第2話 勝った! 第一部完!

 ハインツの了承があった以上待てない。すぐにいつも練習試合をさせてもらっている、店の裏手の広場に移動して、今日の暗い気持ちを追い払うようにハインツに打ち込んだ。


「鈍ったのか? 打ち筋に迷いがあるぞ!」

「軌道が甘い!」


 厳しいハインツの指摘を受けるほどに、頭の中から関係のないことが消えていく。大事なのは今、目の前にいるハインツと、そして自分の体をどう動かすか。それだけだ!

 木剣は練習用で中身のない軽いつくりになっていて、受けられるよう要所要所に皮の防具もつけている。直撃ではなく受け流すようにうけてはいるし、お互い当たる瞬間に力が入りすぎないようにすることもできる。それでも当たれば無傷ではなく、派手なあざができるくらいには痛い。


 だけどそんなのは気にならない。顔にさえできなければドレスで隠れる。それよりも、この痛みがなにくそ! と奮起につながり力になる。


「はぁ!」

「っ……はぁ、降参だ」


 からん、とハインツの剣が地面に落ちた。打ちこまれた剣を身をよじって回避しながら、相手もまた無理めの姿勢であったのを見てそのままさらに剣を差し込み、ハインツの剣を取り落とさせたのだ。


「! か、勝った!? 勝ったぞ!!」


 ハインツに勝った! 今までずっと負けばかりで、家でもずっとトレーニングを欠かさなかった。その成果がようやく出たのだ。

 一瞬、本当に? と疑心暗鬼になってしまったが、間違いなく転がっているハインツの剣を確認してから、エリーゼはガッツポーズした。

 膝を曲げて全力でガッツポーズして飛び跳ねて喜ぶエリーゼに、ハインツは苦笑しながらその場に座り込む。


「てかお前、前から思っていたけどどれだけ体柔らかいんだよ、あの姿勢でこれだけ力よくいれられたな。筋痛めたりしてないのか?」

「ぜーんぜん! ハインツとは鍛え方が違うんだよ! っしゃー! これで免許皆伝だ!」

「はいはい。ま、最近はあんまり鍛えてる時間なくて体力も落ちてたしな」

「負け惜しみが気持ちいいっ!」


 苦節云年、と言うと大げさだが、ハインツの不定期なんちゃって剣術教室はエリーゼ以外にも何人かの街の子供たちも受けていたが、その中でも卒業したりエリーゼより弱かったり体力維持や護身術気分くらいでエリーゼほど本気でやっているものはいなかった。

 なのでここ数年は目標は妥当ハインツだったのだ。これが嬉しくないはずがない。


 一通り喜んでから、エリーゼも疲れたので隅の方でハインツと並んで腰を落とし、勝者の証としてぱしらせた飲み物をあおった。


「はー、美味しい! 勝利の美酒ってやつだね」

「ははっ。てかお前いくつだっけ? お前が成人したら、ほんとの酒を飲ませてやるよ」

「え、あーっと」


 実際には成人しているのだが、女性の体で男装している都合上、男性としての肉体が出来上がっていないのを年齢のせいにしており、つまり年下ぶっていたのだ。

 エリーゼの実年齢でぶらぶらしているのは性別問わず庶民ではいないので、その都合もある。なので実年齢はぼかしてふわっと付き合ってきていたのだ。


「その時は、僕が奢ってやるよ。強者の余裕としてね」

「あほか。ちょっとは年上をたてろよ。……お前、このまま親の跡をついで使用人になるので本当にいいのか? いくら鈍ったって言っても、俺はちゃんと教育をうけてるんだ。そんな俺に勝ったんだ。騎士に推薦くらいしてやれるぞ? 推薦があれば試験を受けられるし、お前ならきっと」

「あー、ありがとう。気持ちはすごい嬉しい。昔、なりたいって思ったこともある。だけどさ、やっぱり僕は今の道をすすむよ」


 騎士になりたいと、剣で食べていきたいと、剣術を習いだしてすぐに思った。年に一度ある騎士たちの公開訓練を見て、あの金属鎧の格好良さも、規律正しくそろった剣筋も、訓練試合の壮絶さも、すべてに憧れた。

