可愛い。

 ろくに顔が見えないのに可愛いのは反則ではないだろうか。


「あっ」


 しかし突然声をあげた。その声は、何だか悲しみに満ちた声だった。


「……」

「エリーゼ様? どうかされましたか?」


 声をあげたっきり、固まったエリーゼに恐る恐る問いかけてみる。あまりに奇妙な間なので敬語になってしまった。

 エリーゼはそれにもしばし反応のないままだったが、やがてゆっくりと動き出してハインツを向く。


「いえ、なんでもないわ。少し思い出したことがあって、ボーっとしていただけよ」

「そう、なのか? ならいいけど。何か、悩んでいるようにも見えたが」

「うん。大丈夫。何もないわ。一瞬、ちょっと悩んだけど、でもこれは私が自分で解決しないといけないことだから」


 悩んでいるのは事実らしい。だが、ハインツには相談できない、と。それは、その事実は受け入れがたかった。相談相手にすらなれないほど、エリーゼにハインツは信用されていない。

 しかし、だ。エリックになら、ハインツは信用されているのではないだろうか。


 もっと関係が変わって、エリーゼから言い出すまで待つつもりだった。こちらから暴いても、心の準備ができていないと驚くだろうし、騙された意趣返しも少しある。

 だけどエリーゼが悩んでいるなら。少しでも力になれるなら。今、話すべきだ。後日エリックと会った時に悩んでいるそぶりを見せてくれるとは限らないのだから。


「そうか。……もし、話したくなったらいつでも言ってくれよ? 俺とお前の仲じゃないか、な? エリック」

「ありがとう、ハインツ……ん?」


 そして普通に頷いて、エリックとして返事をしたエリーゼに、思わず笑ってしまいそうなのを堪えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る