ベールを脱がせないで

川木

第1話 お見合いしなきゃいけないって、ま?

「話があります」


 と廊下でのすれ違いざまに母に呼び出しを受けたエリーゼ・エーレンフロイントはおっかなびっくりしながら居間に向かった。母は厳しく趣味も合わないが、仲が悪いわけではない。

 しかしこうも改まって、廊下でそのまま立ち話ですませず呼び出すとなると、とても嫌な予感しかしない。

 緊張しながら入室すると机には書類も置いてあってメイドも含めて空気はかたい。嫌な予感で戻りたくなったがそうなるとお説教が始まるのは目に見えている。

 薄いベールをしていても表情が見えてしまうので、気を引き締めながら席についた。


 用意してもらったお茶で喉を潤してから、さて、と母親、フローラは扇子を広げて口許を隠しながら切り出した。


「エリーゼ、あなたにはお見合いをしてもらいます」

「え、やだ」


 思わず本音で答えてしまった。母は眉ひとつピクリとも動かさないままだが、コンコンコンと靴底で床をたたいた。


「取り繕いがまだまだ下手のようね。この分では午後の自由時間はなくなってしまうわよ」

「申し訳ありません。お母様が愛しいが故に、ついつい甘えがでてしまいました。どうかお許しください」

「ふん。いいでしょう。ですが、お見合いについては決定事項です。拒否権はありません」

「そんな」


 急すぎる話だ。エリーゼは今までそう言ったことを親に聞かれたことすらなかった。むしろ両親も祖父母も恋愛結婚なので、お見合いだなんて想像すらしなかったはずなのに。

 単純な拒否感以上に疑問だ。どうしてお見合いだなんてしなければいけないのか。いったい母に何が起こっての心変わりなのか。


「以前、私に無理強いするつもりはないと仰ってくれていたではありませんか。何故急にそんな」

「あなたが恋愛をしているなら無理強いはしませんわ、もちろん。で、好きな殿方はいらっしゃるのかしら?」


 尋ねるエリーゼに、フローラはつんとした厳しい態度を崩さないまま、威圧感強めにそう尋ねた。


「……いませんけど」

「では、過去には?」

「い、いませんけど」

「結構。放置しても発展しないなら、お見合いをさせる。これに無理がありまして? それとも結婚はせず、この家を潰すつもり?」

「そ、そんなことは……」


 エリーゼはこの代々続く貴族家の一人娘だ。結婚をしないと言うことは子供も当然できず、家をつぶすことに直結してしまう。もちろん結婚しても子供ができないことはあるかもしれないが、その場合は養子と言う手もある。しかし結婚しない独り身で養子をとることは法律上許されていない。

 エリーゼは別に、結婚したくないとか、男性とか無理とか、そう言うつもりはない。ただ誰かを好きになったことがないのでぴんと来ないだけで、いずれ好きな人ができたら結婚するんだろうぼんやりとは思っていた。


 正直気はすすまない。今の生活は自由がきいて色々楽しいし、まだ成人したばかりの15歳で世間の結婚適齢期的にもまだまだ猶予はあるし、慌てる必要はないように思う。

 だがこの生活を支えている親が言うのだ。これを拒否することはできないだろう。


「は、はい。わかりました。お見合い、します」

「わかりやすくしょげるわね。別に、今回が最初で最後で絶対の相手と言うわけではありません。とりあえず適当に見繕っただけの相手です。気が合う相手が見つかるまで変えればよろしい。とにかく、今月末にお見合いをするのは決定事項です。ドレスも新調するので逃げないように」

「は、はい…」


 そこはさすがに心配はしていない。厳しいが家族に愛されている自覚はあるし、領地も父の仕事も安定していて借金のカタに無理に結婚なんて三文小説のような展開はないのだから、変な人ではなくても合わないなら断れるのはわかっていた。