 だけど一緒に見に行ったハインツにそれを口に出すより早く、いや無理でしょ。と冷静な頭が結論を出していた。


 騎士は男しかなれない。もちろん王族や高位貴族の護衛として女性も必要な場面はあるが、騎士ではなく護衛侍女と言う役職だ。戦争や紛争になれば力となる騎士は、男しかなれない。

 それにあこがれだけで、本当に切れる金属剣を持ったことだってないし、怪我をしたり死にたいわけではない。憧れは憧れの方がいい、と気が付くくらいには、エリーゼもちゃんとご令嬢だったのだ。

 こうして男として振る舞うのは楽で楽しい。時間が許す限りこういたい。だけど別に、女である自分が嫌なわけでもない。可愛いと家族に可愛がられるのも好きだし、可愛いものや綺麗なものだって好きだ。男にずっとなりたい、なんてのは思ったことがないのだとその時改めて気が付いたのだ。


 もちろん今も、格好がいいし、憧れはするけれど。それに家族の仕事だって立派で大事な仕事だ。家業をついで次代に残すことがどれだけ大切か、エリーゼはよくわかっている。

 それがたとえ貴族の血を残すだけの歯車に過ぎないのだとしても、今はそれも仕方ないと受け入れられる。


「そうか……まあ、なら仕方ないな。俺も段々、前ほどは街にこれなくなる。結婚もしなくちゃいけなくなるしな。だからその前に、できることはしておきたいと思ったんだが、余計なお世話だったな」


 言葉をさえぎって断ったエリーゼに気を悪くするでもなく、ハインツはそう笑った。

 その大人びた表情を見て、自分よりとっくに成人していたのに、ずっと付き合ってくれていた彼を思って、嬉しいなと言う喜びと、大人になるって寂しいなと言う悲しみでエリーゼは口元は笑みにしながらも眉尻を落とした。


「くっ。なんつー顔してんだよ。まったく。可愛いやつだな。まあしょげるなよ。お前のことはわすれねーよ」

「き、気安く頭を撫でるなよ。別に。ハインツがいないと寂しいけど、でも別に平気だよ。僕だって、大人になるってわかってるし。てか結婚するの? 式にはでれないだろうけど、お祝いくらい送るよ?」


 年上だし頼りになる師匠役ではあったが、兄貴面されるのは気に食わない。頭にふってきたハインツの手を振り払い、話題を変える。

 エリーゼの実年齢より数年上の彼は、すでに働いてはいるはずだが、薄々貴族らしいことはみんな知っているので、詳しく突っ込んだことは聞かなかった。

 エリーゼのことも聞かれたくなかったし、そんなことは今ここで楽しく過ごす分には必要なかったからだ。


 とはいえ、結婚してもう滅多に会わないとなれば話は変わるし、お祝いの一つくらいはしたい。この街だけでの付き合いと言うにはたくさんの時間を過ごした本当の親友だと思っているのだから。


「あ、まあな。お見合いの話がでてるってだけで、すぐではないけどな。そうだな。ちゃんと最後の挨拶には来てやるから、と、お前はいつもいるわけじゃないか。てか、連絡先くらい交換しないか?」


 お前も俺が貴族なのはわかってるだろうし、今更お互いの立場もくそもないだろう? と笑いながら、さっきエリーゼが思いっきりたたきつけて痣になっている自分の腕をさすってハインツはそう言った。


「あー、まあ、ハインツだけならいいか」


 設定として家のすぐ近くの祖父母宅で使用人見習いをしていることになっていて、それは祖父母も了解してくれている話だ。だからエリック宛として手紙をもらったとしても、一応対応できる。