 わかっていても、面倒だ。はぁ、と思わずため息がでてしまった。ダン、と母が床を踵でたたく。


「外ではベールをすると思って、あなたは何でもわかりやすく表情に出しすぎです。ちゃんと制御しなさい」

「そうは言いますけど、お母様だっていらだったらすぐ床を叩くじゃないですか」

「あなたが鈍いからわかりやすくしているだけです。話は以上です。これがお見合い相手の資料よ。確認しておきなさい」

「はーい」


 気が進まないまま渡される資料を受け取って返事をするエリーゼ。もちろんフローラのチェックが入らないわけがなく、ダダンと床がたたかれる。


「だらだら返事をしない!」

「はいッ。失礼しますッ」


 その言葉に背中を蹴られるようにして部屋を出た。資料を見ながら部屋に戻る。

 またフローラに見られたら怒られることを平然とする懲りないエリーゼは、相手のプロフィールを流し見して部屋に着いたので机に資料を放り投げた。


「あーぁ、だっるいなぁもう」


 断ることは決まっているようなものだけど、その前にドレスを作るだけで面倒なのだ。前回と変わっていないと言うのに、全身をくまなく計られ、生地だのデザインだのをあれこれ興味もないのに説明されるのだ。

 なんでもいい、と言いたいところだが、高価なものだけに相手も作ってから気に入らないと言われては困るので必死だ。それなりの付き合いのある馴染みの店があるとはいえ、じゃあ全部お任せで、とはいかない。


「アンナ、ドレスの予約いれておいて」

「もう明日の午後から予約しています」

「えぇ……いいけど、仕事早すぎない?」

「エリーゼ様の予定は事前に把握しておりますから」


 エリーゼについていてずっと控えていた侍女のアンナに指示を出すと、先回りした返事が返ってきた。ベッドに腰かけて振り向くと、アンナは先ほど放り投げて机から落ちた書類の半分を拾い上げている。


「あっそ。はー、お見合いって、早すぎると思わない? 先月成人祝いしたところなのに」

「私たち庶民にとってはそうですが、お嬢様の周りではそう珍しくないと聞き及んでおります。むしろ、成人前から婚約者がいらっしゃらなかった時点で、随分遅いのではないかと愚考いたします」

「もー、冷たいなぁ。たまには素直に私を甘やかしてもいいと思うんだけど」

「エリーゼ様を甘やかさないよう、心のままに指摘するよう奥様よりご命令いただいております」


 頭が固い。馬鹿真面目。だからこそフローラの信頼厚く、一人娘の専属侍女頭なのはわかっているが、それでもたまにはため息をつきたくなる。


「もういい。出かけてくる」

「ベールは外されるので?」

「もちろん。決まってるでしょ」

「かしこまりました。手配いたします」

「お願いね」


 とにかく気分転換に、元々予定だった外出をすることにした。と言っても、外出先に何か予定があるわけではない。ただ出かけること自体が目的だ。


 エリーゼ・エーレンフロイントはずっとベールを付けている。家ではまだ顔の見える薄いものだが、外出時は三枚重ねて表情なんて見えないようにしている。

 この家でそれをしているのはエリーゼだけだが、別に伊達や酔狂で勝手に我儘でしているわけではない。近くの別宅に住む祖母の出身である異国では、貴人の娘は親族以外には顔を直接見せないのが習わしなのだ。

 ここではその習慣はないので必要はないが、祖母に進められて何となく始めたこのベールは今やエリーゼに欠かせないアイテムになっている。


 そう、外で顔を見せないと言うことは、家族以外エリーゼの顔を知らないと言うことで、ベールさえ取れば街に繰り出しても誰にも気づかれないと言うことなのだ。

 そこでは誰もエリーゼに貴族らしさも淑女らしさも求めない。完全なる自由なのだ。と言ってももちろん、家族は知っていて遠くから護衛が見てはいるのだけど、振る舞いが自由なだけでも心の自由さは全く違う。


 幼い頃に祖母にベールの魔法だとこっそり教えてもらってからずっと、エリーゼはこの魔法が心のよりどころなのだ。このおかげで、ベールを付けている時は割り切ってお嬢様の仮面をかぶれるのだ。

 と言うわけで、今日も今日とて、お見合いの英気を養うためにも街でストレス発散をしに行くのだ。


「……はあぁ」


 服装も全く変え、動きやすいズボン装で髪もワックスで整え首の後ろの髪をひとまとめにしてしまえば、どう見てもお嬢様には見えない、ちょっと上等な服を着た少年の出来上がりだ。

 祖父母宅で見習い使用人をしていると言う設定の、エリック少年。それがエリーゼの街での姿だ。


 最初は男のふりをするつもりはなく単に動きやすい格好をしていただけが、活発な生活や誘われたチャンバラごっこに夢中になっていると男として扱われたので、以来ずっと男として振る舞っている。


「よ、エリック。久しぶりだな」

「ああ、フランツ。久しぶりだね。一か月ぶりかな?」

「ああ。そのくらいか。なんだ元気がないな」


 どこに行こうかとぶらついているとぽんと気安く肩を叩いてきた顔なじみの男に、エリーゼは家よりは気分を持ち直して返事をしたが、いつもに比べてまだ気落ちして見えたらしい。頭をかいて誤魔化す。


「う、わかる? ちょっと家の方で色々あってね」

「ふぅん、そうか。そう言えば、ハインツが来ているのは知っているか?」

「え、そうなのか!? それを早く言ってよ! 今日はどうしているのか知っているのか?」


 ハインツ、の名前を聞いた途端に元気を取り戻したエリーゼは、そのままハインツについて聞きこんでから走り出した。


 ハインツは定期的にこの街にやってきてぶらついている変わり者で、本人は何も言わないがどこぞの貴族の次男以下なのだろうと言う噂だ。

 だけどそんなのは関係ない。エリーゼにとって大切なのは、ハインツが昔から街によくいる幼い頃からの顔なじみで、同年代の少年たちがみんなチャンバラごっこに飽きてもずっと付き合ってくれる剣術のうまい友人と言うことだ。

 エリックの時のエリーゼにとって、一番仲のいい友人だと言ってもいいだろう。成長するにつれて、エリーゼが忙しく毎日は遊びに街にいけなくなったように、ハインツも以前ほど街にこないようだったが、それは仕方のないことだ。

 だけど会えばいつだって昨日会ったみたいに話せて、嫌がらずに剣に付き合ってくれる。そんなハインツが今街にいるなんて、これはエリーゼのストレス発散のための髪の思し召しに違いない!


 エリーゼは途中で数度顔なじみに聞き込みをしながら、ハインツのいるエリーゼにとっても馴染みの店に飛び込んだ。


「ハインツ!」

「お。エリックか。久しぶりだな」


 ドアベルが鳴りやむより先に名前を呼ぶと、すぐ目の前のカウンター間に立っていたハインツは振り向いてにかっと笑った。

 それを見た瞬間、エリーゼの中でとにかく剣を振りたいと言う気持ちが爆発した。


「久しぶり! 会いたかった! 試合しようよ!」

「お前は相変わらずだな。いいぜ。ここに挨拶に来たのも、お前がいるかもって言うのもあったくらいだ。どのくらい成長したかみてやるよ」


 挨拶もそこそこに切り出すエリーゼに、ハインツは嫌な顔一つせずに受けてくれた。これだから、最高の友人だ。


 エリーゼはエリックになるようになってすぐに、チャンバラごっこに魅入られた。


 動きの一つ一つに気を配って衣類の皺まで気にしなくていいところも、笑顔で固めるどころか睨み付けたって威勢のいい顔だと褒められるところも、なにより言葉を取り繕わずに黙っていてもいいところも、繊細な力加減なく力いっぱい武器を握りしめていいところも、そうして戦った後は屈託なく笑いあえるところも、全部が心地よかった。

 そしてそれ以上に、勝つととても楽しかった。思う様に体が動いたときの気持ちよさ、想定通りに相手を打ちのめせた時の爽快感、何より勝った時の純粋な喜び。全てがエリーゼに夢中にさせた。


 小さな子供の枝を振り回していたチャンバラごっこから、ちょっとした木剣の騎士ごっこになっても、そして街の子供たちが飽きてそれぞれを夢を持つようになっても、エリーゼから剣に対する熱がなくなることはなかった。


 もちろん、家は黙認はしてくれても、令嬢であるエリーゼに個人的に教師をつけたりして剣術を教えてくれることはなかった。

 そんな中エリックに教えてくれたのがハインツだ。ハインツは家で剣術の指導を受けているらしく、筋トレのやり方や正しい構え方、自主トレの方法も色々教えてくれた。

 友人であり剣の師匠。そして良き訓練相手。それがハインツなのだ。

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