 と言っても多いと面倒だし、貴族とつながりがあると言うだけでも面倒になったりするので、基本的にはその設定すら隠していて、どこぞの家の使用人とぼかしている。

 だけどハインツなら本人が貴族だし、一人だけなら手紙をわざわざ取りに行く手間もそうないだろう。


 家の名前と住所を交換する。ハインツは本名はカールハインツ・ハンマーシュミットと言うらしい。偽名を使っていると言うレベルではなく普通に愛称だ。


「隠す気あった?」

「別に有名な貴族でもあるまいし、家名聞いたとして一般人はわからないだろ。まして三男坊の名前なんて誰が覚えてるんだよ」

「確かに」

「おい。まあいい。てかお前、本当にかなりいいところのやつなんだな。ここに代々って、やっぱ結構なお坊ちゃんだな」

「貴族のお坊ちゃんに言われたくないんだけど」

「怒んなよ。ま、とにかく、また連絡するよ」

「うん。またね」


 そう笑顔で別れたけれど、自分も結婚したら、いくら相手が男と思っていたとして、こうして二人きりで会うなんて無理な話だ。ハインツだけじゃなく、エリーゼも大人になっていく。

 わかっていても、寂しい話だ。そうまた、気分が落ち込んできてしまった。


 仕方ないので家に帰ってから地下の練習場で死ぬほど剣の練習をした。


 ハインツに勝ったとはいえ、本人の言う通り鈍っていたのは否めない。勝ちたいのは全盛期のハインツだ。頭の中でイメージして、試合のように動いていく。

 そうして汗だくになって休憩していると、母がやってきた。


「……」


 フローラはエリーゼを一瞥するも、何も言わずに反対側に移動して音楽をかけさせた。そして始まる一人舞踏会。


 エリーゼが誰にも見られない秘密の剣の練習場に使っているが、元々フローラのためにつくられたダンスホールなのだ。

 エリーゼが剣狂いなのだとしたら、それはフローラの血だと言わざるを得ない。そのくらい、フローラは踊り狂いなのだ。

 この国の社交ダンスに収まらず、庶民のお祭りの踊りはもちろん、他国の伝統舞踊など、様々な踊りを研究し身に着けている。もちろん仕事などではなく、自分が躍るのが好きだからだ。


 そして個人的な好みで分類し、ストレスがたまるとこうしてごく一部の使用人以外はいれない地下のダンスホールでひたすら踊るのだ。

 1時間くらいはまだストレスが残っているのか怒り顔なのだが、2時間3時間はもうずっと笑顔なのだ。いつもは厳しく口うるさい母だけど、汗だくになっても楽しそうに一人で踊る母の姿を、エリーゼは幼い頃から好きだった。

 だからこそ自分が剣を好きになった時迷わなかった。何時間だって練習するのにためらいもなく、この地下を使うのだけは自由だった。

 地下施設の中には汗を流して着替える部屋もちゃんとあるので、ドレスで入って中では男物で、戻るときはベールも新しくして淑女に戻るのだ。


「ふぅっ」


 フローラがまだ仏頂面で次のダンスに取り掛かるのを横目に、エリーゼも再度練習に取り掛かった。


 そして全工程を終えてくたくたになってから、フローラを見る。普段は扇子に隠して見せない満面の笑顔で、楽しそうにお気に入りの異国の踊り、高らかに床を踏み鳴らすタップダンスを踊るフローラの姿。

 タップダンスで踊りに目覚めたと言うだけあって、お気に入りのそれは日常動作ですら床を鳴らすと言う悪癖につながっているのだけど、それだけあって実際の踊りは迫力満点で見ている側も楽しくなってくる。

 その曲が終わるまで見てから、エリーゼは汗を流した。ずっと見ていて同じタイミングで汗を流すのは気まずい。


 もはや家では直接顔を見せるのは侍女のアンナを筆頭にした直接の世話係の数人だけだ。なので母親と言えども、男装姿ではない状態で直接顔を見られるのは恥ずかしいのだ。


 そそくさと身支度を済ませて部屋にもどり、それから定時に夕食をとる。


 さきほどまでの汗だく姿が嘘のようなお互い取り繕った淑女姿で、本日は父も一緒に食事をとった。

 そして改めてお見合いについての注意などを受け流しながら、エリーゼはハインツが結婚したら何か盛大な祝いを送ってあげたいが何がいいかな、と考えていた。

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